崩壊
私が雇われて1年が経った頃だろうか。
嵐の王の宮殿に大雨が降り始めた。
最初、こういうこともあるのかと驚いた。
しかしイルニュス人の様子は、私と違っていた。
彼らは、これが世界の終りのように騒ぎ始めたのだ。
すぐに城内で殺し合いが始まり、奇声が鳴り響いた。
それも最初の間は、単発的に収まっていた。
しかし十日を過ぎると殺戮は、常態化し、宮殿のあちこちに広まっていった。
そして黒書院に暴徒が雪崩れ込むと混乱は、収まらなくなってしまった。
「ぎゃあがァァァ!
△△△△△△△△△△ッ!!」
「△△△△△△△△△△△△△△!!!」
「がぁッ…。
はあッ、△△ァ△△△△△ッ!」
私もパニックを起こした半獣どもを拳銃で撃ち殺した。
そうしなければ私が殺される。
白と黒の大理石に赤い血が雨で滲んで広がる。
よく知った仕事仲間たちが斃れて恨めしそうに私を睨んでいた。
ここは、もう終わりだ。
何とか荷物を持ち出し、中庭に走り出した。
今日まで密かに集めた血液サンプル。
書庫の文献から書き写した人種改良術。
生物学に関する情報を私は、抱えて逃げ出した。
だが宮殿から逃げ出すことなどできなかった。
岩砂漠は、瞬く間に川となり宮殿は、激流に浮かぶ中瀬のようだった。
「大佐殿!
そんなところに居ては、危険です!!」
王の魚の一人が私を見つけた。
彼の手には、黄金の鎌剣が握られ、返り血を浴びていた。
「なんです、その荷物!?
いや、構いません。
とにかく鯨の宮までついて来てください!!」
王の魚たちに守られながら私は、鯨の宮に行き着いた。
途中、何人かの王の魚が無惨な死を遂げていた。
鯨の宮にも深手を負った王の魚がいた。
黒い血の池を足元に作り、血の気のない顔をしている。
「さあ、頑張るんだ!
まことの魚になる日が来たのだ!!」
白銀の髪を靡かせた一人の王の魚が叫ぶ。
黒褐色の身体は、美しくも逞しい筋肉に鎧われている。
「我が君、御立ち在れ!!」
王の魚は、ボロ布で身体を覆った男の腕を取る。
姿を隠した嵐の王だ。
「御立ち在れ!!
愚かな反乱者がここに迫っております!!
さあ、まことの魚になりましょう!!」
美しい少年たちは、互いに励まし合い立ち上がった。
そして嵐の王と王妃を伴って中庭に向かう。
王の魚たちが身を投げる池に。
やがて、あの黒いプールが見えてきた。
改めて見ると思っていた以上に大きい。
それは、世界に開いた穴のようだった。
「まず我が君に先達って…!!」
そういうと最初の数名が飛び込んだ。
すぐに次の数名が黒い水の中に沈んでいく。
他の王の魚たちは、雨に打たれながらそれを見守っている。
突然、嵐の王がボロを被ったまま暴れ出した。
王妃が王を抑えるが獣のような鳴き声で嵐の王は、喚いた。
「我が君、お嘆き給うな!」
「この雨は、邪悪な神々の為すところです!!」
「左様、我が君のお力が喪われた訳ではありませんッ!!」
王の魚たちも駆けつけ、嵐の王を抑えつける。
それが私には、必死に生きようとする者と心中志願者の争いにしか見えなかった。
「君をプールに!」
「君をプールに!」
やがて抵抗を続けながら嵐の王は、黒い水に沈み始めた。
王妃と王の魚たちが上から嵐の王を抑えつけ、黒い水に沈めていく。
暴れる嵐の王の獣のような鳴き声が中庭を切り裂く。
私は、呆然とそれらを見守った。
「大佐殿。
貴方は、このまま残りますか?
それとも我々と共に参りますか。」
私が考えている間にも王の魚たちは、プールに沈んでいく。
それを見る私は、大きなカバンの把手を強く握りしめた。
ただ雨だけが強まる。
しかしこの雨とて止むかも知れない。
どっちにしろ反逆者が迫っている。
天候を操る嵐の王の霊徳が失われたのだと。
絶望した暴徒たちが向かってくる。
私は、決心した。
カバンを捨て、黒い水に向かって走り出す。
プールには、階段があり私は、深みに向かって歩く。
すぐに水面が口に着き、全身が黒い闇に飲まれた。