第37話 人の皮を被った老虎
(三人称視点)
「グッ……」
鮮血が舞う。
この戦いが始まってから、初めて明確なダメージを受けたイードゥ。
だが傷は浅い。これしきで倒れる男ではない。
(クソが、もっと楽に勝てる相手だと思っていたが、それなりに場数を踏んでやがるな)
顔を顰めてみせながらも、即座に体勢を立て直し距離を取る。
だが内心では、密かにほくそ笑んでいた。
(だが問題ねぇ。俺の勝利は揺るがない。魔剣の一撃を喰らった時点で勝敗は決した)
イードゥの余裕は、すでに勝利を確信しているが故。
ティグルの頬には浅く魔剣で斬り裂かれた跡が残っている。
(魔剣には猛毒が含まれている。あの傷の浅さじゃ大した量はないだろうが――)
「――フッ!」
油断なく追撃をかけたティグルの一撃を、魔剣が阻む。
ティグルはそこからイードゥの力を吸収すべく、【極点】を移動したが。
「……!?」
突然立ちくらみを起こしたように、ティグルの体幹が揺れる。
背中を合わせていたリリが、思わず振り返った。
「ティグル!?」
(――掛かった!)
魔剣の毒は普通の毒ではない。
その正体は魔力。人間にとって有害なものに変質した毒々しい魔力が、赤黒い波動となって噴き出しているのだ。
ティグルは今、エネルギーと一緒にそれを体内に取り込んでしまった。
そして先ほどの外傷と合わさって、毒の濃度が閾値を超えた。
(テメェらの弱点は連携の浅さ。即興にしてはよくできてるが、俺たちと比べればまだ浅い。特にティグル、テメェは仲間との連携に慣れてねぇ)
当然イードゥはその隙を見逃さず、筋肉が隆起し俊敏な動きで飛びかかる。
狙いは動けないティグル、ではなくリリ。
蟻の王は城塞を崩すために、弱者から確実に始末しにかかる。
(お互い負ける筈がないと信じ合う青臭い連携! それを崩せば隙だらけ!
後はこいつを人質に取れば――)
「――それはもう、学習した」
驚愕する。
イードゥの身体を、ティグルの手刀が深々と斬り裂いていた。
「外道の考えることは皆同じか。お前の相手は俺だぞ?」
「こ、いつ……!」
(何故だ!? 既に毒は身体に回ってるはず、何故動ける!?)
血の塊を吐きながら、イードゥは遂に驚愕を隠せなくなった。
ティグルは誰かを守る戦い方に慣れていない。だが、失敗を繰り返す程愚かでもない。
以前貴族の集団にリリを狙われたことを、ティグルはきちんと学習している。
(得体が知れない……底が知れない)
ティグルという標的の本質が、人間の皮を被った怪物なのは知っていた。
怪物狩りなら自信があった。【蟻の巣】はどんな怪物が相手だろうと、策を練り罠を張って喰らい尽くしてきた。
相手が猛虎であってもそれは変わらない。どんな怪物も、小さな蟻相手には油断するものだ。
だがティグルは違う。小さな蟻にも油断しない。どころか、蟻以上の策略をもって狩りを行う。
その精神性を例えるならば、敗北し慢心を捨てた怪物。
野生の本能と狡猾な知性を併せ持った、傷だらけの老虎。それをイードゥは外見から見抜くことができなかった。
当然だ。肉体は老人とは真逆、少年のものなのだから。
これまで戦ってきた誰とも違う、人間の振りをした怪物……否、人間を学びつつある猛獣。
イードゥはこの時ようやく、ティグルという少年に潜む巨大な影が見えた気がした。
「だんだん貴様の呼吸も掴めてきた……」
既に復調し、正眼に剣を構えるティグル。
人間の皮を被った老虎が、蟻の王を見下ろしている。
その眼に確かな知性と、殺意を滲ませながら。
「次は、殺す」
認めざるを得なかった。
この猛獣は蟻の手には余る、と。
◆
「いい気になるなよ、小僧共……」
ボタボタと、血を溢しながら呟くイードゥ。
単純な力量を覆す程の、ティグルの経験と技術。
このまま戦っても勝機は薄いことは、彼も理解した。
「俺たちは蟻だ……どんな大きな相手でも、その全てを潰し喰らい尽くしてきた。
その長たる俺が、この程度で負けると思うなよ?」
故に。イードゥは冷静に、冷徹に作戦を変更する。
確実な戦法。最後の手段。切り札を、斬る。
『アレを使う。お前ら、全員足止めに徹しろ。俺は一旦下がる』
「……!?」
異国語でイードゥが何事か呟いたかと思うと、彼は即座にその身を翻した。
重傷を負った者には思えない俊敏な動き。突然の逃走にティグルは目を剥く。
(なんだと? もう傷が再生している。自然治癒ではあり得ない速度、あの剣の力か? 奴にはまだ切り札が残っているのか)
「ティグル! あの人間さんが逃げちゃう!」
「わかってる。だが素直に追わせてはくれないようだ」
小さくなるイードゥの背を隠すように、数多の傭兵達が立ちはだかる。
いずれも実力者。ティグルとて瞬殺とはいかないだろう。とはいえまともに相手をしていればイードゥを見失う。
「……リリ。頼みがある」
「うん。私一人で大丈夫だよ」
四方を敵に囲まれても、リリはティグルに笑いかけて見せた。
言われずとも内容はわかっている。イードゥを追う為に、この場をリリ一人に任せようというのだ。
「ティグルは多分、全力出せてないでしょ? リリを巻き込んじゃうから」
「……気づいていたのか」
「リリの憧れの人が、これくらいで終わるわけないもん。今のリリじゃ悔しいけど、ティグルの全力にはついていけない。だからここから先は、一人で戦うのが一番強いんだよね」
「リリ。今のお前は見違えるほど強くなった。だがこいつらは強い。特にあのリーダーの男は別格だ。まだ手を隠している以上、俺も全力を出せる状態にしておきたい」
「ふっふー。任せて、柔剣使いは乱戦が得意だって授業で学んだもん!」
「……済まない。すぐにケリを付けてくる。騒ぎを嗅ぎつけて騎士が来るか、俺が戻るまで時間稼ぎに徹してくれれば――」
「やだ」
とん、と小さなリリの背中が、ティグルの背中にぶつかる。
いつものように純粋な笑みを浮かべて、リリは告げた。
「時間稼ぎじゃなくて、『みんなやっつけろ』って言ってほしいな。ティグルの応援があればリリ、すっごく頑張れる気がするから」
「……。ああ、そうだな」
リリに押し出されるような形で、ティグルは駆け出した。
この先に待つ宿敵、蟻の王との最後の戦いの場へと。
「生きてまた会おう。俺たちの邪魔する奴らは全員斬り伏せてしまえ」
「もちろん。リリはまだ最強になってないんだから、こんなところで負けないよ!」
そうして二人は、それぞれの戦場へと移る。
彼らはいつだって、真っ直ぐに己の道を突き進む。そう生きると決めたのだから。
◆
「ハァ、ハァ……クソが、まさか最後の切り札まで使うことになるとはな」
路地裏を駆け巡り、目的の場所へ向かうイードゥは一人愚痴を溢す。
既に傷は完治している。赤黒い魔剣がドクドクと、不吉に脈打っていた。
(この魔剣さえあれば、勝機はまだ残されている。
だが念の為だ、レオルドの旦那にも連絡しておくか。手が多いに越したことはないからな……)
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「……街が、騒がしいな」
誰もいない自室で、フィレムはそう静かに呟いた。




