表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スラッガーにはなれないけど  作者: 世志軒
第1部 第3幕【第1章ː地獄の合宿編】
100/198

第3幕【第1章ː地獄の合宿編】合宿1日目・個別練習(谷崎コーチ&井上編⑮)

 ブルペンに足を踏み入れた井上宏樹の顔には、明らかな緊張と――それ以上の期待があった。


 フォームを作り直し、下半身と体幹を鍛え、回転や指先の感覚を繊細に刻み込んできた数時間。

 自分が変わったかどうか、それを証明するのがこの場所だった。


 「じゃあ、軽く体を動かしてからでいい。20球だけ、直球に集中しよう。狙いは“再現性”だ」


 谷崎コーチの言葉に、井上は小さく頷き、ゆっくりとマウンドに立つ。

 足元の土の感触が、午前中とはまるで違うものに感じた。


 グラブを握り、ボールを胸元へ。

 深呼吸。下半身、体幹、腕――すべてを連動させて、最初の一球に集中する。


 (ノーステップの感覚、股関節の回旋、タオルで掴んだ腕の振り、回転の“乗り”――全部、思い出せ)


 右足を上げ、軸足にしっかりと体重を残しながら――リリース。


 ――パンッ!


 乾いたミット音がブルペンに響いた。打者がいないにもかかわらず、捕手役のミットがわずかに後ろに下がった。


 「……っ!」


 井上自身が一番驚いていた。

 “軽く”投げたつもりだった。だが、ボールは今までにない“伸び”を見せていた。


 「113km/h」


 井上の目が見開かれた。


 (……うそ……?)


 今までどれだけ頑張っても、110kmの壁を越えられなかった。

 それを、自分が“今”、あっさりと更新した――。


 「そうだ。今の球、ちゃんと“乗ってた”。手じゃなくて、体で投げられてたな」


 谷崎の声に、井上は我に返る。


 「……え、はい……でも、こんな簡単に……」


 「簡単じゃねえよ。けどな――“今まで考えてなかっただけ”だ」


 谷崎は、わずかに笑いながら言葉を続けた。


 「力を入れたって球速は上がらん。フォームが整えば、出せるスピードは変わる。お前の本当の土俵は、やっと今ここだ」


 井上はふっと笑いかけようとしたが、どこか浮ついた気持ちが残っていた。


 「もう一球、投げます」


 力まず、同じように――と心がけての2球目。


 右足を上げ、先ほどのイメージをなぞるつもりで振りかぶる。しかし――。


 ――パンッ。


 音が、軽い。ミットもさほど動かない。

 球速表示は「109km/h」。


 「……あれ……?」


 さっきと同じように投げた“つもり”だった。

 だが、腕が先行していた。フォームの“芯”がぶれていた。


 「それが“再現性”の難しさだ」


 谷崎は静かに言った。


 「1球目ができたからといって、次もできるとは限らない。それを“何度でも”できるようになって、初めて一人前の投手だ」


 井上は無言で頷いた。


 (さっきの感覚……俺の中にまだ残ってる。絶対、もう一度、再現してみせる)


 再び、構える。


 3球目。4球目。球速は上下し、回転も安定しない。


 それでも、井上は投げ続けた。


 最初の1球――あの“理想”を、もう一度自分の中に刻むために。

 そして、やがて“毎回それを出せる投手”になるために。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