第3幕【第1章ː地獄の合宿編】合宿1日目・ケースバッティング(主力紹介⑤)
ノーサインでの実戦練習が続く午前の時間帯、次に大山、谷崎が目を向けたのが
グラウンドの一隅で淡々と構える背番号「4」は捕手の守備位置の指示を受ける前から数歩、定位置よりも前に出ていた。
三好悠斗――横浜桐生学院の二塁手、3年生。8番打者ながら、その守備力は全国でも指折りとされ、チーム内では「最後の防波堤」と称される存在だ。
「また……先読みしているな、あれ」ベンチで大山監督がぽつりと呟く。
隣の谷崎コーチが頷いた。「あいつは予測と準備の鬼ですよ。スコアラー顔負けの観察眼で、相手のバットの角度、足の位置、グリップの高さから、次に何をしてくるかを読む」
打者は送りバントを構えたが、初球は見逃し。ボール1。しかし、次の球がインコース低めに来た瞬間、打者がやや崩れた構えで小さく転がす。
――瞬間、三好はすでに前進。
捕球から送球までの動きに一切の無駄がなく、まるでバントの着地点があらかじめ予測されていたかのようにスムーズだった。
「ナイスカバー、三好!」
捕手・藤原の声に軽く頷いたが、三好自身は特に気にも留めていない様子だった。ただ、捕った。だから投げた。アウトにした。事実だけがそこにある。
「黙々と、正確に、完璧に。ああいうのが“守備の芸術”ってやつだ」谷崎が苦笑する。「派手さがないから目立ちにくいが、実は三好がいるから、ショートも思い切って飛び込める。セカンドの裏カバーが完璧だからな」
「送球の角度と球速を、相手ランナーとショートのステップに合わせて調整してる。やろうとしても、普通はできんよ」監督の声には確かな誇りが滲んでいた。
続く打者は1アウト一塁。ヒットエンドランを仕掛けてきた打球は一二塁間を抜けそうなライナー――
「ッ!」
一瞬の判断。三好が横っ飛びでグラブを差し出す。ラインぎりぎりのところで捕球し、空中で体勢を整えながら二塁ベースを素早く踏み、一塁へ素早く送球。ダブルプレー完成。
「さすが……」2年の森口がつぶやく。
「悠斗さんの送球、なんであんなに速くて、でもキャッチしやすいんだろう……」
「“合わせている”んですね。ショートのキャッチングに」
その様子を眺めていた1年生の中で千堂が静かに言う。「あの人、ショートのために全部調整してくれる。こっちは、ミスできないって思えるくらい」
ベンチに戻った三好は、すぐにグラブを外し、ベンチに置いて縫い目を指先でなぞり始めた。ルーティンだ。練習の合間にもグラブの状態を確かめる。それが彼の“相棒”への敬意だった。
時折、後輩の森口のグラブも持ち帰っては、勝手にオイルを塗ってくれているという話は、チーム内ではもはや都市伝説のように語られていた。
「……打撃の方も、地味に結果出してんだよな。送りバントも右打ちも」谷崎がバインダーに視線を落としながら言う。「8番にあいつがいるってのは、ある意味“ズルい”よな」
次の回、三好が打席に立つ。
1ストライク。ランナー二塁。ベンチからのサインは当然ない。だが、グラウンドを読む彼は、すでに打球の落としどころをイメージしている。
2球目、インコース。バットを寝かせる構えから一瞬で引き、低い弾道のライナーが三遊間を破った。
二塁ランナーが悠々ホームイン。三好はただ淡々と一塁ベースを踏み、ヘルメットのつばを直す。
その姿に、監督がぼそりと漏らす。
「――あいつの仕事に、無駄な演出は一つもない。野球ってのは、こういう職人で成り立ってるんだよな」
寡黙で、ストイックで、言葉は少ないが、誰よりも“野球”を知っている。三好悠斗は今日もまた、静かにチームを支えていた。
「ホント、ウチの3年は個性ぞろいばかりだ。そしてその脇を固めるのが2年」
そう呟きながら、大山は次の選手に目を向ける。




