7、【運び屋、赤】
空港で荷物を受け取る。
ベルトコンベアーに乗って運ばれてくる荷物を、不思議そうな眼差しで見つめている少年がいた。荷物が不思議なトンネルの中から次々と出てくるのだ、初めて見るのなら不思議に思うのは当然だろう。霧島は少年に倣って、その暗闇の中を見つめてみた。
ふと、今の自分の境遇とその状況が重なった。俺は今、何かをあいつから、死んだ親友から受け取ったのかもしれない。コンベアーに乗って出てくる荷物を取ってもいいし、廃棄するのならこのまま流せばいい。あいつはその選択肢を俺に残したのだ。
逃げ出すことは、お前自身が許さないかもしれないが、
親友の声が蘇る。
最初から心は決まっていた。ここまで来て逃げ出すわけにはいかない。ベルトコンベアーから霧島の荷物が出てきた。親友の死を、彼が目指したものを見るまで、俺は引き下がるわけにはいかないんだ。
霧島は流れてきた自分の荷物を手に取った。
暗転
周りの景色が、一瞬にして黒く染まった。
音すら聞こえない、無音の闇。
霧島は動揺する。ブレーカーが落ちたのか?
いや、違う、そうじゃない。
霧島は冷静に周りを見渡した。ただ電気が落ちたというだけなら、しばらくすれば目が慣れるものだ。何か見えないだろうか?しかし彼の目に映るのは、黒、その色だけだった。音も相変わらず聞こえない。鼓動が早くなる、その音だけが彼の耳に届いていた。
明転
先程まで暗闇の中にいた、にもかかわらず、目が眩しさを感じなかった。周りを見渡す。元の場所、空港の荷物受け取り口にいるようだ。
だがそこに人はいない。
どれだけ見回しても同じだった。さっきベルトコンベアーを不思議そうに眺めていた少年も、後ろから付いてきていたはずの成田も、跡形もなく消え去っていた。荷物を乗せずに回るベルトコンベアーの音が聞こえる。人間以外の機械は暗転の前と同じように作動しているのかもしれない。
「主に触れるな。」
男性とも女性ともつかない不思議な高さの声が響く。振り返ると、自分の三メートルほど先に、何か、が立っていた。
黒いハイソックスと白いパーカーを身にまとったそれは、女性のようにも、男性のようにも見えた。フードを被っていて顔までは見えない。だが、それの首元には肩まで伸びた髪の毛と共に、乾いた血潮のようなものが見える。
「主に触れるな。」
もう一度、その、何か、は同じ言葉を繰り返す。その言葉は霧島に、不思議な圧力をもって伝わってきた。説得力の方が近いのかもしれない。彼、もしくは彼女が発した言葉は、霧島がもう引き返せないところまで踏み込んでしまったことを示唆していた。
「大丈夫ですか?」
気が付くと成田が心配そうな眼差しで霧島を見つめていた。
周りを見回すと、人も、ベルコンベアーの上の荷物も、それを不思議そうに見つめる少年も、全てが元通りになっていた。
幻覚、か。俺も老けたものだな。
そう思いたかった。
霧島の視界の端で鈍い光がちらつく。
Ms. marryのところに行くのだろうと、すぐに予想がついた。
真っ青の水平線の上で、先を歩くアベルの背中を見る。
肩がほとんど揺れていなかった。
彼の肩はまっすぐなまま、水平線と平行を保ったまま前へと進んでいく。全身の動き全てに、一切の無駄を感じない。それは一種の美しさとして、違和感としてこの世界と調和していた。
遺跡のような建物、Ms. marryの住居が近づいてくる。
「こっち、早く。」男の右手が強く引かれた。
何が起こったのか分からない。男は混乱する。だが自分の手を取る白髪の女性を見たとき、それが光莉であることと、このままアベルに付いていくことが危険なのだ、ということが分かった。手を引かれるままに彼女に従う。
だが、と思う。見渡す限りの水平線、明らかに逃げる側の方が不利なはずだ。このまま走り続けたとしても自分が直面する現実は変わらない。どのみち捕まる可能性が高いだろう。恐る恐る、走るペースを落とさないように気を付けながら後ろを振り返ってみる。
その瞬間、
赤転。
世界の青が、赤に変わった。
空が赤い。水が赤い。靴が赤い。髪が赤い。男と光莉を包み込むすべてが赤かった。後ろから追いかけてくるものは無い。しかし、この世界の色の変化を無視するわけにはいかなかった。何かあるはずだ。俺を追わないなら、それに匹敵する、もしくはそれ以上の何かが…
「大丈夫だよ。」前を走る光莉が言う。女性とは思えないほど足が速い。
「運び屋も、コミチも、今はあなたを追うことができないはずだから。」
運び屋、コミチ、両方聞き覚えがある単語だった。それは元居た世界で自分が何か接点を持っていたものだ。それもとても重要な関係性で。彼女は続ける。
「今からあなたをもとの世界に返してあげる。でもその代わり、約束して。あなたが元居た世界で何が起こっているのか、絶対誰かに伝えること。そして、もし身の危険を感じた時は、絶対に私の名前を心の中で叫ぶこと、いい?」
彼女の言葉は再び、男に対する暗示となって彼の中に染み込んでいった。
「会わせたい人がいるの。」そう言って彼女は足を止め、何かを考えるようにしながら指を鳴らした。
すると、足元に薄く張った水が噴水のように高く噴き出し、男の身長ぐらいまでがシャワーのように水しぶきで覆われた。男は一歩二歩後ずさる。それは恐ろしい光景だった。世界のほとんどが元々青かった世界だ。色が置き替えられた今はほとんどが赤い。故に、その水しぶきは人の血液のようにも見えたからだ。
水の勢いが収まると、その中から一人の男が姿を見せた。顔を見合わせた二人の男の表情がみるみる変わっていく。
「隆史…なのか?」男は恐る恐る、水しぶきの中から現れた男に聞いた。
人影がゆっくりと頷く。