第3幕【第1章ː地獄の合宿編】合宿1日目・個別練習(三好&高橋編④)
夕方のグラウンド。
西日が照りつける中、ノック用のボールかごが、内野の一角に静かに置かれていた。
高橋拓海は、土の上で軽く足踏みしながら、これから始まる練習に少し緊張していた。
バッティング練習を終えた後の守備メニュー。だが、今日はいつもと違う内容が告げられていた。
「スローモーション守備をやる」
そう言ったのは、二塁の先輩――三好悠斗だった。
「ゆっくり転がすボールを、ゆっくり処理してみろ。
いつものスピードでなくていい。捕球から送球まで、全てをスローでやってみる」
高橋は、思わず問い返した。
「ゆっくり、ですか?」
「そうだ。
速く動くより、正しく動く方が難しい。
焦ってるときのクセや雑な動きってのは、速さに紛れて分かりにくい。
だから一度、すべてをスローにして、自分の動きを“見える化”するんだ」
理屈は分かるが、実際にどうやるのか――そのイメージはまだ掴めていなかった。
「まず見てろ」
三好は、自らグラブをつけ、ノッカーのゆるい転がしを受ける側に回った。
打球は、内野の芝の切れ目をゆっくりと転がっていく。
三好は、一歩一歩まるで映像の“スローモーション再生”のように歩き、姿勢を落としていく。
グラブの位置、足の向き、腰の高さ、ステップ……全てが「教科書通り」だった。
「……あんなに、ゆっくりでいいんですか?」
「いいや、あれが“理想”なんだ。
スピードがないぶん、フォームの甘さはすぐ見える。
逆に、正しく動けてれば、速くても同じ動きができる」
三好はボールを捕ってからの送球も、同じく“ゆっくり”行った。
しかし、全体に無駄がなく、美しかった。
時間をかけているのに、どこにも停滞がない。流れるように一連の動作が完了する。
「さあ、やってみろ。
ゆっくり、丁寧に、でも止まらずに最後まで」
高橋は、静かにグラブを構えて立った。
ノッカーが転がしたボールは、やや右寄りへ。
普段ならサイドステップで一気に距離を詰めるところだが、今日は違う。
「ゆっくり……」
自分に言い聞かせながら、一歩一歩を意識して進む。
腰を落とし、目線を下げ、グラブの位置を低く保つ。
(あ……浮いてる)
ふと、いつもより“腰が高い”ことに気づいた。
無意識に、捕球時に体が起きてしまっている。
これも、スローでやって初めて気づけたことだった。
捕球動作に入り、ボールをグラブの中心で受け止める。
右足を前に出し、左足でバランスを取りながら、体を開かずに一歩踏み込む。
投げるまでの流れも、すべてが「確認しながら」の動きだった。
三好がぽつりと言った。
「その一歩、いつもより大きい。
捕ってからの送球、無理してないか?」
「……してました。気づいてなかったけど、いつも、捕ってから力任せに投げてたみたいです」
「だろうな。
ゆっくりやると、自分がどこに力を入れてたのかが見える。
それが、フォーム矯正には一番効く」
その後、高橋は左右に振られるスローゴロを繰り返し処理した。
足の運び。体重のかけ方。グラブを出すタイミング。
すべてが“意識の対象”になっていく。
焦らなくていい。
でも、止まってはいけない。
この矛盾するような感覚が、かえって「動きの本質」を炙り出す。
最後の一本。
やや左寄りの、緩やかな転がし。
体の軸を安定させながら、グラブを滑らかに出す。
膝を落とし、重心を下げて、ボールをすくい上げるように捕球――
そのまま、ゆっくりと送球動作に入り、フォームに無駄のない一連の動きを終えた。
「……今の、すごく安定してた」
三好が、珍しく表情をゆるめた。
「何も派手じゃないけど、あれが“一番崩れにくい動き”だ。
試合で緊張しても、無意識でできるようになるには、こういう練習が一番効く」
高橋は、黙って頷いた。
体は汗だくだったが、不思議と疲労感はなかった。
“焦らずに、正しくやる”。
それだけのことが、こんなにも奥深いとは思わなかった。
その日のノックの最後。
高橋は、自分の足が“いつもより静かに地面を捉えている”のを感じていた。
そして、自分が“守っている”というより、“動きの中で守備を成立させている”感覚に、確かな手応えを覚えていた。
ゆっくり、でも着実に。
守備という技術が、自分の体に染み込み始めていた。




