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献花  作者: 刻野 海
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5、【二面性、光莉】

沖縄の美しさは、自身の経験なくして到底語れるものではないだろう、と霧島は思う。

 沖縄の地を始めて踏む霧島にとって、実際のところ沖縄の美しさというものは、新聞や雑誌やテレビの中にしか存在しないものであり、もはやフィクションに近しかったのだが、どうやらその存在を認めない訳にはいかないらしい。

 目の前に広がる沖縄の海は、明らかに霧島の想像を絶していた。

 浅瀬の海底に沈む貝殻や砂が見えるといった程度のものではない。明らかに霧島が今までに見た海とは、その透明感も、その色も、その香りでさえもすべてが違っていたのだ。この季節でもここだけは夏の風が吹く。湿気を含んだ潮風が気持ちよく霧島を撫でた。

 霧島は改めて美しい海を見つめる。この色を何と表現すればいいのだろう。エメラルドグリーンと表現するには色が薄く、だからと言ってその色は深い青色でも薄い青色をしているというわけでもない。そんなくだらないことを考えていると、ふと霧島の頭をある表現がよぎった。

 スカイブルー、日本の、特に京都のような密度の濃い緑の上にさっそうと広がる空の色。

 万物の根源は、と思索を巡らせた古代ギリシャの哲学者たちの心情が少しわかった気がした。彼らが見ていたものと今霧島が見ているものはもちろん異なるものなのだろうが、海と空は、空と森は、同じものから生まれた兄弟のようなものなのかもしれない。


「どうして沖縄なんですか?」

 あの居酒屋で出会って以来、何かと霧島に関心があるこの若い刑事、成田は今回の沖縄への調査にも同行すると言ってきかなかった。元刑事とはいえ今は一般人である霧島を監視する目的もあるのだろうが、彼の目を見ているとそれよりもむしろ重要なことがあるのだろうと霧島は推測する。彼の目にあるのは、あの話への、情報屋に聞いた奇妙な像についての純粋な興味だけだったからだ。

「沖縄にはまだあまり知られていない歴史がある。」霧島は観光客も多い海岸線から少し離れながら言う。

「確かにこの美しい光景の裏には、沖縄戦、米軍基地、本島からの隔離などの問題があると思います。僕が今、頭に思い浮かべられたのはそれだけでした。他にはどういうことがあったのでしょうか?」

 この若造は、と霧島は少し驚いた。沖縄というものに対して観光のイメージだけを持っている若者は昨今珍しくない。むしろそれが大多数の時代だ。その時代の渦中にいるものが忘れ去られた負の歴史をさらに詳しく、さらに正確に知ろうとしている。その意思の炎は決して消すべきではない。霧島は沖縄の負の歴史を、沖縄に住む彼らにさえあまり知らされていなかった事実を語り始める。

「沖縄はかつて、極東における核兵器保存、訓練、配備の拠点だったんだ。」


 非核三原則がまだできていない頃、沖縄には1300個を超える、広島や長崎に投下された原子爆弾と同等か、それ以上の威力を持つ核兵器が、確かに保管されていた。

 この事実を知っている人間は極端に少ない。否、その事実を知らされていなかった人間が多すぎるのだ。この情報を握っていたのは日本でもごくわずかな人間と、アメリカ軍の高官、それにその実験にかかわった米兵と発射スイッチを握る人間だけだった。ゆえにこの情報が明るみに出たのはごく最近の話なのだ。

 この件については様々な事実が判明しつつある。例えば、ケネディ大統領の功績をたたえる一つの要因にもなったキューバ危機、あの時、沖縄には発射準備が整えられた核兵器、この威力は広島と長崎の70倍にもなるのだが、それが配備されていたという事実や、発射実験の時に使われた核弾頭が不発弾として沖縄の美しい海に眠っているという事実、そして同じく発射実験の時に起きた事故で、沖縄県民が一人死亡しているという事実だ。

 この事実が沖縄県民に知らされたのは2017年後半になってからだ。もちろん事故で亡くなった遺族にも、何一つとして知らされていなかった。なぜここまで沖縄県民が苦しみ続けなくてはならないのだろう?なぜ沖縄の人々がここまでの負担を、恐怖を、諦めを、絶望を負い続けなければならないのだろう?


