第38話 フィレムという騎士
(フィレム視点)
「――フッ! ハアッ!」
屋敷に備えられた修練場で、私は一人剣を振るっていた。
稽古に付き合ってくれる者も父上も、もういない。
それでも日課の剣の修行は毎日続けていた。
――私が自宅に軟禁されてから、数日。
ティグル・アーネストに敗北した私は、学園の玉座から呆気なく転げ落ちた。
そして父上にも見切りをつけられ、屋敷から許可なく外出することを禁じられた。
敗北者にはお似合いの末路だった。
私は一度も敗北したことがなかった。敗北を許されなかった。
だがあの月下の決闘で……私はティグルに、完膚なきまでに敗北した。
絶対に勝てないと、思い知らされた。
リリとティグルは、この後どうなるのだろう。
私がティグルに勝ち学園から追い出せば、彼らに被害が及ぶことはないと思っていた。
だができなかった。私は弱かった。父上がこのまま黙っているとは思えない。
けれど、私にあの父上に立ち向かうような勇気も力も、ない。
「――――」
再び心に浮かんだ恐怖の影。それをを振り払うように、剣を握る手に力が入る。
無心になって剣を振るう。感情を抑え込むのは得意だ。そう父上に教わったから。
……でも。きっと私はもう、誰かと剣を交えることはないのだろう。
直に学園からも退学させられ、父上の都合の良い傀儡として一生を過ごす。
それが敗北した私に残された未来だ。剣士としての私は、既に終わっている。
“お前は何のために剣を振るっているんだ?”
ティグルの言葉が、ふと脳裏をよぎる。
わからない。剣を振るう理由も、こうして意味もなく自主練をしている理由も。
私はその答えから逃げるように、黙々と剣を振り続けた。
◆
「……」
軟禁から一週間近くは経っただろうか。
今日も私は、一人剣を振るっていた。
だが、明らかに集中できていない。
気づいてはいた。ティグルに敗北したあの日から、私の心が徐々に剣から離れつつあることに。
毎日毎日恐怖を押し込めて、剣を無心に振るっても。少しずつ私の本心は誤魔化せなくなってきていた。
とっくに気づいていた。今の私の剣は、ただの現実逃避だ。
父上とティグル。二人への恐怖と将来への絶望。そこから逃れる為だけに、思考停止で剣を振るっていただけに過ぎない。
ただ私がその事実を、認めたくなかっただけ。
「やめよう、もう」
私は剣を手放した。
逃げるための剣に、これ以上の意味はない。
どうせ逃げることなどできないのだから。
剣はもう、これきりにしよう。
◆
「……街が、騒がしいな」
修練場から出て自室に戻った私は、いつもより外が騒がしいことに気づいた。
王都は目と鼻の先だ。何かあれば私の耳に届く。
……喧騒は学園のある方角から聞こえてきた。
何か、学園で事件でも起きたのだろうか。
「……考えても無駄か」
今の私に外出は許可されていない。
これ以上父上に迷惑を……ユーウェインの名に泥を塗るわけにはいかない。
学園で何が起きていようと、私にできることはもう何もないのだ。
……ただなんとなく。これ以上自分の部屋に居続けたくはなかった。
喧騒から逃げるように、私は静かな場所へと向かう。
◆
「……」
私が次に逃げ込んだ場所は、浴室だった。
鍛錬で汗ばんだ身体が清められ、心地よい熱が全身を巡っていく。
「……」
それでも、私の不安と恐怖は消えてはくれない。
最後に残った剣すら手放し、私にはもう何も残されていない。
何の価値もない私は父の傀儡となり、出世のための都合のいい道具になるのだろう。
その内どこかの貴族と結婚させられ、子供でも生まされるのかもしれない。
仕方のないことだった。敗北した私にはもうそれくらいの価値しかない。
そうして次の後継を育て、一生をユーウェインという檻の中で過ごすのだろう。
学園に通うことも、きっともうない。
そこまで考えて、ふとリリの顔を思い出した。
学園に通えなくなるということは、彼女と会う機会もなくなるということだ。
「結局一度も戦えなかったな」
何度も何度も、私に決闘を申し込む変わった妖精だった。
私はその都度断り続けた。リリが簡単に倒せる相手ではないとわかっていたから。
戦って圧勝できなければまた、あの時のように父に処理されると思ったから。
けれどだめだった。急激な成長を遂げる妖精の噂は、父の耳にも入っていた。
将来を脅かすかも知れない不穏因子。父が動く理由はそれで十分だった。
そして一度も刃を交えることなく、リリは父の毒牙に掛かった。
……彼女とのやり取りを、思い出してしまう。
「ねぇ、あなたがフィレムって人間さん?」
……やめろ。私に話しかけるな。近づかないでくれ。
「この学校で一番強いんだよね? じゃあリリとどっちが強いか、勝負しようよ!」
できない。お前は強い、戦えばお前は父に狙われる。
「学校でどっちが一番強いか決めようよ! リリと勝負しよ?」
しつこい。私は戦わない。もう構うな。
「フィレムはいつも決闘を断っちゃうけど、どうしてなの?」
言えない。何の証拠もないし、父には逆らえない。私はユーウェインの名を守らなければならない。
「フィレムー! 今日こそリリと戦ってよ!」
頼むから、もうやめてくれ。私に近づかないでくれ。お前を傷つけたくはない。
「リリは諦めないよ! フィレムを倒して、絶対一番の剣士になってみせるんだから!」
そして私の忠告は届かず、リリの夢は無惨に砕け散った。
……だが。それでも。お前は再び私の前に立った。
「私、まだ諦めてないよ……! 絶対フィレムと勝負して、私が勝つ! それでこの学園の一番になる!」
以前と変わらない態度で、私にまた勝負を挑んできた。
あの時はリリを遠ざけたくて、冷酷な態度をとってしまった。
だけど今ならわかる。リリの強さが。彼女はあれだけ酷い目に遭ってなお、再び羽ばたいてみせたのだ。
私とは大違いだ。
父上に抗えず、公爵家という立場に甘んじて何もしない私には。
夢に向かって真っ直ぐ羽ばたく、お前の姿は眩し過ぎる。
リリ、お前はどうやって恐怖を乗り越えたんだ?
