9.死神VS魔女
前話より、少し時間が進んでいます
陽だまりの中、まどろみから抜け出す。
太陽は頂上を通り過ぎ、少し傾いた場所で輝いている。
骸になった巨大ザリガニの上で、寝転んでいた俺はフードを外し周囲を見回す。
焼け焦げて無残な姿になった森と、地面に転がった岩が見えた。
あの後、残りの大蟹の全ての生命力を吸収し、退治した。
その後、精神的な疲労を感じて、眠ることにしたのだ。
巨大生物の身体の上で眠ることを、一度は妄想したことがあり、倒した巨親蟹こと巨大ザリガニの背中にわざわざ登りその上で眠った。
巨親蟹の骸が、崩れるほど劣化せずに、残っていたからこそ出来た事だった。
多分、中身だけが朽ちて、分厚い甲殻だけが残ったのだろう。
関節部分や甲殻の隙間からは、干乾びた肉が見えていた。
適度な固さの甲殻の上に、寝そべった感覚は格別だった。
何か巨大なものの一部になったような感覚。
映画のヒロインにでもなった気分。
切っ先を甲殻に突き刺して、引っ掛けていた鎌を引き抜き、立ち上がる。
降りる場所に、大蟹などの魔物がいないか確認して、降りる。
さて、どうするか?
巨大モンスターを倒せるほどの力が俺にはある。
凶暴な魔物と出会って、殺されるという危険性はかなり低い。
昨日の戦闘から、ドラゴンとか魔王みたいな強そうな存在が出てこない限り、負けない自信を得ることが出来た。
俺がこの世界で何をするかって事だ……。
……というか、何が出来るんだ?
体験した事を思い起こして、この世界の事を考える。
破滅に瀕した荒廃した世界ではないこと、滝壷で人と獣人を見たから人型の生物が存在していること、大蟹みたいな凶暴な魔物がいること、魔法や火炎ブレスなどの不思議な力を使う存在がいること、俺が相手の生命力を吸収して倒せること、などは分かっているがそれ以外の情報は全くない。
「とりあえず村かな?
コミュニケーションが取れる相手と情報交換できるといいが……」
そういえば、滝壷で出会った天使が使っていた言語は、全く理解できなかった。
もしかしたら、この世界の言語を一から学習しなくちゃいけないのか?
俺は他国の言語をまともに勉強してこなかったので、少し焦った。
言葉を喋れるようになったとはいえ、互いの言葉を理解できるかが問題だ。
まあ、最悪ジェスチャーや、指差しで何とかなるだろう。
楽観的に考える。
なるようにしかならないのだ。問題は起きてから考えよう。
歩きやすいように鎌を持ち直し、森の中を歩き出す。
しばらく歩いていると、踏み固められた道に出た。
なんとなくの方向へ足を進める。
行き止まりなら戻れば良いし、どっちかはどこかへ繋がっているだろう。
昨日から今日にかけての異世界生活で、俺について分かったことが五つある。
一.基本、腹は減らない。生理現象は起きない。時間経過と共に俺の力がほんの微かな分だけ減っていく。
ニ.眠ることは出来る。でも、眠らなくても問題なさそう。
三.黒煙や黒布を出現させると、時間経過によるものよりも多めに力が減る。
四.樹などからドレインしても、黒布一本分くらいしか力は吸収できない。
五.人間的な肉体がないにもかかわらず、生前と同じく五感がある。
以上の五つから、生命力を吸収していれば、殺されない限り、簡単には死なないだろうという結論に達した。
それでも俺の体には、まだ理解しきれていない部分がある。
いきなり声が出るようになったのも、ローブが出現したのも、黒煙や黒布を出せるようになったのも、理由は分かっていない。とにかく分からない事だらけなので、分かる範囲だけでも覚えておこうと決める。
生者の生命力を吸収しないと、正気を保てないとかだったらどうしよう。
そんな事を考えながら進んでいたら、後ろから何かが空を切る音がした。
振り返ると、小さめの投げナイフが目の前にあったので、鎌で弾く。
どうやら、後ろからナイフを投げつけられたらしい。
「おいっ! てめぇっ! あいつらを何処へ連れて行った!?」
揉み上げの長い男と、髭面の男が、こちらへ駆け寄ってくる。
あれ? 今、言葉の意味分かったよね!?
「あいつらを何処に連れて行ったか、って聞いてるんだよ!」
揉み上げ男はローブの首元を掴んで、引っ張った。
あいにく俺の力のほうが強かったので、男の方が引き寄せられる形になる。
よく見ると、揉み上げの男はあちらこちらを怪我している。
後ろで、メイスを構えて俺を威嚇している髭の男も、鎧のあちこちが焼け焦げ、割れている。髭面の男は兜をしていない。
「あいつら?」
つい、オウム返しに聞き返してしまう。
「お、お前がナイトキングの手下だって事は判ってるんだ!」
髭の男がまた理解できない事を言う。
「赤毛の騎士と猫耳の傭兵だ!」
揉み上げの男が俺の問いに答える。
あれ? 俺の言葉、通じてる!?