 霧島は語りながら、自然と自分の拳が固く握られていることに気づいた。

「…知りませんでした。」そう言う彼は少し落ち込んでいるようにも見えた。

「ほとんどの人間が知らないでいることだ。仕方ないといえば仕方ないだろう。だがだからと言って、知らなくていいことじゃない。何かあった時にも、何もない時にも、常に頭に置いておかなければいけないことだ、俺は思う。たとえそれに対して成す術がなくても、だ。」霧島は果てしない水平線を見る。空と海の境界線、さらにその先を見つめる。この海は人間の全てを知り、それでもなお人間を包み込んでいるのだ。

「それを踏まえて考えると、核の神は沖縄に棲む、成程納得がいきますね。」

 霧島は何かをメモしている成田を再び見つめる。沖縄に住んだこともない、戦争を経験したわけでもない俺が、こんなことを語ることは、今苦しみ続けている人々への冒涜だと、この事実を知ってからずっとそう思っていた。だがこうやって知る者が知らないものに情報を、その苦しみのわずかな一部を伝えることには意味があるのかもしれないな。今やっとそう思えるようになった。霧島は伸びをして潮風を胸いっぱいに吸い込んだ。この風を俺は一生忘れない。



監獄、そういう印象を持った。

ショッピングモールが西洋の監獄をモチーフに作られたという話を聞いた時は、何という皮肉だ、と思う余裕があったが、今はもちろんそんな余裕がない。今回は文字通りの監獄に住めと言われたのだから。

アベルに案内され、男はこの世界での住居に連れていかれた。連れていかれた、というよりは建物が足元から現れたのだ。現れた建物は、例えていうなれば、そこにはショッピングモールに立ち並ぶ店、その場所に店の代わりとして個室になった住居がいくつもある、といった感じだった。だが空から降り注ぐ青白い光のほかに照明はなく、鉄格子のような部屋の入り口が、錆びた鉄でできた階段が、海底に沈む沈没船のような印象も与えていた。幻想的な光景ではあるのかもしれないが、この中に住むというのは気が引ける。男はその場所から立ち去ろうとした。

「どこへ行くんです?」

 アベルの優しげな声が、今となっては狂気さえ感じるその声が男を制した。無断で出て行くことは叶わない、そう思い知らされる。その為の設計なのだろう。アベルに文句を言おうとしたが姿が見えない。俺のこういう行動もすでにお見通しというわけか。しぶしぶ自分に割り当てられた部屋へ向かう。


「おじさん、無理に出て行かない方がいいと思うよ」

 自分の部屋の鉄格子、ないし入口の前でため息をついていた時、二つ隣の部屋から声がした。聞いたことがない、若い女性の声だ。

「別に、逃げようなんて思ってやしないさ。この設計にされたら逃げる前にとっつかまっちまう。」男は頭を掻く。イライラの原因は、また声の主が姿を見せないことだ。

「この部屋の話をしてるんじゃないよ。この世界から、ってこと。」二つ隣の部屋から声の主が姿を現した。

 白い髪、左右で違う目の色、ヘッドフォン、制服、片手に持った古い型のゲームコントローラー、男はめまいを覚える。この世界はこんな鮮やかな色彩の人間ばっかりか。この中で普通の「おじさん」な俺はいったいどう見えているんだ?

「私は光莉、ここの住人だよ。今日からよろしくね、おじさん。」

 この声の明るさとは対照的に、彼女は無表情のまま男を見据えていた。

 射竦められる。警戒心を持つ以前の問題だ。彼女に対して畏怖しか持つことができない。何故だ?なぜこんなにも体が動かない?

「アベルが信用できないなら、私を信用してくれればいいから、何かあったら頼ってね。」彼女は男に暗示をかけるようにそう言った。

 この後、彼女の暗示は意外なところで役に立つことになる。


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