私はお前が羨ましいよ。
けれどきっともう、会うことはない。
「…………ああ、そうか。後悔しているのか。私は」
そこまで考えて、ようやく気づいた。
私はリリという純粋な少女を、思いの外気に入っていたらしい。
剣の頂という、無謀ともいえる夢に向かって真っ直ぐ手を伸ばす少女。
他者に夢を妨げられても、諦めずに戦い続ける少女。
私はその姿に、密かに憧憬を抱いていたのだ。
そして彼女の願いを聞いてあげられなかったことに、もう会えないことに後悔している。
「羨ましいよリリ。でも私は、お前みたいに純粋にはなれない……」
貴族として、ユーウェインの一族として育てられた私には、リリのような生き方はできない。
私にできるのは、誇りを守るための生き方だけ――
「ぁ」
“お前は何のために剣を振るっているんだ?”
ふと、自然に答が降りてきた。
全てを捨て去り、まっさらな私になったからだろうか。
それとも後悔に気づいたことで、私の奥底の願望が浮き彫りになったのだろうか。
そうだ。私は、騎士になりたかったのだ。
父上のような立派な騎士に。貴族の模範として、この国と民を守り抜く誇り高い騎士に。
そして円卓の騎士になることが、幼い私の夢だった。
そのために剣を振るっていたのだ。
どうしてこんな大切なことを、自分の起源を忘れていたのだろう。
父上が円卓の騎士から追放され、豹変したときからだろうか。
初めての好敵手が父上の手にかかり、剣の道を閉ざされたときからだろうか。
いや、そんなことはどうでもいい。
私の夢、理想の姿。今の私はそれに相応しい姿だろうか?
かつて目標とした父上は、今もそれに相応しい姿だろうか?
「違うな」
私の夢は、そんな形じゃない。
決して自分の好敵手を、闇討ちするような人間ではない。
リリやティグルが父上の牙にかかる様を、見過ごすような騎士ではない……!
ならばフィレム・ユーウェイン。いや、フィレム。
お前はこの檻に閉じ込められたまま、生涯を終えていいのか?
周りの全てを犠牲にしてでも、今の閉じた生活を守る必要はあるのか?
「違う」
ならばフィレム。騎士としての私に問う。
お前が本当に守りたいのは?
……その答えはとっくに知っている。
「こんな簡単な事に気づけなかったとは……愚か者は私の方だったな」
大きな浴槽から立ち上がる。
湯水で温められたものではない、けれど確かな熱が私の中でうねっていた。
何もないと思っていた私の中に、まだこんな力があったことに自分でも驚きだった。
幼い頃より植え付けられていた、父上の圧倒的な力に対する恐怖。
私を閉じ込める檻だったはずのそれは、今ではとても小さく思えた。
この熱のうねりに比べれば。
リリへの憧れと、私の使命感に比べれば。
そしてあの夜、ティグルに教えられた圧倒的な力と比べれば――
こんな恐怖、大したことはない。
「出よう」
私は浴室から出た。
側に備え付けられた大きな鏡が、私の裸体を映し出している。
今更立ち上がるのは、夢を追いかけるのは遅いかもしれない。
きっと簡単な道のりではないだろう。道半ばで死ぬかもしれない。
それでもいい。
きっと今、私の本当の望みに耳を傾けないと、このまま一生後悔するだろうから。
それがあの夜、ティグルから教わったことだ。
“お前は何のために剣を振るっているんだ?”
「騎士になるためだ。今の父上ではない、私が思い描く理想の騎士に」
鏡の前の私に、そう力強く宣言する。
刻み込むように。もう決して忘れないように。
私は正しい理想を、夢を抱いて歩きたい。
誰かに強制されたものではなく、自分で見つけた道を行きたい。
リリのように、ティグルのように。あの憧れたちと同じように誇り高く生きたい。
未練を残して生きるより、理想に燃え尽きて死にたい。
私の本当の望みをはっきりと自覚する。
心と身体が一体になるような感覚を覚えた。
「リリ。私もそこに行く、少し待っていてくれ」
燃えたぎるような赤い長髪を、私は一束に結い上げた。
◆
私は迷いなく足を進める。
いつもの書斎に、父上はいた。
「む……? フィレムか。なんだその髪型は、何をしている?」
「父上。お願いがあります」
「私は今忙しい。貴様の敗北の尻拭いをしている最中なのだ。用があるなら後にしろ」
「いいえ。今、聞いて頂きます」
父上は驚いたように目を見開いた。
面と向かって歯向かったのは、これが初めてだろうか。
私は鞘から静かに、剣を抜く。
「私と戦ってください。ユーウェインの当主の座を賭けて」




