第3幕【第1章ː地獄の合宿編】合宿3日目 結末⑦
藤原のミットが外角低めに構えられた瞬間、岡田翔の右腕が振り抜かれた。
放たれた白球は、直球と変わらぬフォームからふわりと浮き上がるように離れ、緩やかな弧を描き始めた。
――スローカーブ。
打席の天童獅子丸の瞳が、瞬時に大きく揺れた。
(違う……直球じゃない! 落ちてくる――!)
完全に直球を待っていた。頭の中のイメージと現実が一瞬で食い違う。
体が反射的に反応する。踏み込んだ足は止まらず、腰はすでにスイングの初動に入っていた。
「――ッ!」
バットが加速する。だが、目の前のボールは思ったより遅い。タイミングが合わない。
(空振りだ……完全に泳がされた!)
視界の端で、藤原のミットが微動だにせず待ち構えているのが見えた。
捕らえられたら終わる――凡退。そう確信した。
だが、その刹那。獅子丸の全神経が逆流するように働いた。
(まだだ、止めろ……! ここで終わってたまるか!)
歯を食いしばり、両腕に力を込める。
バットの軌道を無理やり制御し、途中でねじ伏せるように押し殺す。
ギリギリのところで――止まった。
「……ノースイング!」
球審の右手は上がらない。カウントはボール。
スタンドから、わずかな吐息のような声が漏れた。
観客は少ない。それでも、この瞬間に全員の心臓が跳ね上がったのを、獅子丸自身も肌で感じた。
バットを胸の前に戻しながら、天童は荒く息を吐いた。
全身の筋肉が緊張で硬直している。背中を伝う汗が一気に噴き出した。
(危なかった……完全に振らされていた。もし止められなかったら……今のは最悪の凡退になっていた)
藤原は面の奥で舌打ちした。
(……止めてきやがったか。凡退寸前だったのに、こいつは土壇場でバットを止められる。やっぱり化け物だ)
マウンドの岡田は、深く息を吐いて肩を回した。
投げた瞬間の感触は完璧。だが、結果はボール。勝負は決まらない。
(くそ……仕留めたと思ったのに。やっぱり簡単には崩れないな、獅子丸)
打席の獅子丸は、バットを強く握り直した。
瞳の奥にはさっきまでなかった炎が燃えている。
(直球なら打てる。カーブも、もう見た。次こそ……必ず仕留める)
カウントは1ボール1ストライク。
わずか2球で、両軍ベンチの空気は息苦しいほどに張りつめていた。
――勝負の行方は、まだ揺れている。