第3幕【第1章ː地獄の合宿編】合宿3日目・寡黙なエース岡田 静かに燃える②
レフトスタンドに突き刺さった白球の軌跡を、藤原守はいつまでも追っていた。
――反応できなかった。
視線で、体で、捕手としての“経験”で捕らえられる一撃じゃなかった。
けれど、それでも、どこかで納得ができない。いや、納得してはいけないと、心の奥が叫んでいた。
(初球、アウトローのストレート……絶対に悪い球じゃなかった)
むしろ、あれ以上ないコースだった。スピードもあった。
だが、獅子丸は待っていた。“待ち伏せ”していたとしか思えない。
――藤原は知っていた。
獅子丸という打者に、普通の「様子見」は通じない。
心のどこかで警戒はしていたつもりだった。
だが、その“つもり”すら見透かされていた。
(……完全に、こちらの手の内を読まれてた)
マスクの中、奥歯を噛みしめる。
そして、決断する。
藤原はキャッチャーマスクを軽く持ち上げ、静かにマウンドへと向かった。
スタンドのざわめきが遠くなる。
地を踏む音が、妙に重く響く。
――誰かが責任を取らなければならない。
そう思った。
岡田のせいじゃない。あの球は、責められるようなものじゃなかった。
だからこそ。
マウンドに着くと、藤原は真正面から岡田の目を見た。
そして、短く言った。
「――悪い、俺のリードが甘かった」
それは、ただの反省でも、形だけの謝罪でもなかった。
捕手としての“矜持”から出た、真っ直ぐな言葉だった。
だが、岡田は一瞬だけ藤原を見て、静かに首を横に振った。
「……違います」
言葉はない。けれど、目がそう語っていた。
その目には、怖さも動揺もなかった。
ただ、燃えていた。
マウンドの中心に立つ男の目は、すでに前を向いていた。
獅子丸に打たれた一球は、「終わった」ものとして処理されていた。
藤原は気づく。
(……スイッチが入ってる)
岡田翔という男は、普段は控えめで寡黙だ。
だが、内に秘めた闘志は強い。
いま、それが表に滲み出ている。
「次、伊達だぞ。全国トップクラスのスラッガー……大丈夫か?」
問いかけは、半ば意地だった。
返事はない。
だが、岡田のグラブが“カチッ”と鳴る音が、はっきりと聞こえた。
そして、ほんのわずかに口元が上がった。
その無言の返答に、藤原の表情が緩む。
(よし――あいつは、行ける)
もう、言葉はいらない。
藤原は小さく頷いてからマスクをかぶり直し、元の位置へと戻っていった。
それは、「信じた」という意思表示だった。
次の打者は――伊達剛志。
横浜桐生学院の命運を左右する、試合最初のターニングポイント。
そしてそこに立つのは、たった今、“火を灯された男”だった。