幻術の女王
しばらくの時を経て完成した水路は、長大な水槽のような体躯を王国いっぱいに横たわらせ、大河のような量の水を通し、そして国のすみっこの街から都に新しく掘られた大水槽まで続いておりました。
10時間ほどの旅路を経て里帰りを果たしたアンクは、疲れを見せながら水槽のガラスに背中を預けています。
そして愚痴を吐いておりました。
「あー嫌じゃぁああ……普通に車輪水槽でも使って普通に謁見の間でいいじゃろ……かような場所で姿勢正して襟袖正して延々滔々と話していかねばならんだとぉ……!?やはりあの母、この俺よりイカれておるわ」
その日の都は炎天下でした。
例え長男でも末っ子でも姫でも、女王は我が子を甘やかした事はありません。
まるでちょっとした役人や兵や侍女のように扱う事もしばしばあるくらいなのです。
「そう長話にはせんよ、ほんの二、三言じゃ」
「!」
そこへ現れたのは、この幻術に支えられた国の女王にしてアンクの母、アルジュアニ女王です。
白い肌にほとんど白の金髪、真っ黒な瞳に光は無く、その口元には貼り付けた……というより、あざ笑うのを堪えているような笑みを常に浮かべ、頭の上に浮いている「仮の王冠」は、彼女がたわむれに何かに化けた時に目印になるよう幻術で表示しているものです。
前触れもなく現れた彼女に、アンクは訓練されたような動きで姿勢を直し、そのまま微動だにせず言いました。
「陛下、予定よりお早い御成りでございますな」
「さて、我が子よ。本題に入るが、その人魚を買い取らせてはくれまいか」
「は、?」
と、アンクが、女王の顔を呆然と見つめました。
「思考実験は良い、異形の魚飼いはまあ前例もある、地形を変える程の工事をする者も我が王家には多かった、何も不相応ではない当然の事じゃ」
「は、はぁ……?」
自分はマズい事をしたらしい、とだけ、アンクには分かった。
「しかしそれらが混ざれば、雑味の多い読み辛く描き辛い物語になってしまう、そうしてまた歴史の書き直しをしなければならなくなる故、ここは一つ人魚と出会ったのはほんの数日の間の事であったとするのが良いと思うのじゃ」
「彼女はどうなるのです?」
「海に放すに決まっておろう?」
嘲笑うのをこらえているような顔のまま、女王がこてんと首をかしげた。
「嘘でしょう!?私の為にあそこまでして頂いたのにそれが全て無駄になってしまいますわ!」
涙目になるエアリアルでしたが、実際には水の中で涙目になる事は不可能なのでした。
かたやアンクは、女王の言葉を信じていない様子です。
「つまり、人魚の存在を隠したいのですか?」
しかし、女王はやはり、嘲笑うのをこらえているような顔を彼らに向けるばかりでした。