Day5
「店に泥棒が入りました。窓が一枚割られて侵入されましたが、業者さんがすぐに直してくれるそうなので、本日の営業はそのまま。シフト表や予約名簿が入ったファイルが散乱していただけで、お金は被害なし。よろしく」
浅い眠りと覚醒を何度か繰り返すうち、時刻は午前8時をまわっていた。スマホを開くとバイトのグループに店長からのメッセージが届いている。
間違いない、西山の犯行だ。店には俺の履歴書がある。顔と名前が割れているので、そこから住所を調べ上げようと考えたのだろう。それにしても大胆なことだ、何も盗んでいなければ罪は器物損壊と不法侵入くらいだし、店長もそこまで鼻息荒く犯人探しをしないと踏んでいるのかもしれない。……物凄い執念だ。呪術の儀式ためだけに犯罪までするか普通。
自分の身に危険が差し迫っているはずなのに、俺はどこか他人事のような冷静さで分析を続けた。犯人の狙いを邪魔するためには店長の危機感を煽っておくのが良いだろうと思いついた。
「被害はなくとも、盗聴や盗撮の危険もあります。警察を呼んで事件化した方がいいと思います」
グループ宛にこのようなメッセージを送る。店長は割れたガラス代のためだけに警察を入れるのは面倒くさがるかもしれない。それじゃ俺が困る。
店長からはすぐに俺個人への返信が届いた。
「確かにそうだわ。ナオちゃんサンキュ。あと別件、西山さんから『ナオちゃんの制服がちょっと臭うから、洗うように言っとけ』って伝言があるから伝えとくわ。俺はそうは思わないけど、一応頼むわ」
意図は分からないが、恐らく俺を始末するための布石なのだろう。制服を持ち帰らずに奴の計画を阻止してやろうか。いや、もしかしたら俺がそう考えることを読んだ上での発言かもしれない。奴は窃盗さえためらわない狂人だ、クソ……どうすればいい。
自分が落ち着きを失っていることに気づき、冷静さを取り戻そうと平手で両頬をパチンと挟む。衝撃音、後からくるヒリヒリとした痛み。少し頭がすっきりする。
このまま家でグズグズしていても始まらない。中央公園に行けば何か情報があるかもしれない。俺の情報が完全にバレている以上、こちらから攻めていかないとジリジリと詰められ逃げ場を失っていくだけだ。
夏休みの昼下がりだというのに、中央公園は相変わらず人通りもなくひっそりとしている。俺は西山を警戒しながら例の場所を目指した。そこには藁人形が2つ。シンゴの手拭いが結ばれた人形には両手両足に釘が、もう1つは釘こそ打たれていないものの、焼鳥屋『備長』の割り箸袋に『みつけたよ』と書かれたものが貼り付けてある。
俺はそれを見ても以前のような恐ろしさは感じず、むしろあるべきものを見つけたかのような納得感を覚えていた。西山はこの未使用の人形に結えつけるためのモノを探しているのだろう。……例えば、俺の髪の毛とか。
そういえば、藁人形はもう1つあったはずだ。木の幹を注意深く観察すると、7つの穴が開いている。俺とシンゴが目撃したときの分はもう呪いが完成したので引き上げたのだろうか。こんなもので本当に誰かが殺されているとは信じられないが、面倒な儀式をやり抜く西山の執念深さはさすがに恐ろしく感じた。
家に帰ると母さんが外の洗濯物を片付けていた。まだ時刻は午前11時、夏真っ盛りとはいえ完全に乾くには早すぎる。怪訝な顔をした俺を見つけて母さんはこう言った。
「アンタ、家の外に変な人いなかった?全身黒ずくめの人があそこの角あたりからじーっとこっちを見てたのよ。気のせいかと思ったんだけど、あまりにずっと居るから気味悪くなっちゃって。とりあえず洗濯物は中で干そうかしらと思って片付けてるの」
「母さん、他にその人の特徴とか分かる?」
「うーん、黒いつば広の帽子を被ってたから顔は見えなかったけど、女の人だと思う。UVカットの帽子っぽかったからねえ」
間違いない、西山が家を見に来ている。母さんが指差した方向は俺が帰宅した道とは逆方向だった。下手したら鉢合わせしていたかもしれない。いや、問題はそこじゃない。西山が家族にまで危害を与える可能性があること、これが一番の問題だ。俺が考えているよりもずっと追い詰められているのかもしれない。今日にでも、何か行動を起こさなければ。
