第3幕【第1章ː地獄の合宿編】合宿2日目・ダブルヘッダー編⑮
無死二塁。ベンチの空気は、すでに「次の一点」を求めていた。
打席には5番――松岡竜之介。
体格に恵まれた左のスラッガー。そのパワーはチーム内でも一目置かれていたが、「チャンスに弱い」という烙印が、長らく彼を縛ってきた。
だが――その姿が、今は違った。
――あの日。GW合宿の初日。
松岡は主将・藤原守とともに、個人練習を思い出す。
――そして今。試合で、その答えを出す番だった。
投手が首を振り、一球、セットポジション。
ストレートが来る。そう感じた。
(来い……来い……っ)
内角ストレート。
ガツン――!
鋭い音を響かせた打球は、ライト前へ一直線。いや、右中間を割る勢いだ!
二塁ランナー・石塚が、悠々とホームイン。
監督の大山が、わずかに口元を緩めた。
「打てるじゃねえか、ちゃんと迷わずバットが出ればな」
松岡は、ガッツポーズもせず、黙って一塁ベース上に立った。
藤原との練習で、何十回も振り返った「内角への踏み込み」。
その成果が、今ここにある。
「……あの人と一緒に打った時間、間違ってなかった」
小さく呟いたその声は、ベンチには届かない。
だが彼のスイングが、すでに証明していた。
“成長”の意味を。
得点直後のチャンス、なおも無死一塁。
打席には6番・佐藤悠真――1年生の外野手。
「打てないなら、走れ」
入部当初から幾度となく言われてきた言葉だった。
自分にはパワーもバットコントロールも、まだ足りない。だが、それでもチームに残れているのは――この足があるからだ。
(でも今日は、“走るだけ”じゃ終わりたくない)
心の奥に灯った炎が、バットを握る手に力を与えた。
投手は警戒するように、何度も牽制を入れる。一塁の松岡は、スタートこそ切らないが、じりじりとリードを広げていた。
――そして1球目。
内角高め、ストレート。
(振れ……!)
迷いを振り払うようにバットが出た。
力任せではない。タイミングを合わせ、体の“軸”で打った。
カキーン!
打球は三遊間を抜け、レフト前ヒット!
「っしゃあああああ!」
思わず声が出た。打てなかった彼が、初球から“振って”、結果を出した。
ベンチの仲間たちが湧く中、コーチの谷崎がふっと笑みをこぼす。
「ようやく、“自分から振りにいった”な。あれが佐藤のスイングだよ」
チャンスは拡大。松岡は二塁へ進み、無死一・二塁。
1年生・佐藤悠真の一打が、打線の勢いをさらに加速させていく。
無死一・二塁。打席には、7番・高橋 拓海。
彼の打撃では消極的な傾向があり、普段の練習試合でも“バントか進塁打”が関の山だった。
しかし、この日の高橋は、打席に入る前から何かが違っていた。
(……このチャンス、俺が終わらせてたまるか)
グリップを少し短く持ち、目線を低く構える。
積極的に打ちにいく構え。いつもの“様子見”ではない。
――初球。外角ストレート。
高橋のバットが迷いなく出た。
「打った……!」
打球は、やや詰まりながらも、しぶとく一・二塁間を抜ける。
右中間へ転がった打球に、ライトとセンターが必死に追う――が、止められない!
二塁ランナーは悠々とホームイン。さらに、一塁ランナーも俊足を飛ばし三塁ベースを蹴った!
「ホーム、ホームッ!」
返球は間に合わず――2者生還!
打った高橋は、一塁ベース上でヘルメットを押さえながら、少しだけ目を見開いていた。
(……打てた。俺が……打ったんだ)
ベンチでは、誰よりも先に藤原が立ち上がって拍手を送る。
「ナイスバッティングだ、高橋! その積極性、忘れるなよ!」
そして、大山監督も短くつぶやく。
「打つべき球を、打ちにいった。それでいい。あいつは、変わったな……」
普段は守備で信頼される高橋が、攻撃でも“チームの一員”として戦えることを証明した一打だった。