第3幕【第1章ː地獄の合宿編】合宿1日目・個別練習(藤原&松岡編⑥)
ロングティーを終えた松岡竜之介は、肩で呼吸をしながらバットを置いた。
3球連続のフェンス直撃。手応えは確かだった。だが、その余韻に浸る間もなく、藤原守がバットを握り直す。
「松岡、あと5分だけ付き合え」
「……まだ、やるんですか?」
「ここからが“今日を終わらせるための練習”だ」
藤原は、誰もいないホームベースの前に立ち、足元に小さくラインを引いた。
「お前、素振りって“フォーム確認”だけだと思ってないか?」
「え、違うんですか……?」
藤原は軽く鼻で笑う。
「俺が毎日最後にやってる素振りは、“イメージトレーニング”だよ。
ただ振るだけじゃない。“ヒーローになった場面”を、毎回、頭の中で描いてから振ってる」
「ヒーロー、ですか……?」
「ああ。チャンスで回ってきた最終回、二死満塁。相手はプロ注目の速球派エース。カウント2-2、外角ストレート――それを、センターオーバー。サヨナラタイムリー」
藤原は語りながら、構えた。
「振る前に、その情景を頭の中に描いて、打球の弾道、スタンドの歓声、自分の感触――全部“想像してから”振るんだ」
一呼吸置き、バットが鋭く振り抜かれた。音はないが、そこには打球の“気配”があった。
「これは、俺が自分で“打てる気がしない”ときに一番やってる練習だ。
“打った記憶”を頭に植えつけることで、試合の場面で“もう一度やれる”って錯覚を起こさせるんだよ」
松岡は、圧倒されるように藤原の素振りを見ていた。
ただのフォーム練習ではない。
そこにあるのは、打席での風景。観客の熱。スパイクの土音。そして、打った後の歓声。
「……俺にも、やってみていいですか」
「もちろん」
松岡はゆっくりと構える。
目を閉じて、頭の中で“場面”をつくる。
(……9回裏、一点ビハインド、二死満塁。俺に回ってきた最後の打席。相手は大会最速ピッチャー。……来るぞ、インハイのストレート)
息を吸い、イメージの中で振り抜いた。
カキィン!
音はない。でも、自分の中には確かにあの“快音”があった。
藤原が言った。
「どうだった?」
「……気持ちよかったです。音も、感触も……全部想像でしたけど、体が勝手に反応してた気がします」
「それでいい。それを毎日、3本でも5本でもやってみろ。
いつか本当に、試合の中で“これ、前にも打ったことある”って思える瞬間が来る。
それが“準備してたやつの感覚”ってやつだ」
藤原は、もう一度だけ自分も素振りをし、バットを肩に乗せて歩き出す。
「松岡、ヒーローになる準備は、毎日しておけ。
チャンスってのは、“来たときに間に合ってる奴”が掴むもんだ」
松岡は黙ってうなずいた。
ロングティーで形にしたスイングを、
トスで感覚に変え、
この素振りで――心に刻み込む。
それは、静かな場所で行う、未来への“予習”だった。