第53話 間話② リリのアルバイト(下)
(三人称視点)
(これって……)
悔しさと絶望のあまり蹲ってしまったリリ。
その拍子に身体に何かが当たる感触がして、彼女は制服をまさぐった。
「あ……手鏡」
それは今日の仕事で、実演用に持っていた【宙に浮く手鏡】だった。
使い終わってから今まで、すっかり懐に入れたままだったのを忘れていたのだ。
曇りない鏡には、目元を赤くしたリリの顔が映しだされている。
(……今のリリ、かっこよくないな)
ふと、そんな感想が脳裏に浮かんだ。
絶望し、将来を諦めようとしている少女の顔だ。
この表情はよく知っている。そしてもう、一度乗り越えた感情だ。
(めそめそしてちゃダメだぞ、リリ。今のリリは強いんだから、一人でだって立てるでしょ)
そう自分に言い聞かせて、再び立ち上がるリリ。
涙はもう消えている。そして同時に、カドスがやってきた騎士に事情を説明し終えたところだった。
「――という訳でして。そこの妖精のせいで大損害を受けた所なんです。騎士さん、こいつを連行してください」
「え、ああ、そ、そうだな……」
「?」
カドスはこの買収した騎士に事前に話を通してある。
だがそれにしては挙動不審だ。何かに気を取られてうわの空という様子だった。
「……店長さん。リリはこの事件の犯人じゃないよ」
「まだ言うか。状況的にお前しかいないんだ。証拠だってある。騎士様だってこうして認めたんだからな。お前はもう言い逃れできない罪人なんだ。諦めろ」
「諦めない。いきなりのことでびっくりしたけど、冷静になって考えてみたら、おかしいことがいっぱいあるんだよね」
弱気になっていた筈のリリが突然そんな反抗をしてきたので、カドスは煩わしそうに眉をひそめた。
リリは見せつけるように、手鏡を手に取って推理を始める。
「リリが店で魔術を使っていたのは本当。でもそれが原因で魔力が漏れて、その宝石が割れちゃったなんてことは、まずあり得ない」
「ん?」
「だってこの店内には他にも沢山魔導具が置いてあるんだもん。魔力が漏れたならあの宝石だけじゃ済まなかったはずだよ」
リリが手に持つ手鏡も、店内にある他の魔導具も、割れた宝石の魔導具以外は一切誤動作を起こしていない。
魔力の制御を誤って誤動作させたなら、流石にリリも気づくだろう。ピンポイントで宝石の魔導具だけに魔力が流れたという可能性は極めて低い。
そして根拠はもう一つ。
「そもそも魔導具は、直接触れて魔力を流さないと作動しないようになってるんだよ。だから離れたところにいたリリがその魔導具に魔力を注いで壊したなんてあるはずないもん」
アルバイトを始めるにあたってリリは、事前に魔導具について勉強していたのだ。
不用意に魔力や魔術で誤作動を起こさないために、魔導具には“直接接触で魔力を流す”というセーフティーが設けられている。
冷静さを取り戻したリリは、学んだ知識をすぐ思い出した。自分の魔術制御が仮に衰えていたとしても、魔導具の魔力供給点に触れない限り誤作動を起こすはずはないのだ。
「何を言い出すかと思えば、当然知っているとも。私は最初から“お前が直接接触で魔力を流してパンクさせた”と思っていたぞ」
「――うん。店長さんは当然、魔導具に詳しいもんね。でもそうなるとやっぱりおかしいの」
リリは自分の手のひらをカドスと騎士に向ける。
妖精の不変の身体には剣だこすら生じない。白くてすべすべの傷ひとつない手のひらだった。
「もし破裂した時リリが宝石に触ってたなら、怪我すると思うんだ。元の形もわからないくらい粉々になったんだから、破片が飛び散って傷がついちゃうよ」
「……!」
その指摘は正しい。
実際爆発した本当の原因は、そうなるようカドスが予め箱の中に細工していたからだ。
中に別の魔導具を仕込んで時間差で爆発させ、証拠ごと粉々にして隠滅する。それが彼がリリを嵌めるために考えたトリックだった。
だがカドスは万が一にも商品や店内が傷つかないように、爆発の威力を調整していた。魔導具と細工の証拠だけを壊し、丈夫な箱で被害を外に漏らさないようにした。
それが裏目に出た。狙い通りリリの身体には傷一つ付かなかったが、冷静さを取り戻したリリにそれを怪しまれてしまった。
多少強引であっても、勢いと買収した騎士がいれば無理矢理押し切れると、リリを甘く見ていたのだ。
(こいつ、呑気そうな顔して意外と頭が回るのか……?)
