第3幕【第1章ː地獄の合宿編】合宿2日目・ダブルヘッダー編④
木々のざわめきと遠くの打球音が交錯する、第2グラウンド。
本部のある第1グラウンドからは時折、歓声とスタンドを沸かせる打球音が聞こえてくる。
だが、その賑わいとは対照的に、第2グラウンドの三塁側ベンチでは、不満気な声がこだましていた。
「は? マジで言ってんのかよ……」
成光学園の主将・八坂慎平がスコア表を見て顔をしかめる。
「俺ら、横浜桐生の“2軍”と試合すんの? 本気で?」
「え、向こうのエースも4番もいねぇじゃん……」
隣で呟いたのはエース左腕・三好湊翔。サイドスローからキレのあるスライダーを投げる技巧派だが、目の前の布陣には明らかに気を削がれていた。
「どうせなら1軍とやりたかったなぁ。武蔵野にはガチぶつけてんのに、俺らには“お試し枠”ってか?」
内野手の一人がバットを軽く放りながらため息をつく。
八坂は眉間に皺を寄せたまま、相手のスターティングメンバー表をじっと睨んでいた。
たしかに、そこに並ぶ名前の大半は初見の選手ばかり。
「2軍とか1年主体とか言うけどな……」
八坂が低い声で呟いた。
「舐められたって思ってもいい。けどな、俺らがそこで雑に戦ったら“こいつらにはこの程度でいい”って認めたことになる」
その言葉に、何人かが顔を上げる。
「俺たちは“分析される側”になりたくてここに来たんじゃねぇ。どんな相手だろうが“分析する側”で終わる。そういう野球やってきただろ?」
三好も腕を組んで黙って聞いていたが、やがてポツリと呟いた。
「まぁ……どうせどんなメンバーだろうが、相手は“あの横浜桐生”だ。油断すれば普通にやられる」
「だからこそ、先に仕掛けるぞ」
八坂が立ち上がると、静かだったベンチに自然と熱が戻ってきた。
――たとえ試合の格が“第2グラウンド”扱いでも、こちらの本気は第1だ。
第2グラウンドの三塁側ベンチ裏。成光学園との試合前、千堂陸はアップの合間にふと、視線を西の空へ向けた。
遠くで――打球音が響く。
「カキィィィン……!」
音だけで分かる。今のは、芯を食った完全な一発。
千堂は無意識のうちに歩き出していた。ベンチ裏の小道を抜け、少し小高くなった芝生の上へ。そこからは、第1グラウンドが遠巻きに見下ろせた。
白いユニフォームがダイヤモンドを駆ける。ホームインした選手と、バッターボックスへ向かう次の打者。
(あれが……藤原さんか)
次の瞬間、再び轟音。
「ドンッ!」
今度は打球が大きく高く舞い上がる。左中間スタンドに吸い込まれていくのが、ここからでもはっきりと分かるほどだった。
2者連続ホームラン。打ったのは5番・藤城慎也。
千堂の喉が、ごくりと鳴った。何も言えなかった。ただ、拳を握る。
「……レベルが違う」
思わずこぼれた言葉が、風にかき消された。
ベンチで見ていたときには想像できなかった。これほどまでに“打球が違う”とは。スイングの速さ、力の乗り方、走塁の一歩目。全てに無駄がなく、全てが勝利に向かって研ぎ澄まされていた。
(俺が、今あそこに立ったとして……何もできないんじゃないか)
思ってしまった。だがすぐに、自分の中のどこかが強く否定する。
(……でも、いつか。必ず、あのグラウンドに立つ)
歯を食いしばりながら、千堂は背を向けた。第2グラウンドへ、足を戻す。
その胸の奥に、熱が灯っていた。焦りと、羨望と、まだ言葉にならない小さな誓いが、静かに燃え始めていた。