第3幕【第1章ː地獄の合宿編】合宿1日目・個別練習(三好&高橋編②)
午後のグラウンドには、じわじわと夕陽が差し込み始めていた。
バッティングケージの脇に置かれたボールカゴの中身も、だいぶ減ってきている。
高橋拓海は、バットを軽く握りながら、ケージの中に立っていた。
その正面、数メートル先に三好悠斗がトスの準備をしている。
「次は、“狙い打ち”だ」
三好の声は、いつも通り静かでブレない。
「今から緩い球をトスで投げる。その球を、お前が“打つ方向”を決めてから打て。
右方向、センター返し、左方向。どこに打つか、声に出せ。宣言してから打つ。
目標は“スイングの軌道を崩さずに”狙い通りの方向に運ぶこと」
「はい!」
高橋は少し背筋を伸ばして構える。
自分は、力で打つタイプではない。だからこそ、こういう技術的な練習を大切にしたいと思っていた。
ただ、それでも「狙った方向に正確に打つ」というのは、思った以上に難しい。
「じゃあ、最初は右方向」
三好の声に、高橋はうなずいた。
(右方向……体を開かず、バットの面を最後まで残して……)
構えている手にほんの少し力が入ったその瞬間、ボールがゆっくりと上がる。
スイング――
バットがやや早く出過ぎ、ボールは一塁線を越えてファウル方向に転がっていった。
「今の、完全に前で捉えすぎ。体が先に開いてる。
右方向に打つってのは、“引きつけてから”振るってことだ」
三好はそう言いながら、次の球を準備する。
「無理に流そうとしなくていい。
“しっかり捉えたうえで、自然と右に運ぶ”。それが理想だ」
2球目。
今度は意識的に打点を体の近くに置く。
バットの出し方をコンパクトにし、引きつけてからスイング――
“パスッ”と気持ちのいい音。
打球は、二塁と一塁の間を抜けるような鋭いゴロになった。
「……いい。今のは“狙って打った”って打球だったな」
ほんの少し、胸の奥が軽くなった。
三好のこういう静かな肯定は、なぜか他人の褒め言葉よりもずっと響く。
口数が少ないからこそ、一言一言が重い。
その後も、数球連続で右方向を指定された。
徐々にコツが掴めてきた。体を開かず、ボールをよく見る。
それだけで自然と右方向に打球が運ばれるようになる。
「次、センター返し。
構えも打点も基本に忠実に。“真ん中に強い打球”を意識しろ」
「はい!」
高橋は、やや足元のバランスを見直してから構える。
三好がふわりとトスを上げる。
それを目線で追いながら、振り切る。
打球はピッチャー返しのように、まっすぐネットの中央へ飛んだ。
「ナイス。振り切り方がいい。
でも、ほんの少しだけ差し込まれてたな。1球前で打てればもっと伸びた」
なるほど、と高橋は頷いた。
打点を前に置きすぎると引っかける。後ろすぎれば差し込まれる。
この“ちょうどいい”を探るのが、思っている以上に難しい。
「じゃあ次、左方向」
最後のテーマは、引っ張り。
三好は目の奥に鋭さを宿しながら言った。
「引っ張りは簡単そうで一番雑になりやすい。
ただ引っ張るだけじゃ“引っかけのサードゴロ”しか出ない。
“自分のスイングで、狙って引っ張る”意識を持て」
高橋は、ほんの少しステップを浅く取り、リズムを早めた。
1球目。
振り遅れずにバットが出て、打球は三塁線へ鋭く転がる。
「よし。今のは狙って打ったな。
引っ張るときこそ、リストの使い方に注意しろ。
“力任せ”になった瞬間に、雑になるぞ」
その後も、右・中・左とローテーションで球を打ち分ける練習が続いた。
三好のトスは、どれも一定のリズムで、少しずつ難度が上がっていく。
「あと3球。全部、右方向でいこう。
一番苦手な場所を、最後に仕留めて終わる。それが練習ってもんだ」
疲れはあったが、高橋は頷いた。
右方向――体の中で、“ちゃんと仕留めないと”という意識が働く。
1球目。引きすぎた。三好は何も言わない。
2球目。今度は打点が早かった。
最後の1球。
呼吸を整えて、わずかにステップを狭くする。
ボールを見て、引きつけて――スイング。
打球は一塁線の内側、ふわっと浮いたライナーになって、ネットへと吸い込まれた。
「……それだ。
今のが、お前にとっての“狙って打つ”ってやつだ」
高橋は、静かに息を吐いた。
緩い球を、ただ打つのではない。
**“狙って運ぶ”**という感覚――それが、自分の中に少しずつ宿ってきているのを感じた。
まだ完成には遠い。けれど、この一打は、確かな前進だった。