「う、運が良かっただけかもしれないだろう。それに妖精なら妙な魔術で身を守れるかもしれないからだな」
「でもお店も汚れてないよ? 爆発したなら欠片が店内に飛び散ると思うけど、それもない。流石に運が良かっただけじゃ済まないと思う」
「だったら! 変色したこの宝石はどう説明する! 紛れもなくお前の魔力を浴びた証拠だぞ!」
「それは風属性の魔力を浴びたからであって、リリの魔力と決まった訳じゃないよ。例えば……最初から風属性の魔力を持った、別の人に頼んで魔力を流し込んでいた、とか」
リリはこの時点で既に、自分が犯人ではないことを確信している。
この宝石も、箱に入っていた時点で翠色に変色していたことも。
ならばそこから逆算して推理することも、リリならば難しいことではない。
「……適正属性を調べるこの魔導具は、色が付いた後ゆっくり透明色に戻っていく。仮に事前に染色していたとしても、とっくに色は元に戻っているぞ。今翠色になっているのはまさに、ついさっき魔力が込められた証拠だ」
「……リリが魔導具について勉強したとき、こんな話を聞いたよ。一度染色したら元に戻らない、使い捨ての魔導具が最近開発されたんだって」
「……!」
「従来の再利用可能なものより安価だし、適正なんて一度調べれば十分だもんね。最近は使い捨て版が主流になってるって聞いたけど……粉々になっちゃったそれも、もしかして使い捨て版じゃいのかな」
カドスが冷や汗をかく。
【飛行の魔導具】の相場も知らない無知な少女が、この短期間でここまで勉強してきていたことは予想外だった。
実際、粉々に割れた宝石は既に使用済みの、使い捨ての適正検査魔導具であった。
翠色に固定され利用価値がなくなったそれを、カドスが回収しこのトラップに再利用したものだ。
使い捨て版はどれだけ時間が経っても、元の透明色に戻ることはない。
「つ、使い捨てだったとして何の問題がある? 私が箱に入れた時は確かに透明だったんだ。お前が後から魔力を注いで変色してしまったんだろう!」
「……店長さん。さっきそれ、貴族の人に渡すものだって言ってたよね。すっごく高価なものだって、賠償額までリリに教えてくれたけど……使い捨てにしてはちょっと、高すぎるような気がするなー」
「ッ!!」
カドスがリリに提示した賠償額は、再利用可能な適正検査魔導具の時価相場だ。
極めて高価なそれを使い捨てのトラップに消費することをケチり、カドスは使い捨て版の魔導具で代用した。
そしてその価値を再利用版の物であると偽り、リリに請求したのだ。それを見破られた彼は窮地に追い込まれていた。
「もし本当に再利用ができるものなら、そこの騎士さんに魔力を注いでもらったらまた変色するはずだよ」
「い、一度壊れた魔導具は変色機能を失うんだ」
「だよね。じゃあ透明になるまで待ちます。壊れて染色はできなくても脱色はするって、図書室の本には書いてあったよ」
(こ、このガキっ……!)
数時間。時間が経って透明になれば、砕けた魔導具は再利用が可能な高級版だと証明できる。
だが実際にはそうならない。どれだけ時間が経っても使い捨て版が脱色することはない。
カドスはそれを知っている。リリもそれを悟っている。故に“待つ”という答えを出した。
「……店長さん。本当にリリがこれを壊しちゃってたのなら、リリは捕まっても仕方ないと思ってた。でももし、もしも店長さんが、リリを騙すためにこんなことをしたのなら、」
妖精の翅がはためく。光の粉と魔力が渦巻き、リリの身体に風が纏わりつく。
「リリ個人としても、騎士としても許せないな」
「……チッ!」
カドスはこれ以上、言葉で言いくるめるのは不可能だと判断した。
だが彼もそのくらいは想定の範疇だ。
「だったらどうしたっていうんだ? この国は騎士と貴族が支配しているんだ。お前がどれだけ狡賢くても、彼らが黒と言えば黒になる。そして俺はもちろん、予め彼らを味方に引き入れている……!」
本性を表したカドスは、欲望に染まった下卑た笑みを浮かべる。
リリがどれだけ指摘したとしても、無理矢理捕まえてしまえばどうとでもなる。
証拠など後からいくらでも偽造できるし、権力の力で罪をでっちあげる事も簡単だ。
これまで何度も、彼はそうして成り上がってきた。
「これ以上無駄な抵抗はするなよ? こっちには騎士と貴族がバックに付いてる。お前のような小娘が一人で立ち向かえる相手じゃないんだからな。……おい、こいつをさっさとひっ捕えろ」
そしてカドスは側の、息がかかった騎士に命令を出した。
しかし騎士は動かない。小刻みにぶるぶると震えるだけであった。
「おい何をしてる! さっさとこいつを捕まえろと言ってるんだ! 誰が金を払ったと思ってるんだ!?」
「いや、その、えと……」
「――金しか脳にない下衆風情が、騎士相手に随分と大きく出たものだ」
彼らの会話を遮ったのは、新たに現れた闖入者であった。
炎のような紅い眼が、薄暗い店内で揺らめいている。
「まるで虎の威を借る狐だな。いや、これでは狐に悪いか。貴様など畜生以下の羽虫で十分だ」
「フィ、フィレム!?」
◆
(三人称視点)
フィレムが店内に突入する、数時間前のこと。
(……臭うな)
アルバイトが始まってからずっとリリを見張っていたフィレムが、突然そんなことを呟いた。
(臭う? 何がだ?)