『丑の刻参りを他人に見られた者は、目撃者を抹殺しなければ、自身に呪いが跳ね返ってくると言われています。もともと誰かを呪殺することを試みている人物ですから、正気ではありません。自身が呪い殺されないためにも、必死の覚悟で目撃者を殺しにかかるでしょう。』
何か突破口はないかと調べていてたどり着いた例の記事。ほんの数日前はこの記事に恐怖していたのが、今はこれを頼りにしているとは……。しかし『正気ではない』か。西山の狂気を肌で感じ、この文言がもつ真の重みを体感した。奴の狂気に対抗するためには、こちらもまた狂人と化さなければならないのかもしれない。
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午前1時。バイトを終えた俺は無人の二階で深呼吸し、覚悟を決め直した。護身のために持ってきたカッターナイフをポケットに入れ、店長から受け取った制服を袋に詰める。西山は店には現れなかった。林田さんも今日は来なかった。
例のサイトによると、丑の刻参りは毎日同じ時間に行う必要があるらしい。ということは、今から店を出れば先回りできる可能性が高い。俺が西山と接触できる機会はそこしかない。奴と対面してどうなるかは分からないが、直接対決に出る以外の打開策は見つからなかった。
まとわりつくような生暖かい風の中、自転車を走らせ中央公園へと向かう。ただでさえじんわりと汗ばむような熱気、それに加えて戦いの前の緊張感。とにかく汗をかきながら自転車を漕いだ。大通りからほんの一本奥へ入るだけで、駅前の喧騒と明るさは消え失せた。
元はと言えば俺がシンゴを脅かそうとしたのがキッカケだ。俺がケリをつけるのが道理というものだ。それに俺の家族だって狙われる、俺がなんとかするんだ。こう言い聞かせることで自分の弱気を黙らせる。
公園の入り口に自転車を置き、奥へ進む。儀式の場所にはまだ人の気配はない。俺は奴が釘を打ちつける姿を想像し、ちょうど死角になる場所を探してしゃがみ込んだ。いつ西山が来てもいいように、右手はカッターナイフを握り締めている。
……ガサガサ……ザッザッ……
俺が身を潜めてから10分ほど経った頃、何物かの足音が聞こえた。明らかにこの場所を目指してきている。俺は固唾を飲んで足音の主を待つ。ほどなくして黒のジャージに身を包んだロングヘアの女が現れた。髪はばさばさに乱れているが、あれは確かに西山だ。
にわかに右手が震え出す。折り畳んだ膝にも力が入らない。緊張で身体はガチガチに固まっている。心臓は1秒ごとに鼓動を速め、呼吸はどんどん浅くなる。苦しい。
西山は闇に溶け込む黒のバッグから清らかな白袴を取り出し、ジャージの上から着込んでいく。その淀みなく行われる動作からは彼女が何度もこの行程を繰り返していることが読み取れた。洗練された所作で行われる、不気味な儀式。俺は今からそれを、壊す。
バッグから見慣れない道具を取り出した西山は、ろうそくに火をつけ始める。ぼんやりと照らし出された彼女の表情は、何の感情も宿してはいなかった。本来の対象ではないシンゴや俺を呪い殺すのにどんな気持ちでいるのか気になったが、それを窺い知る前に彼女の顔は能面に覆い隠された。
そして西山はバッグの中を漁り始める。カチャカチャと金属が擦れる音が静かな公園に響き渡る。暗くてはっきりしないが、奴が探しているのはおそらく呪術に使う五寸釘だ。
俺は大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。勝負は奴が藁人形に意識を集中した瞬間。カッターナイフで斬りかかり、西山が怯んだのを見計らって呪術用の道具を破壊する。そして奴を脅し呪術の継続をしないこと、俺の家族に近づかないことを約束させる。もし、失敗したら……。
一連の流れを脳内で繰り返しイメージする。呼吸を落ち着かせたことで、少しずつ身体に力が入るようになってきた。西山は俺に背を向け、藁人形の頭部に釘を当てがっている。今しかない!