「この、クソ野郎がっ!」
苛立っていたのか、揉み上げが拳を振るう。
俺は黙ってそれを顔で受け止めた。
骨と拳がぶつかる音が響く。
俺の中から黒布四本分ほど力が減った。
だが、痛みはほんの少しだ。
俺は揉み上げの顔を睨みながら、こう言った。
「ナイトキングとやらも、あいつらとやらも知らん。用件はそれだけか?」
どうやら随分と慌てているらしい。
骸骨の魔物を恫喝するほどに。
俺はこのニ人を脅威と思っていなかった。
巨親蟹の燃炎岩に比べれば、拳一つなど蚊に刺された程度だ。
それに、その気になれば人間二人など、ドレインして終わりに出来る。
体がモンスターになっている所為なのか、激しい戦闘によって気性が荒くなったのか、多分自分を強いと認識していることが、自信の裏づけとなっているのだろう、前世では考えられないほど俺は強気で他人と話せるようになっていた。
「う、嘘を言うと為にならないぞ!」
髭面の男が声を張る。
「知らないものは、知らない」
揉み上げ男から顔を逸らさずに言う。
「お前――」
「取り込み中かしら?」
揉み上げ男の言葉を遮るように、上空から声が掛けられる。
視線を向けると、緑のドレスを着た少女が空中に浮いていた。
うおっ! すげぇ! 空を飛んでいる!
現実に空を飛んでいる人間を見るのは初めてだ。
画面の中でならマジックなどで何回かあるが、実際に見ると不思議感倍増だ。
「くっ!」
俺を殴った揉み上げ男は、手をローブから放すと後ろへと下がった。
素早く腰の裏から短い剣を引き抜くと、逆手に構える。
髭面の男もメイスを構え、揉み上げ男の横に並んだ。
「キフリお姉さまに、逃げ出した間抜け面の男達を殺して来いといわれたんだけれど、あなた達で合っているかしら?」
少女は空中に座るように腰を下げる。
足を組み左手を頬に添えると、見下ろしながらそう言った。
あ、結構可愛い。
新人アイドルなら、すぐに固定ファンがつきそうな顔である。
「クソがぁッ……」
どうやら揉み上げ男の口癖は『クソ』らしい。
お下品な喋り方をするなよ、雑魚に見えるぞ。
「まあ、いいわ。どっちにしろ殺すんだから」
少女は座った姿勢のまま、片手を前にかざした。すると、俺と男達の周囲にある地面から、緑の蔓と、太い灰色の蔦のような木々が生えてきた。
そして、それらは複雑に絡まり人型になった。
人型をした植物の魔物、蔦樹人間とでも呼べばいいだろうか。
それが俺達を取り囲むように十体ほど出現した。
どうにも昨日に続いて、取り囲まれることが多いな。
これも前世の行いが悪かった所為なのかもしれない。
蔦樹人間は俺と男達に襲い掛かって来た。
俺は蔦樹人間の遅い攻撃を、ひらりとかわし少女に話しかける。
「おい、そこのお嬢さん。」
少女は空中で自分の爪を見て、ささくれを探している。
何の理由があって俺を攻撃してくるのか聞きたいのだが
話を聞く気はないようだ。
「一応言っておくが、俺はそこのニ人とは無関係なのだが?」
少女は俺の方向に一瞬視線を向けたが、すぐに興味を失くし、今度は髪の先を弄くり枝毛を探し始めた。
なるほど、興味なしか……。
どうせ空中に浮いてる時点で人間じゃないんだろうし、蔦樹人間を使役して攻撃しているのだから反撃しても問題ないな。
蔦樹人間が棍棒のように先が丸く太くなった腕を振って、攻撃してくる。
俺はその腕に鎌を横からぶつけて逸らす。
後ろから、金属の鎧が太い樹にぶち当ったような音が響く。
髭面の男が吹き飛ばされたようだった。
揉み上げの男が何か喚いている。
俺は水中にいる蛸のように、足元から一気に黒煙を吐き出した。
黒煙が俺を中心にした円状に広がり、足元が一瞬で真っ黒になる。
倒れていた髭面の男が黒煙にのまれ、パニックになり、揉み上げ男が更に叫ぶ。
黒煙が一番端の蔦樹人間にまで届いたのを確認する。
黒布を大量出現させる。俺は黒布を全ての蔦樹人間に絡ませ、その身を覆った。
蔦樹人間は黒布を破こうと抵抗するが、黒布は千切れない。
それどころか、身動きも出来ないようだ。
どうやら、巨親蟹を倒した事で、黒布がより丈夫になったらしい。
「ちょっと、何よそれ!?」
上空の少女が初めて反応を示し、組んでいた足を崩して、宙に立ち上がった。
持っていた鎌を横に薙ぐ。
身動きのとれなくなった、目の前の蔦樹人間を黒布ごと鎌でドレイン。
黒布にドレインを発動した鎌の刃を通しても、黒布が破れないのは、巨親蟹の時に確認している。なので、躊躇なく刃を通した。
すぐさま鎌を斜めに構え、駆ける。
鎌を横に振りかぶって、途中で止めたような姿勢のまま高速で走る。
動けない蔦樹人間の体に、刃が当るようにすぐ側を通り抜ける。
俺の横から飛び出した刃が、蔦樹人間の体に引っ掛かるように通過した。
一体の横を通り抜けたら、次の蔦樹人間の横へ。
身動きのとれなくなった蔦樹人間を、連続で引っ掛け、切り抜ける。
討ち漏らしが無いようにニ、三、四……と数えながら、蔦樹人間の横を通る。
全ての蔦樹人間の横を通り抜けた後に立ち止まり、黒布の束縛と黒煙を解除した。
黒色の覆いが霧散し、人型の植物モンスター露わになると同時に、乾いた薪が割れるような音が、複数鳴り響いた。
それは、全ての蔦樹人間が生命力を吸い尽くされ、砕け散る音だった。
俺は驚愕している少女を睨み上げ、こう言った
眉毛も皮膚も無いので、表情の変化はなかっただろうが。
「さて、俺を襲った理由を聞こうか」