(あの店の主人。私の父と同じ臭いがする)
リリに客寄せを任せきり、自身は店からほとんど出てこないカドス。
その姿を垣間見たフィレムは、本能的な違和感、いや嫌悪感を感じ取っていた。
(私の直感だが、何かを企んでいる。時折リリに向けるあの視線には、下卑た欲望が混じっている)
(……お前がそういうのなら、信じる価値はあるな)
同じく見張っていたティグルも彼女の意見に賛同する。
かつて悪事をひた隠し、自身の欲望の為悪行の限りを尽くしたフィレムの父レオルド。
ティグルは彼の事を知らないが、フィレムはその視線をよく知っていた。
(だがどうするつもりだ? 果たして何の証拠もなく動いて良いものか)
(……父の時もそうだったが、証拠がなければ裁くことはできない。証拠を偽造するというなら話は別だが)
フィレムの視線が変わる。
喰らいついた獲物を絶対に離さない、狩人の眼に。
(故に、獲物が尻尾を出すのを待つ。父と比べればあれは小物だ、そう遠くない内にボロを出すだろう……そこを仕留める)
◆
そして、フィレムの予感は的中した。
営業時間が終わり、店の扉が閉められた後。店の外をうろつく奇妙な気配に気がついた。
(あれは……騎士か?)
(ああ。だがどうにも様子がおかしい。この時間は巡回ルートからは外れているし、さっきから店の前ばかりをうろついている。……怪しいな)
フィレムは早速、怪しげな騎士に接触する。
騎士は二人を見て怪訝な顔を浮かべたが、すぐに恐怖と驚愕に塗りつぶされた。
「あ、貴女はフィレム公爵閣下……!?」
「ほう、私の事を知っていたか。ならば話は早い。ここで何をしている?」
フィレムの名は既に、一般騎士の間でも有名になっている。
元円卓の騎士である父親を下し、下剋上を果たした若き女傑。
同時に腐敗しきっていたユーウェイン家の闇を暴き、父親ごと関係者をことごとく牢獄送りにした、冷酷無慈悲な君主であるとも。
「あ、いや、その……」
「何だ? 言えないような後ろめたいことでもしているのか?」
「いいいいいえっ! 決してそのような事は」
「なら答えろ」
騎士は完全にフィレムに怯え切っていた。彼こそがカドスが用意していた買収済みの騎士であった。
カドスの合図でリリを連行するために待機していたのだが、そんな事を正直に話せばどうなるか。
「……仮定の話だが。もしもお前が騎士道にもとるような、悪事に加担していたとしよう」
「……っ!」
「私はそうした外道を心底侮蔑する。実の親であろうが誰であろうが、容赦なく罪人として叩き潰すつもりだ」
フィレムの言っていることは本気だ。少なくとも騎士の男はそう受け取った。
何せ彼女は、実の父親の腕を斬り落としているのだから。
「だが同時に、人の心は変わりゆくものだとも考えている。罪人が改心して善良な騎士になることも、まあ有り得ない話ではないと思っているのだ」
「…………」
「心変わりをするなら早いほうがいいぞ? 取り返しのつかない罪を犯すその前に、白状した方が罪も軽くなるだろうよ」
(フィレムの顔がちょっと怖いな……)
密かに戦慄するティグルと、自身の悪評を逆に利用したフィレムの説得の前に、騎士の男はあっさりと白状した。
リリを罠に嵌め奴隷にし、商品として売り飛ばす計画。騎士の男がその一端を担う役目であることも。
「…………。わかった。お前、店の中に行ってこい」
「ひいっ!?」「フィレム?」
「白状したとはいえ、こいつ一人だけでは証拠としては弱い。後ろに貴族が絡んでいる可能性もあるし、あの店主が騎士の裏切りも想定して根回しをしている可能性もあるからな。故に私たち三人で、確実な証拠を掴んでおく」
「……なるほど。こいつに裏切っていないフリをさせて突入させるのか」
「店主が罪を認めるような発言、または行動をしたら、私とティグルがすぐに突入する。お前は適当に話を合わせて奴の味方のフリをしろ。確実な証言を引っ張り出せ」
「え、いや、その、助けてくれるんじゃ……」
「お前の頑張り次第だな? 結果によっては焼死体が増えるかもしれないが」
