第3幕【第1章ː地獄の合宿編】合宿1日目・個別練習(加藤&佐藤編⑤)
「よし、次はバントだ。ティーとマット、準備しよう」
加藤勇斗のその一言に、佐藤悠真は少し驚いた顔をした。
思わず、口が勝手に動いていた。
「えっ……加藤先輩って、バントするんですか?」
加藤は動きを止めて、ふっと笑った。
その笑みは、どこか照れたようで、それでいて誇らしげでもあった。
「まあ、するイメージないよな。
俺、チームじゃ5番で中距離ヒッターだし、“バントする打順じゃない”ってよく言われるよ」
佐藤は素直にうなずいた。実際、試合での加藤の打撃は力強く、打球はいつも外野を鋭く抜けていく印象しかない。
「でもな、試合って“狙い通りに進まない”もんなんだよ。
ランナーが一塁にいて、どうしても一点が欲しい場面。
相手が格上で、打たせてもらえそうにないとき――
そんなとき、俺は迷わずバントを選ぶ。
それが“勝つ”ってことだと思ってるからな」
加藤の声には、一切の冗談がなかった。
「……それに、たまにやるからこそ、効くんだよ。5番のバントってのは。
相手が“絶対ない”って思ってるところに落とすのが一番面白い」
そう言って、彼は軽くマットを踏みしめ、バットを逆手に構えた。
「よし。セーフティ、やってみよう。
まずはボールを殺す感覚。スピードのあるピッチャーでも“止める”ことを意識するんだ」
佐藤は無言でうなずき、前傾姿勢を取った。
マシンから放たれるボールを、ふわりとバットで吸収するように捉える。
“トン”と音を立てて、球は手前にポトリと落ちた。
「ナイス。いい角度だ。
でもそのままだと内野に詰められるから、バットの出し方をもう少し遅く。
構えは見せずに、**一瞬で出す。**それが“狙ってる”ってバレないコツ」
加藤は実際に構えずにバントの素振りをしてみせる。
その動作は滑らかで、まるで普通のスイングの延長のようだった。
「これも技術の一つ。バントは“逃げ”じゃなくて、“仕掛け”だ」
その言葉に、佐藤は少しだけ見方を変えたような表情を浮かべた。
5番打者でもバントをする。いや、“5番打者だからこそ”やるバントがある。
その意味を、今ようやく理解しはじめていた。