第3幕【第1章ː地獄の合宿編】合宿3日目 結末⑨
藤原が外角高めにミットを掲げた瞬間、岡田翔の右腕が振り下ろされた。
リリースの感覚は、先ほどの全力直球と同じ――だが狙いはわずかに外、そして高め。
白球が、一直線に獅子丸へと迫る。
目に入った瞬間、獅子丸の体が条件反射のように動いた。
(来た――直球! 絶対に逃さない!)
左足が踏み込み、腰がねじれる。全身の筋肉が一斉に収縮し、バットがうなりをあげて走る。
しかし、そのわずかな刹那で気づいた。
(……高い! 届かない――!)
打点は胸よりも上。ボールがわずかに外へ流れている。芯ではなく、グリップの先に近い部分でしか捕らえられない。
それでも止まらなかった。止められるはずがなかった。
「――ッ!」
獅子丸のスイングと白球が交錯する。
金属バットの先端で掠め取られた打球は、鋭い音を立てて三塁側スタンドへと切り裂かれる。
カァンッ!
白球は真横に飛び、ベンチの上空をかすめて観客席に転がり込んだ。
誰もいないシートにぶつかり、ガランと乾いた音を響かせる。
――ファール。
審判が淡々と右腕を広げる。その瞬間、球場全体がわずかに揺れた。観客はまばらなのに、緊張が波のように押し寄せてくる。
獅子丸は、息を切らしながらバットを握り直した。
(……くそ。完全に狙ってた球なのに、ファールか。力で押し返したつもりが、結局芯を外された)
打球の余韻がまだ耳に残る。
全身のバネを総動員したスイングだったが、残ったのは空虚な手応えと悔しさだった。
マスクの奥で藤原はわずかに笑んだ。
(よし……食いつかせて、ファールに仕留めた。思惑通りだ。これでカウントは振り出し、そして獅子丸の体力も、集中力も削れる)
マウンドの岡田は、汗を拭いながら深く息を吐いた。
肩の重みは増している。だが、今の一球で確かな自信が戻ってきた。
(よし……打たせてファール。まだ真っ直ぐで押せる。これなら、最後は……)
打席の獅子丸は、顎を引き、視線を鋭く光らせた。
(芯を外された? 構わない……直球を捉えられることに変わりはない。次こそ仕留める)
だが、その表情を見ながら、藤原は心の中で低く呟いた。
(いいや、獅子丸……お前は今、俺たちの術中にいる。最後に待っているのは――もう一度、直球だ)
スコアは1−1。カウントは1ボール2ストライク。
凡打でも、長打でも、試合の流れを決める。
――勝負の一球が近づいていた。