騎士の男は壊れた玩具のように首を振ると、カドスの合図に合わせて店内に入っていった。
◆
そして、時間は現在へと戻る。
「ユ、ユーウェイン公!? なぜここに!」
「悪いが聞き耳を立てさせてもらったぞ。――リリに、濡れ衣を着せるつもりだったそうだな」
その言葉だけでカドスは全てを察した。
買収した騎士は既に寝返っていた。先ほどの発言を、言い逃れのできない証拠を公爵家当主の耳に入れてしまった。
コツコツと、足音を立ててフィレムが近づいてくる。
規則的に、無慈悲に、少しずつ。
「証人も揃った。お前にまだ弁明があるのなら、聞いてやってもいいが?」
出口を塞ぐように立つティグル。近づくフィレム、狼狽えるばかりの騎士の男。そしてリリ。
カドスといえど、彼ら全員を相手取ることなどできない。計画は完全に破綻していた。
「……くそっ、このまま終わると思うなよ!?」
故にカドスが取った次の行動は、この場からの逃亡であった。
捕まりさえしなければ何とでもなる。そんな目論見から護身用の魔導具を取り出し、フィレムに氷の槍を放つが。
「――そうか、わかった、」
それを回答と受け取ったフィレムは、容易く氷の槍を粉砕した。
当然、ダメージなどあるはずもない。
「リリ。お前に任せよう」
「は?」
そして決定的な隙を晒したカドスに、追い風を受けて急加速したリリが背後から接近した。
彼が気づいて振り返った時には、全てが手遅れだ。
「ばかぁーっ!!!!」
「ぐげぶっ!?」
全体重を乗せた渾身の平手打ちが、カドスの身体を店の壁まで吹っ飛ばした。
◆
(一人称視点)
「ごめんね……リリのせいで、二人に迷惑掛けちゃった」
全てが終わりカドスが連行されていくのを見届けた後、リリは俺とフィレムにそう謝罪した。
「何を言う。俺たちは何も迷惑だとは思っていない。むしろ怪我がなくて本当によかった」
「でも元はと言えば、騙されたリリが黙ってアルバイトを始めちゃったのが原因だし……」
「リリは別に悪くない。騙そうとしたあの商人が悪いんだ」
リリを励ますように、頭の上を撫で回す。くすぐったそうに目を細めるリリ。
「俺の為にこっそり働いてくれていたんだろう? その気持ちだけで十分だ。空を飛ぶ方法については俺が自分で何とかするさ」
「うぅ……ありがとうティグル」
「――まぁ、人間の中にはああいう悪人もいるという事だ。次からはもっと用心して行動すればいい。まああの程度の危機、リリなら一人で乗り越えられただろうがな」
「……でも、助けに来てくれてありがとう。フィレムが来た時、リリすっごく嬉しかったよ」
「そ、そうか……」
フィレムも不器用ながら、リリを励ますような気遣いが見てとれた。
おずおずとリリの頭を撫で始める。俺のコミュニケーションスキルを真似られてしまった。
「……そうだ。リリに良いものをあげよう」
ふと思い出した俺は、リリを励ます為にある物を取り出した。
あの本に書いてあったアドバイスを習って、用意しておいたものだ。
「星型のペンダント!? 可愛い〜!」
「リリが働いているのを見て、少し魔導具に興味が湧いてな。このあいだ店を回っていたら見つけたんだ」
いずれリリにプレゼントするつもりで買っておいたものだ。
学園に来た時から、彼女にはお世話になりっぱなしだからな。こんな物でお返しになるかは分からないが、日頃の感謝の気持ちを伝えたかったのだ。
「ありがとうティグルっ! 大事にするね!!」
「ああ。喜んでくれたようでよかったよ」
「……お前にしては気が利くな。そのペンダントも魔導具なのか?」
意外そうな顔で尋ねるフィレムに、俺は頷いて説明した。
「リリがお金に困っているのかと思ってな。秘術で蓄えられた魔力が運命を変えて、金運を向上させてくれるそうだ。貴族や王族にも大人気らしいぞ」
「ティグル、それ絶対騙されてるよ……」
「お前にセンスを期待した私が愚かだった。お前はリリから常識を見習うべきだな」
「なん、だと……」
◆
……その翌日、リリは俺たちと剣の修行を再開した。
いつも通りの日常に戻ったリリの首元には、星型のペンダントがぶらさがっていた。




