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  作者: 夜穹
第一章
3/10

アンク坊ちゃま

主人公の喋り方は崩壊:スターレイルの車掌パムをモデルにしています。

 挿絵(By みてみん)


 昔々、ある国のすみっこに、森に囲まれた町があり、町のすみっこには有名な崖がありました。


 どうして有名だったかと言うと、世を(はかな)んで身を投げる人がその崖を選ぶ事で有名だったのです。


 そんな崖に、今宵もまた一つ、人影が現れました。


 ピン……ピン……と小さな金属音が夜闇に響きます。

 星の降り出しそうな夜空に向かって、きらきら光る一枚の金貨が、潮風にさらされながら高く高く飛んでいっては、引き戻されるように持ち主のもとへ向かって落ちていきました。

 それを取り、また空へ送り出すその人は、町で有名な怠け者のお坊ちゃまです。


 彼も、かつてその崖に訪れた人々と同じように身を投げに崖へやってきたのです。


 しかし、お坊ちゃまは崖のふちに近付き、聞こえる波の音が大きくなってくると、その歩みを止めました。


「……!」


 彼は少し焦った様子で、念入りに、さりげなく、周りをじっと見渡し、人影一つ無い事を確認しました。


そして、すぐにまた歩き始めました。


「大丈夫、大丈夫……」


 それは全く大丈夫な事ではありませんでしたが、お坊ちゃまはそう自分に言い聞かせ、ついに崖の縁からゆっくりと海へ向かって倒れていき、そして潮風のただ中へふわりと落ちていきました。


 すぐ後に大きな水の王冠が水面に生じ、破裂したような水の音が夜闇に響きます。


 しかし本当の苦労があったのは水に落ちた後でした。

 落ちる先にあった岩にはあと少し届かず、体を打ちつけて死ぬ事は無かったのです。

 そうなれば後は息をせずに沈んでいく他ありません。

 それはとても難しい事でした。


 塩辛く、しかもこの時期にちょうど繁殖(はんしょく)する瑠璃(るり)色の()蔓延(はびこ)る水を、むせながら、苦しみながら、死ぬ為だけに飲み込み続けるなんて簡単に出来ることではありません。


 しかも、そういう時は決まって手足が勝手にもがいて浮上してしまうものです。


 お坊ちゃまは金貨を海中に放って祈りました。


 海の波よ、このとおり渡し賃は払った、どうか海神の御元(みもと)へ……。


 すると、その祈りがどう聞き届けられたのか……。


「何じゃ?」


 彼は妙なものを見ました。


 挿絵(By みてみん)


 水面から垂れ下がりながらふよふよ近付いてくる、何かの尾ひれです。

 それは長く大きく、鱗は無く、恐らく彼自身が溺れている水と同じ色をしていて両脇に付いた前足ならぬ前ひれをはためかせて泳いでいました。


 海獣か?


 と、目を凝らしたものの、青かった水の色に目が慣れたのかいよいよ死に踏み入り始めたのか、視界が灰色になり始めていきます。

 そんな中お坊ちゃまは、ぼやける視界にありえないものがあるのを見つけてギョッとしました。


「は!?」


 前ひれだと思っていたものはむしろ後ろひれで、水面の辺りで人間と同じ色形の腕が水を()いて揺らめいているのです。

 さらによくよく見れば、その海獣の形をした何かは、体もどことなく人間に似た形をしているように見えてきました。


 ふとそこで、それが海中に何が落ちたのか探しに来ているのだとお坊ちゃまは気付きました。


 水面に何も見つからない事を確認したそれは、ついに水中に頭を突っ込んで潜って来ました。


 潜って来たその頭はと言えば、人間の少女と同じ姿をしていました。


 尾ひれと同じ水の色をした彼女の瞳は魚や獣のそれではなく確かに人間のもので、しかしなんだか宝石のように硬そうでした。

 目の他もまるで細工して(かたど)られたような顔立ちと姿で、何者かに彫られた石像のようでした。

 泡を帯びた黒髪は満月の光の下できらきらと光り、水の中で絹織物のようにはためいていました。

 黒髪から覗く耳は何故か少し長く尖っていて、やはり人ではないのだと分かります。


 ()む息も無いお坊ちゃまは、いつの間にか彼女へ向かって手を伸ばして振り、助けを求めていました。


 すると彼女は慌てた様子でお坊ちゃまのもとへ泳いでくると、彼の腕を取って引き上げました。


 人間の手にある指紋や手相のようなシワのない、すべすべした手でした。


 引き上げられる間、幼い頃に見つけたとても古い本に書いてあった「人魚」という怪物の話を、お坊ちゃまは思い出していました。

 それから、ある時、父の仕事に付きそって遠い外国の森にやってきた日に迷子になり、心細く彷徨(さまよ)い続けた末にたどり着いた村で、服も家も食べ物も全てが奇妙な村人達に助けてもらった時の事を、思い出していました。


 そして、思いもよらなかった状況を前にしたお坊ちゃまは、これからこの人魚にどんな話をすべきか、ぐるぐる考えて困り果てていました。


 砂浜へ上がると、お坊ちゃまは砂の上にはいつくばって海水をたくさん吐き出しました。

 人魚はおろおろとしていて、その顔は泣いているように見えました。

 そして水の中で泡を吐くような声で言いました。


「どうしよう、どうしよう、死んでしまうの?」


 お坊ちゃまは返事が出来なかったので、人魚へ手のひらを向けて、せき込む喉が落ち着きを取り戻すまで少し待ってもらう事にしました。


「し、死にはしない、むしろ助かった。ありがとう」


 まだ少しせき込みながら、お坊ちゃまは言いました。


 すると人魚は安心したように笑い、そっと金貨を差し出します。


「これ、あなたのよね?」


 無邪気に言う人魚に、お坊ちゃまは苦笑いしながら金貨を受け取りました。


「なるほど、そりゃあ海神も俺のような木偶(でく)なぞ要らぬであろうな。しかし代わりにお前をよこした……"ありがたいこと"じゃ」


 お坊ちゃまは、まだ少しせき込む体をよろよろと立ち上がらせ、砂浜から立ち去り始めました。


「ちょっと!まだ動くのは危ないのではないかしら!?」


「ふん、ピンピンしておるわ。それよりお前じゃ、どうせまた明日も明後日もここにおるのじゃろ?ならば俺もまた来よう。今宵の礼に今一度土産と土産話をしこたま集めて戻らねば申し訳が立たん」


 そう言って、お坊ちゃまは弱々しく手を振りました。


 人魚は、何事もなかったかのように立ち去るその背中を不思議そうに見送りながら、だんだん不安になってきて、叫びました。


「もし!明日からは崖ではなくこの砂浜へおいでなさいな!星や潮風はここにもありますわ!」


「そうじゃの」


 人魚へ振り返り、力無い笑みを見せてそれだけ答えると、お坊ちゃまはまた金貨を弾き上げながらどんどん進んで遠く小さくなっていきました。


「……」


 それを見送った人魚は、どこかモヤモヤとした説明のつかない何かが胸の内に湧くのを感じながら、海の中へ帰って行きました。



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