第42話 vs魔人イードゥ
(三人称視点)
「――シャアッ!!」
イードゥの腕が鞭のようにしなる。
人外の力が振るわれ、その風圧だけで崩れかけだった教会は粉々に吹き飛んだ。
その射線にあった人体など、真面に食らえば風船のように弾け飛ぶだろう。
「フッ!」
だがティグル・アーネストもまた、若くして人間の極致に立つ存在。
表情を変えることなく、剣先を少し揺らすだけで死の暴風を受け流す。
そしてイードゥとは正反対に、足音も立てず静かに歩を進める。
音を殺しているのではない。無駄なエネルギーを漏らさず一点に集めた結果、足音というノイズが消え去っただけ。
「【極点】」
「ラァッ!!」
今日何度目かの、剣と剣のぶつかり合い。
魔力と衝撃波が吹き荒れる。教会どころか、周囲の建物までもが尽く薙ぎ倒されていく。
互いに剛剣術を得意とする者。ならば力量の差は如実に現れる。
ティグルの剣が、イードゥの剣に押されていく。先程よりも早く、明確に。
「流石は魔剣。こんな簡単にパワーアップできるとはな。これならもっと早く人間辞めててもよかったかもな?」
「……口の方は随分と緩くなったようだが」
「お? まだ軽口叩く余裕あるのか。やっぱバケモンだよお前。けどこれでも冷静でいられるかな」
イードゥの口が不気味な三日月を形作る。
ティグルの本能が危険を察知したのと、力を吸い取られるのはほぼ同時だった。
(魔剣の吸収能力――いや今のは!)
「こんな感じか? ――【極点】」
魔人と化したイードゥの力が、一点に集中する。
それは紛れもなく、ティグルの【極点】であった。
人間の力、魔女の力、龍の力。
その三つが合わさり、ティグル……否、人間には絶対に叩き出せない程の破滅的な力を生み出した。
「ッ!?」
剣と剣の拮抗は一瞬で崩れ去り、ティグルが後方に吹き飛ばされる。
咄嗟に力を地面に受け流していなければ、剣ごと真っ二つにされていただろう。
それでも逃した力は地面を砕き、轟音と衝撃波を王都中に響かせた。
地面が揺れ、石造りの街並みが崩れていく。
「おぉ、流されちまったか。やっぱ一箇所集中ってのは不便だな、ちょっと芯をずらされるだけで威力が激減する。こんな曲芸紛いの技、俺相手によく使ったもんだよ」
「――――」
「ただまぁ、お前に絶望を植え付けるのには十分かもな?」
相手の技の模倣。
イードゥはティグルの【極点】を盗み、模倣して叩き返したのだ。
リリやフィレムと同じく、イードゥもまた天才の領域に立つ者。
こうして目の前で見てぶつかり合えば、それを盗み取ることも不可能ではなかった。
そして極点は元のエネルギー量が多い程、集めた時の威力も増す。
ティグルから吸収した力と、イードゥの魔人の力。
それを一箇所に合わせた結果が、目の前に広がる惨状だった。
「見ろよ、廃墟群がもう更地だ。王都中の建物が崩れる音がする。俺の一撃で王都そのものが揺れたんだ。おもちゃみたいにな」
「――――」
「流石に俺の居場所もバレただろうが、今更もう関係ねぇ。この力があれば円卓の騎士だろうが王族だろうが、纏めて壊してやれる。お前のそれみたいにな?」
肩で息をするティグルの持つ剣には、細かな亀裂が走っていた。
流しきれなかった力の一部が、剣にダメージを与えてしまったのだ。
あとほんの少し力を加えれば、ガラスのように砕け散ってしまうだろう。
戦闘に用いるなど以ての外。
「ティグル。お前は大した奴だよ。その歳で極点まで編み出して、俺をここまで追い詰めたんだからな。
だが残念、お前の技は俺がもう真似しちまった。力でも技量でも上回った。
そして俺はお前の力を吸収できるが、逆にお前は俺の力を奪えない。俺の魔力には魔剣の毒が流れてるからな。つまりお前が一発逆転で俺の力を吸収しようとしても無意味ってことだ。
お前はなぜか毒に耐性があるみたいだが、身体が人間な以上限界はあるだろ?」
「……」
「お前にもう勝ち目はねぇ。剣の頂とやらにたどり着くために必死に努力してきたんだろうが、無意味な人生だったな」
「……無意味、だと?」
その時だった。
先ほどから反応に乏しかったティグルが、肩をピクリと振るわせた。
「そうだ。無意味だ。力で上回られ、技術すら盗まれた。そんな剣士に何の価値がある? そんな人生に何の意味がある?
