第3幕【第1章ː地獄の合宿編】合宿1日目・個別練習(藤原&松岡編④)
午後のグラウンド。ティーバッティング用のネットの前で、松岡竜之介は汗だくになってバットを握っていた。
11種類のバリエーションメニューを終え、彼の呼吸はやや荒いが、目には集中の色が残っている。
後ろでバットの音を聞いていた藤原守が、一歩前に出た。
「ティー、いい感じになってきたな。バットの出方がスムーズだ。……だがな」
藤原は、すっと右手を差し出した。
「今からは、“止まった球”じゃなく、“動いてくる球”を打ってもらう」
「……トスバッティング、ですか?」
「ああ。ティーで整えたフォームを、実戦のタイミングの中で試す時間だ」
藤原は小さなボールカゴを引き寄せ、近距離からの位置に座った。
「まずは初球。“甘い球を逃すな”ってやつをやるぞ。俺が上げたボールのうち、ストライクゾーンなら初球から振れ。迷ったら見逃せ。勝負球の見極めも含めての練習だ」
松岡はティーの時よりもわずかに姿勢を低くし、軽くバットを握った。
1球目、やや外角低め。松岡は見送る。
藤原がすぐに口を開く。
「今のは振ってもよかったな。“甘く見えた”なら、いけ」
「はい……!」
2球目、真ん中低め。松岡はタイミングよく踏み込んで、振り抜いた。
カシュッ。
乾いた音。打球は一直線に右中間方向へ。
「よし。今のは“迷い”がなかったな。次は、引っ張る球を待って打て。ボールは甘いけど、自分の“得意ゾーン”以外なら見逃す。絞れ」
3球目――内角寄りの胸元。松岡は反応して振ったが、詰まった打球がネット手前で失速。
藤原はボールを拾いながら、冷静に言う。
「焦ったな。球は打てるけど、“打つべき球”じゃなかった」
「……確かに、詰まったのわかりました」
「そうだろ。“振って打つ”だけじゃダメだ。“仕留める”ために振れ。……それが、4番の打撃ってやつだ」
松岡は息を整えながら、スイングを再確認するように構え直した。
続く数球、松岡はタイミングを少しずつ修正し、打球の角度と質が上がっていった。
バットの芯に当たったときの音が、明らかに違う。
藤原は黙って、それを見ていた。
そして、ラスト1球。
内角高め、松岡の得意ゾーン。
鋭く踏み込み、バチン! と強烈な打球がネットを叩いた。
藤原がうなずいた。
「今のが、“お前の球”だ。……ティーで磨いたフォームが、ちゃんと“動きの中”でも出せたな」
松岡は胸のあたりを押さえ、少しだけ笑った。
「止まってるときより、打てた気がします」
「そうだろう。“整えたスイング”は、動きの中でこそ意味がある。これから先、もっと速い球、変化球、あらゆるタイミングが来る。でも、“芯”を持ってるお前なら、対応できるようになる」
松岡は深くうなずいた。
ティーで整えた自分。トスで磨いた感覚。
それが、打席に立つ“本当の準備”になる――そう確信していた。
グラウンドの空は少し赤くなりはじめていたが、彼の目の奥の集中は、まだ燃えていた。