第2幕: 高校1年生の春──紅白戦開始⑧
石上直人はマウンドの上で、ゆっくりと息を吐いた。
(やられたな……)
千堂陸の盗塁を目の前で許した。冷静な駆け引きには自信があった。マウンド度胸もある。だが、あの一瞬の判断力と加速に、完全に裏をかかれた。
彼の頭の中には、一塁にいたときの千堂の姿が鮮明に残っていた。牽制球にも慌てず、むしろじわじわとリードを広げ、プレッシャーをかけてきた。
(まるで「いつでも行けるぞ」と言わんばかりだったな)
それに、自分の配球を読まれていた可能性もある。江原が速球を要求したのは、盗塁を警戒していたからだ。自分もその意図を理解し、最速のクイックモーションで投げた。だが、千堂のスタートはそれよりも速かった。
(俺が左投手であることも計算に入れていたか?)
左投手に対しては、牽制のタイミングを見極めるのが難しいはずだ。それでも千堂は迷いなくスタートを切った。まるで、すでに成功の確信があったかのように。
石上は無意識に唇をかむ。自分の武器は球速ではない。変化球を駆使した投球術と、相手の心理を読む力で勝負してきた。だが、今日はその「読み合い」で後手を踏んだ。
(悔しいな。いや……だからこそ、面白い)
目を細め、ゆっくりと二塁の千堂を見つめる。
(次は、そう簡単にはいかないぞ)
彼が二塁に立っている以上、まだ終わりではない。次の打者との対戦が始まる。そこで再び、千堂陸と駆け引きする機会が訪れる。
(さあ、どう動く? 今度は俺が仕掛ける番だ)
石上はグラブをぎゅっと握り直し、キャッチャーの江原に視線を送った。次の勝負に向けて、静かに闘志を燃やしていた。