「うおおおおおお!!!」
俺の怒声が静寂をぶち壊す。西山が驚いて振り返るのと同時に、俺はカッターをめちゃめちゃに振り回しながら奴に斬りかかる。カッターは奴の乱れた髪をいくつか切断しながら能面を傷つけた。衝撃で能面が飛んでいくと、先ほどと全く変わらない無表情の素顔が現れた。しかし一つだけ変化があった。小刀のようなものを横長に噛んでいる。
西山も凶器を持っていたことに驚き一瞬怯んだ俺。その隙を逃すまいと小刀を構える無表情の女。奴の得物は小さいとはいえこんな文房具ではお話にならない。俺は身を守るべくまたしてもカッターを振り回したが、後ずさりしていたせいで腕が木に当たり、頼みの綱だった小さな刃を落としてしまった。さらに悪いことに木の根を踏み、足がもつれて尻餅をついてしまう。西山はこちらの様子を伺いながらじりじりと距離を詰めてくる。
俺はカッターを探り当てようと雑草だらけの地面をまさぐるが見つからない。西山の表情が変わる。限界まで見開いた眼球、ニタリと歪む口元。自分を襲った人間が誰なのか認識したのだ。俺はほんの一瞬で『襲撃者』から『獲物』へと転げ落ちた。
奴を脅す作戦は失敗だ。俺は持っていた袋を力いっぱい投げつけた。中に入っていた制服が西山の顔面に直撃する。風でろうそくの火が消え、辺りは完全な闇に包まれた。俺は近くの茂みに身を隠し奴の気配を探る。
完全な沈黙が続く。お互いに相手の状況が探れず、下手に動けない。俺は自分の呼吸一つ一つを殺しながら、西山の息づかいを探した。極度の緊張状態が続いている。
どれくらいの時間が経ったか、ほんの十数秒かもしれないし、もう数分は経過しているかもしれない。俺の緊張が解け始めたその時、
「みつけたぁぁ!!」
という西山の叫びが深夜の静寂を打ち破った。奴は俺の制服を拾い上げ、泥で汚れた白袴を振り乱しながらどこかへ駆けて行った。きっとあの制服には髪の毛の一本や二本、付いていたのだろう。暗闇の中でそれをそれを見つけた西山は大喜びで走っていったというわけだ。
「……これでいいんだ。これくらいしか思いつかなかった」
俺はシンゴにこれ以上の被害が出ないよう藁人形を回収し、その場を後にした。
西山がもう一度シンゴの私物を手に入れようとしても、まだ入院中だ。少しくらいは時間稼ぎになるだろう。奴はきっとこの後戻ってきて、俺がぶつけた服に付着していた髪を藁人形に結えつけ、呪術の儀式を行う。
「これでいい、これでいいんだ」
自転車に乗りながら何度も自分に言い聞かせた。儀式の強襲を計画した時点で覚悟はできていたはずなのに、不安は大きくなる一方だった。
バイトの思い出シリーズ(笑)もそろそろ終わり。この話は僕のバイト先をイメージして描いているのですが、実際
・常連さんに名前を覚えてもらって、機嫌が良ければお酒もおごってもらう(売上に貢献とのことで、店長もガンガンいこうぜ状態)
・常連さんと仲良くなって、割と強引にキャバクラに付き合わされる
・常連さん同士が仲良くなって、ゴルフとか行き出す
・しまいにはバイト募集のHPにスタッフと常連さんが肩を組んでる写真を載せる
・女性店員は酔っ払ったオジサンに捕まりがち、捕まったら男が話に割り込んで助けるのが暗黙の了解
・社員さん(男)と常連さん(女)が結婚した
・ゲロならまだしも、酔ってトイレで大きい方を失敗するおじいさんが年一くらいで現れる
みたいなことはありました。なかなかにハードでハートフルな職場でしたね。楽しかったなー。