第3幕【第1章ː地獄の合宿編】合宿1日目・個別練習(藤原&松岡編②)
午後の陽射しが傾き始めたグラウンドの隅、ネットの裏に設けられたティーバッティングスペース。
松岡竜之介はバットを握り、並べられたティースタンドの前で藤原守の到着を待っていた。
「待たせたな」
キャッチャー用ヘルメットを脱ぎ、ミットを脇に置いた藤原が、ティーに近づく。
「今日は特別メニューだ。……神原 飛翔、知ってるな?」
「はい。……高卒3年目、ウチのOBで日本を代表する打者です」
「そう、俺の2つ上の先輩、神原さんが試合前に毎日やってる“11通りのティーバッティング”、今日からお前にもやらせる。全部、意味がある。フォームを整えるための“点検作業”だと思え」
松岡は目を丸くしつつ、頷いた。
「よし、ひとつずつ説明する。お前は目と体で覚えろ」
藤原はティーにボールを乗せ、自ら軽くスイングしてみせた。
「まずは①通常フォーム。これは、お前の“いつも通り”を確認するための基本。何も考えず、素直に振れ。調子が悪いときほど、このフォームが崩れてる」
松岡が素振りを始める。藤原は目を細めて見守る。
「②腰を落として打つ。下半身が使えてるか、体が開いてないかを確かめる。膝が笑うくらい、しんどい姿勢でな」
「うわ……これ、けっこうキツいですね」
「キツいほうが効くんだ。次、③一本足打法。片足で立って打て。軸がズレてたらバランス崩す。打つ前から崩れてるなら、試合でも打てない」
「……なるほど」
藤原は片足で構えたままスイングを決めてみせた。フォームはまるで動じていない。
「④ワンバウンド。これは目線を安定させるため。あえてタイミングをズラして、下から拾う感覚を覚える。ボールを“叩く”んじゃない、“運ぶ”んだ」
「“運ぶ”……ですか」
「そうだ。無理やり飛ばすな。芯に当てりゃ、ボールは勝手に伸びる」
藤原は指を折りながら続けた。
「⑤左打ち。お前は右打ちだが、逆で打つと体の動きをリセットできる。肩、腰、手首の使い方が“素”でわかる」
「……フォームが崩れてるときにやったら効きそうですね」
「その通り。⑥歩きながら打つ。リズムを意識しろ。構えてからしか振れない打者は、“動きの中”じゃ打てない」
「……自分、そうかも……」
「⑦連続スイング。速くても、ブレずに打てるフォームかを試す。体幹とスイング軌道の耐久テストだ。崩れたら意味ないからな」
藤原は今度、少しにやりと笑った。
「⑧バランスボールに座って打つ。体幹を鍛えながら、下半身が使えない中でも正確にミートする感覚を覚える。“ごまかし”がきかないから、嫌でもフォームが正される」
松岡はそれを聞いて、唾を飲んだ。
「⑨は高さ・打点を変える。高め・低め、前め・後ろめ――全部、同じスイングで打てるか? それが理想の打者だ。狙ったポイントに体を合わせろ」
藤原は右方向を指差した。
「⑩ライト・レフト方向へ流し打ち。これは打球コントロール。センター返しばっかりやってる打者は“勝負の場面”で脆い。バントも、引っ張りも、流し打ちもできるやつが、4番として怖いんだ」
最後に、軽量バットを手に取って見せる。
「⑪軽いバットで打つ。力を入れるんじゃない、振るスピードとコントロールを鍛える。試合用のバットに持ち替えたときに、初めて自分の“重さ”を知る」
松岡は目を真剣に光らせ、バットを構え直した。
「全部やります。今日から、毎日」
藤原は、満足げにうなずいた。
「それでいい。これは“調子を上げるため”の練習じゃない。“平常心を取り戻すため”の準備だ。お前の4番は、ここから始まる」
ネットに当たった最初の打球が、乾いた音を響かせた。