第3幕【第1章ː地獄の合宿編】合宿3日目・寡黙なエース岡田 静かに燃える
打球がスタンドに消えてから、わずか数秒。
だが、その数秒が異様に長く感じられた。
岡田翔は、マウンド上でわずかに肩を揺らす。
呼吸を整えるでもなく、動揺を隠すでもなく。
ただ、そこに立っていた。
天童獅子丸――あの一振りは、“現実感”がなさすぎた。
アウトロー、完璧なコース。自信のあるストレート。
それを、まるで見えていたかのように、完璧に撃ち抜かれた。
(……何もかも、外してない)
打たれた悔しさよりも、まず浮かんだのは“疑問”だった。
どうしてあの一球を、あんなふうに振り抜ける?
……いや、違う。
わかってる。あれは、理屈じゃない。
獅子丸は「見てから打った」んじゃない。
「打つ場所を知っていた」。
最初からそこに、あの打球は“存在していた”――そんな錯覚すら抱かせる一撃だった。
(やられたな……完全に)
だが、唇は結ばれたままだった。
拳も震えていない。頭も冷えている。
不思議だった。あれほどの一撃を喰らったのに、恐怖も焦りも湧いてこない。
代わりに、胸の奥で何かが、ぽうっと火を灯した。
(……そうか。ようやく、試合が始まったんだ)
これまでのイニングとは違う。
相手の反応を見て、探って、徐々にペースを掴む“予定調和”のリズム。
だが、獅子丸の一振りはそれをぶち壊した。
予定も、常識も、通じない。そういう相手だ。
(だったら、俺も変わる)
言い訳も、分析もいらない。
感じたまま、勝負に向かえばいい。
“自分の投球を貫く”――それだけが、今できること。
(次は伊達剛志……)
全国トップのスラッガー。
だが、今なら迷いなく向かっていける。
むしろ、ちょうどいい。
ストレートで勝負する。三球、すべて。
それでねじ伏せてみせる。
さっきまでは「どう抑えるか」を考えていた。
でも、今は違う。
「どう“打ち取るか”じゃない。“どう“ぶつけるか”だ」
藤原が立ち上がり、ボールを返す。
グラブの中の白球を、岡田はもう一度強く握り直した。
呼吸が、深くなる。
視界が、絞られていく。
そして、心の中で小さくつぶやいた。
(ありがとうな、獅子丸。――火をつけてくれて)
マウンドの上、岡田翔の全身から、静かに熱が立ちのぼっていた。
決して表には出さない。けれど、確かにそこにある“闘志”が、伊達剛志との対峙へと向かって燃え上がっていく――。