無ぇよそんなもん。この世は所詮弱肉強食。敗者は蟻の餌になるのが世の常だ」
「意味なら有る」
静かに、しかし確かな熱を込めた言葉で、ティグルは呟いた。
「敗北は誰にしも起こり得る事だ。どんな強者であっても、無敗などという事は有り得ない。
そして敗北から何かを学び再び立ち上がれるのが、人間だ。敗北は決して無駄ではない。俺も誰もしもが、敗北を積み重ねた上に立っているのだから」
「お前の言っていることは弱者の理論だぜ? 敗北が許されるような生ぬるい環境で育ったお坊ちゃんだから、そんな寝言が言えるのさ」
「そう、それだ。俺はお前のその価値感が許せない」
指を突きつけられたイードゥが、困惑する。
ティグルの言動が、意図が理解できない。
「敗北が許される? 当然だろう。人は人の敗北を許し合い、互いに支え合って生きていく生き物だ。ただ孤独に力を振り回すだけの獣とは違う。
敗北が許されないという価値感はお前の傲慢であり、身勝手であり、獣の理論だ。人間に振りかざしていいものではない。ましてや、敗者に鞭打つような真似など論外だ」
「妖精ちゃんのことを言ってるのか?」
「リリを傷つけたのは貴様だろう。身勝手な理論を振りかざし、絶望させ愉悦を得るためだけに敗者を虐げ、手と翅をもいだ。
これが畜生の行いでなくて何だというのだ? お前のその歪んだ価値感は、人間社会で許されるものではない」
「何を言い出すかと思えば、ただの綺麗事かよ。この世の価値や理は、強者が作り支配するものだぜ? 虫ケラが何を言おうが、圧倒的な力の前には何の価値もない。お前程の実力者ならそんなことわかっていると思ってたんだが」
肩をすくめて不気味な笑みを浮かべるイードゥ。
その表情には反省どころか、嘲りすら含まれていた。
「獣として生きるのであれば、お前の考えは間違っていない。だが人として生きるのなら、人の価値感を身につけるべきだ。少なくとも俺は、そうしてきた」
「つまんねー生き方だな。もっと刺激を楽しめよ。
好きなだけ暴れ、好きなだけ殺し、好きなだけ敗者を甚振る。それが強者の特権だ。
俺にはわかるぜ、お前は本来こっち側だろ? なんで俺みたいにならない。どうしてそんな窮屈な生き方してんだ?」
この時、ティグルはある事実に気づいた。
目の前の男は、もう一人の自分自身なのだと。
前世であの青年から敗北を学ばず、ひたすら孤独と強さだけを追い求めた果てに、獣に堕ちた慣れ果てだと。
(自分のあり得たかもしれない未来を見ているようだ)
「……俺の目指すべき頂は、獣では辿り着けなかった。だから人として歩むことにした。それだけだ」
「ハッ、その結果が雑魚共との学校ごっこかよ。ならお前のお友達をグチャグチャにしてやったら、ちょっとは獣らしい顔になってくれるのかね?」
「……。そうか。あくまで獣の価値感を振りかざすと言うのだな」
それが最後だった。
ティグルがその決別の言葉を告げた瞬間、決定的な何かが変化した。
(――!? なんだ、今のは……寒気? 怯えている、俺が?)
イードゥの足は、無意識に一歩後退していた。
理解できない。ティグルが何かをした。変化した。だがそれが何なのかがわからない。
イードゥの知識と本能をもっても掌握できない、正体不明の危機感。
(いや待て……周囲が薄暗くなっている?)
「お前が獣であり続けるというのなら、いい。お前の望み通り、獣の理論に則って相手をしよう」
「おい……何をしてるテメェ!?」
「お前はさっきいったな。【極点】を失った俺に価値など無いと。
――阿呆が。技術など模倣されて当たり前だ。お前にも、リリにも、フィレムにも、惜しむことなく俺はこの技を見せてきた。いずれ誰かがこの技を継承し、昇華させて俺の前に現れるようにな」
日が沈むより早く、辺りに闇が立ちこめる。
大地が震え、空気が凍る。真夏の王都に霜が降りる。
ティグルの周囲の空間だけが、世界から切り取られたかのように変質していた。
「それでも俺が【極点】を使い続けるのは単純明快。俺以外の誰も、この技の真髄を理解していないからだ」
「……!?」
「模倣だと? 笑わせる。その程度の完成度では俺の極点には程遠い。貴様は俺が生涯を掛けて編み出した技の、上辺をなぞり満足しているだけに過ぎない。
――獣への慈悲だ。貴様には、本物を見せてやろう」
多くの戦士がそうであるように。
ティグルにも“切り札”というものが存在する。
彼はそれを今、切ったのだ。
「――【極点:弐式】」
ティグルの肉体が、変質する。




