8、【真実、再会と再開】
開店前の、あの居酒屋で情報屋は何者かに殺害されていた。
心臓を背中から一突き、死因は失血死でまず間違いはないだろう。傷口から考えるに、凶器は果物ナイフ、というよりはサバイバルナイフの方が近いかもしれない、と霧島は推測する。だがこれは自分の動揺を隠すためのごまかしに過ぎなかった。冷静な分析をする片方の自分と、何故、何故こいつまでもが、と動揺する自分とが頭の中で混在する。
成田はそんな霧島よりも素直な感情を表に出していた。青ざめて震える彼を見ていると、自分が初めて現場に行ったときのことを思い出す。あの時はむせかえるような血の匂いと、目を開けたまま動くことのない被害者に、不謹慎ながらも吐き気を抱いたんだっけか。この若い刑事、成田も、まだここまでの現場に出会ったことがなかったのかもしれない。ましてや今回の被害者は自分の知り合いなのだ。そうなってしまっても無理はないだろう。
ふと彼の握られた左手が目に入った。何か、白い紙か何かが手の中にある。
霧島は情報屋の遺体に合掌すると、彼の左手に握られた紙を取り出した。
そこには短く「サドル 216 南公園」と書かれていた。これは霧島が現役時代、情報屋がよく使っていた伝達方法だ。この居酒屋の傍にある南公園、そこに放置されている自転車が五つある。特にこれといった特徴のない普通の自転車なので、普通の人間は、たとえ警察の情報を狙う犯罪者であったとしても、この中に機密情報が入っているとは思いもしないだろう。五つの自転車にはそれぞれ鍵付きのチェーンが付けられている。霧島はその一つ一つに216を入力していく。すると一つのチェーンが開いた。このようにして情報が入った自転車を判別するのである。
その自転車に乗って自宅に戻る。成田は捜査一課の人間らしい。色々と面倒な手続きがあるのだろう、現場で彼とは別れた。
自転車のサドルを緩め、中にある紙を取り出す。
あの情報屋の小汚い字、懐かしいその字は語る。
「霧島のあんちゃん、お前さんの話を聞いて興味が出たからよ、おいらの方でも調べてみたんだよ。するとどっこい、とんでもねぇ情報を手に入れたぜ。だがその前に、あんちゃんが見てきたものを一つずつ当てていってやろうか
沖縄に例の像はあったろう?それも、あんちゃんが見っけたのと全くおんなじモノじゃなく、首のところに文字が彫られていたはずだ。もう一つ当ててやろう。お前さん、奇妙な体験をしなかったかい?奇妙な何かに出会わなかったかい?」霧島は狼狽する。自分が現地に行かなくてもよかったのではないかと思うほどに、情報屋の書いている事柄は見事に当たっていたからだ。情報屋は続ける。
「ありゃあ、おいらの予想通り、核の神様『ロザリエ』を象ったもんさ。そしてお前さんが遭遇した人物のような何か、あれは『運び屋』と呼ばれる、ロザリエに仕える天使のようなもんだ。だが今、『ロザリエ』は形を完全になしていない。神様としての実態が無いのさ。まだ人間はそこまで核を信仰していない。一部の人間以外はな。じゃあ何故『運び屋』のような、核への信仰を妨げる人間を排除するような、実働部隊がいるのかって?俺の予想じゃあ、キリスト教におけるイエスキリストのように、イスラム教におけるムハンマドのように、『ロザリエ』にも神託者がいるからさ。その神託者の名は…
『リリィ』、というらしいぜ。」
「武明、久しぶりだな。」隆史、と呼ばれた男はわずかに口角を上げる。
「武明…?それが俺の名前なのか?」対して武明、と呼ばれた方は釈然としない様子だ。隆史は続ける。
「そうだったな、お前は今記憶をなくしているんだった。だがもう気付いているんだろう?自分が何をしていたのか、何を追っていたのか。」いつになく落ち着いた声で話す親友と、いつか見た手紙の中の声が重なる。
「お前は霧島武明で、ここは核の神ロザリエの世界なのさ。」
「霧島、武明…」武明は、霧島は徐々に記憶を取り戻していく。
殺された隆史からの手紙、成田肇との出会い、懐かしいあの公園と沖縄に安置されていたロザリエの像、運び屋との出会い、殺された情報屋、そして…
「人類の為に作られた共同墓地、か。」
「もう一つおまけだ。これに関しちゃぁいくらお前さんでも、何もすることが出来ないと思うんだがよ、沖縄のロザリエ像、その土台の部分が盛り上がってたろう?あすこは墓地なんだ、人類全てのな。訝しく聞こえるかもしれんがマジだぜ。地中には水爆が眠ってる。その規模は北半球が吹っ飛ぶ程度ときた。その放射線が影響を及ぼす範囲はなんと全世界だ。原子力発電所から出た放射性廃棄物をひたすら集めて作ったらしい。一定の人間にとってはそのための原発だったのかもしれねぇなぁ。お偉いさんたちの為にはシェルターが用意されているらしいが、もちろん一般の人間はそこに入ることができねぇ。あれが爆発したら七十億いる人口は五ざっと十人程度になるだろうぜ。あんちゃん、くれぐれも気をつけな。もしリリィなんかと接触する機会があったなら、ただ感情的に喋るんじゃなく、理性的に言葉を並べろ。相手を刺激しすぎるな。さもなくば、世界の人類ほとんどの首が飛ぶんだからな。」
不意にMs. marryの言葉が頭をよぎった。
「この子はリリィ、この世界の主です。」
そしてこの世界のことを思いかえしていく。
この世界には建造物がほとんどない。放射能による破壊には何者も、何物でも抗えない、その象徴として。この世界を訪れた者は監獄のような場所で暮らすことになる。原子力に囚われた人間がもうその魅力から、呪縛から解き放たれることがないように。この世界にいる人型の何か、アベルやMs. marryは人間ではない。核の力が行使された後に生き残るのは人間ではないから。月が融ける。丁度、核燃料が融けだすように。この世界で感じたすべての違和感が一点に収束する。
霧島は改めて思い知った。自分が立ち向かっていたものの大きさを。そして思い出した。前の世界で意見を戦わせたリリィの捨て台詞を。
「君を僕の世界に招待するよ。霧島武明さん。せめてもの手向けに、ね」