第3幕【第1章ː地獄の合宿編】合宿1日目・個別練習(三好&高橋編③)
夕陽がグラウンドの端に落ちかけたころ。
影が長く伸び、空気の中に少し涼しさが混ざり始めていた。
高橋拓海はバッティングケージの外で、タオルで汗を拭きながら呼吸を整えていた。
午後の練習も終盤。
だが、そこへ三好悠斗がボールの入ったカゴを持って戻ってきた。
「まだいけるか?」
「はい、大丈夫です!」
気合を入れて返すと、三好はボールを1つ手に取って見せた。
それは、赤や青、黄色といった色のマークがついた特殊なトレーニング用ボールだった。
「今度は、“色付きボール打ち分け”だ。
トスで球を投げる。色のついたボールだけを打て。無地の球は絶対に振るな」
高橋は思わず眉をひそめた。
「……えっと、見てから判断していいんですか?」
「もちろん。ただし――一瞬で判断しろ。
見えなかったら振るな。迷ったら止めろ。
“見てから振る”んじゃない。“見ながら振る”んだ」
言葉の意味をすぐに理解するのは難しかった。
だが、三好の表情には妥協がなかった。
「お前の課題は、“目で見た情報を体に伝える速さ”だ。
試合で変化球や初球の見逃しを判断するのも、結局はこの力。
これは選球眼の“筋トレ”みたいなもんだ」
高橋はヘルメットをかぶり直し、バットを握った。
「……了解です。お願いします」
マシンではなく、三好の手から放たれる柔らかいトスボール。
1球目――白。
見逃した。
「ナイス。焦って振らないのが大事だ」
2球目、青。
判断は間に合わず、やや遅れてバットが出る。
バットはかろうじて当たったが、詰まったゴロになった。
「遅い。“見てから振る”になってる。
色は見える。でも判断が遅い。
頭で処理しようとするな。目で“感じて”、体で反応しろ」
(感じる……?)
3球目。白。止まる。
4球目。赤。
今度は少しリズムを早めてスイング――バットに芯を食った音が響いた。
「今のいい。タイミングも、判断も。
“来る”と思って、体が構えてると色を見分けやすくなる」
高橋は、言われたことを意識しながら、次の球に備えた。
5球目、青。振る。
6球目、白。止める。
7球目、青。振ったが空振り。
「見えたけど、振り遅れました……」
「目の動きと体の反応を揃えるには、“待ち方”が重要だ。
タイミングの“余白”を持て。ギリギリまで引きつけて、そこから“合わせる”。
それが、選球とバットコントロールの融合だ」
三好の言葉は、難しく感じる一方で、妙に腑に落ちる瞬間がある。
理屈ではなく、感覚に響く。
その後も、トスは続いた。
色のついた球、無地の球――混ぜられた中で、集中力はどんどん削られていく。
目が乾くような感覚すらある。
それでも、高橋は目を凝らし、全神経を目と腕に集中させる。
「あと5球。全部“赤”を狙え。それ以外は止めろ」
三好が指定する。
8球目。白。止める。
9球目。赤――振る。やや詰まったがヒット性のゴロ。
10球目。白。ギリギリで止める。
11球目。赤。強くスイング――打球が高く弾んで、ネットの中段に突き刺さった。
最後の1球。三好が、やや表情を引き締めて言う。
「今のが、“見て打つ”じゃなくて、“見えていたから反応できた”一打だ」
言葉が、妙に胸に残った。
(“感じる”ように見る。……それが打者の視覚なんだ)
グラブを持った三好がトスを止め、カゴを脇に置く。
トレーニングは、そこで終わった。
高橋はバットを静かに下ろし、呼吸を整えながらつぶやく。
「……これ、すごく集中使いますね」
「それがいいんだよ。
打者は“目”で試合をつくる。だから、“見る練習”が一番大事だ」
三好の背中が、夕陽の影に溶け込んでいく。
高橋は、自分の目が――少しだけ“打者の目”になった気がしていた。