第3幕【第1章ː地獄の合宿編】合宿1日目・個別練習(谷崎コーチ&井上編⑰)
「もうひとつ、お前に覚えさせたい球がある」
シュートの反復練習を終えた井上が水を飲んでいると、谷崎コーチが静かに口を開いた。
「今のお前には、球速だけじゃなく“見せ方”が必要だ。そこで、パワーカーブだ」
その言葉に、井上は思わず顔を上げた。
「……カーブ、ですか?」
「普通のカーブじゃない。パワーカーブだ。スピードとキレを両立させる、攻めの変化球。俺の現役時代のもう1つの決め球だった」
そう言うと、谷崎は井上のボールを受け取り、右手にしっかりと握りこんだ。
「見とけよ」
ステップを踏むと、谷崎の上体がぐっと沈み込み、力強く振り抜かれた右腕から――矢のように鋭く曲がるカーブが放たれた。
――バシュッ!
捕手役のミットに突き刺さる音が、シュートとは異なる迫力でブルペンに響いた。
「……速っ……!」
井上が思わず口にする。
ゆるやかな山なりではない。ストレートのようなスピードから、鋭角に斜め下へ“沈む”ような変化。
「これがパワーカーブだ。軌道は“ナナメ落ち”、球速は直球に近いスピードが出る。打者の目線で言えば“速いのに消える”球だ」
谷崎はそう言いながら、ボールの握りを井上に見せる。
「ストレートの握りに近いが、中指と親指のかかり方が違う。回転は縦、ただし指先の押し込みで鋭く落とす」
井上は無言で何度も握りを確認する。
「これも“ストレートと同じ腕の振り”で投げろ。ゆるく投げるんじゃない。“しっかり叩きつけるように”落とせ」
コーチの言葉に、井上は頷き、マウンドへ。
(叩きつける……“緩い変化球”じゃない。これは、“沈む直球”だ)
構え直し、振り抜いた――。
――バシィッ!
やや高めに浮いたが、軌道は明らかに斜めに沈み込む。
捕手役が少し体勢を崩すほどの鋭さを見せた。
「いいじゃねぇか。最初にしては悪くない」
井上の胸が高鳴った。
これが、“勝負できる球”になる。そう思えた。
「その球と、さっきのシュート。どっちも、“打たせて取る”ための武器だ。まだ球速がないなら、球質と見せ方で勝て」
谷崎の言葉に、井上は力強く頷いた。
(直球、シュート、パワーカーブ――まだ完成形じゃない。けど、やっと“投げたい球”が、俺にも見えてきた)