6.逃げない決意
視界を無くした巨親蟹は大きく長い触角を動かし、俺を探している。
大蟹は獲物を捕らえたことを誇るように、巨親蟹に俺を掴んだ鋏を差し出す。
「ギチチ、ギチチギチ」
俺を掴んでいる大蟹が、巨親蟹に向かって鳴く。
まずい、こいつら会話できるのか!?
大蟹の鳴き声から何かを確認したのか、触角を動かすのを止めた巨親蟹は、俺の目の前に移動する。
巨親蟹はその鋏を振り下ろした。
「ギュァッ!」
大蟹は、まさか自分ごと攻撃されるとは思っていなかったらしく、驚愕の鳴き声を上げながら潰される。
俺も大蟹の鋏に掴まれたまま、巨親蟹の鋏に押しつぶされた。
大蟹に叩きつけられた時よりも、強烈な痛みと大きな力の消失を感じる。
だが、大蟹が叩き潰されたことで、俺を拘束していた鋏が弛んだ。
両腕に力を入れて鋏をこじ開けると、転がるようにその場から逃れる。
巨親蟹は俺がいなくなった事を確認できず、同じ場所を何度も叩いている。
下にいた大蟹はもはや原型をとどめていなかった。
周囲を見回すと状況が一変していた。
いつの間にか大蟹達は円状の包囲網を解き、戦いに参戦している。
近くにいた大蟹が俺を見つけたらしく、迫ってきた。
俺は一瞬逃げようとして、その考えを振り切り、大蟹に向かって走り出す。
逃げてたまるか、俺は逃げない……。
嫌なことから逃げてきた前の人生を思い出す。
逃げないと、逃げたくないと強く思う。
まだ、負けたわけじゃない。たかが攻撃をくらっただけだ。
あれだけ大蟹を倒しておいて、あれだけ巨親蟹に攻撃しておいて、自分が少し攻撃されたからといって逃げ出すのは、何というか情けないとも思った。
少し後ろを振り返る。
巨親蟹は触角を動かして、俺を仕留めたか確認しているようだ。
こちらに気付いた様子はない。なら、全力で目の前の大蟹を倒す。
大蟹は俺を確認すると動きを止め、ニ本の鋏を開くように構えた。
走りだしてすぐに気がついた、移動速度が攻撃を受ける前とさほど変わらない。
どうやら大蟹を多く倒したことで、幾分かの力のストックがあったらしい。
滝壷で魔法攻撃を受けた時ほど、疲弊してはいないということだ。
しかし、同じ攻撃をもう一度くらったらどうなることか……。
大蟹に捕まれば、また同じ結果になる可能性が高い。
不安と恐怖を振り払うように、更に両足に力を入れて走る。
大蟹は俺を挟むように、鋏のついた両腕を左右から伸ばしてきた。
俺は鋏が交差する直前で、地面を蹴り跳躍する。
二つの鋏が空を切り、衝突する。
大蟹を飛び越えた後、すぐさま振り返り背中に飛び乗った。
両腕で背中に触れ、一回のドレインで大蟹の命を吸い尽くす。
「ギギギィィッ……」
身を震わせ、倒れた大蟹の体が、朽ちていく。
偶然、俺の視界に入った巨親蟹が叫び声に気付き、こちらに顔と触角を向ける。
俺はすぐさま別の場所へ移動した。
巨親蟹と戦って分かった、今のままでは奴に勝てない。
視界は奪ったが、燃炎岩や四つの鋏が強すぎる。
加えて動きが速い。
俺の走りでは、簡単に後ろを取ることが出来ない。
出来たとしても、すぐに体勢を変え攻撃してくるだろう。
先程は、目玉だけをドレインする事に、成功した。
だが、全ての生命力を奪うにはもっと時間が掛かってしまう。
その間耐え切る自信が無い。
ならば大量の生命力を吸収して、強くなって挑むべきだ。
燃炎岩によって焼かれ、炎がくすぶっている木の近くにいた、大蟹に飛び乗る。
片手を押し当て、一気に生命力を吸収する。
大蟹が倒れるその姿を確認せずに、その場を離れた。
先程飛んできた燃炎岩の破片は、未だに煙と熱を放出していた。
だが、森に延焼するような状態にはなっていない。
俺を見つけた大蟹が炎を吐く。
それを避け後ろに回りこみ、背中に触れてドレイン。
一瞬で命を奪い己の力とする。
無防備な大蟹を見つけては生命力を吸い尽くし、場所を移動する。
大蟹はそこかしこにいるので、獲物の選別に不自由はない。
巨親蟹は俺の居場所が分からず、見当違いの方向を攻撃している。
連続で五匹の大蟹を屠った時に、俺の体に変化が起こった。
骨から黒い霧が溢れ出てきたのだ。それは、より濃厚な色となり、煙のように変化すると、俺に纏わり付くように渦を巻く。
走りながら、俺の両腕に巻きついた煙を観察する。
痛みや不快感は無い。
渦は段々と収束し布へと形を変えた。
さらに、布は繋がり、俺の体を覆う服へと変わっていった。
それは巡礼者が着るような、フードつきで繋ぎのローブだった。
益々死神の姿に近付いた俺だったが、どんな効果があるのか分からない。
だが、この姿になった途端に移動速度が増した。
更に速く走る俺の前に、落とした鎌が転がっていた。
どうやら、周囲を一周してきてしまったらしい。
一時的に速度を落として、鎌を拾う。
すると拾った直後に、後ろから炎が吹き付けられた。
またもや、気付かない内に後ろを取られてしまったのだ。
前転するように転がり、火炎ブレスから逃れる。
俺は背中に焼けるような痛みや、熱を感じなかった事に気づく。
どうやら、ローブには敵の攻撃をある程度防いでくれる効果があるらしい。
そうと分かれば怖いものはない。
素早く振り向き、俺を襲った炎を吐き続ける大蟹を睨む。
フードを深く被ると、俺は正面の炎に飛び込んだ。
炎に焼かれ、剥き出しの顔と両手がチリチリと痛むが、酷いほどでは無い。
今まで吸収した力が、少し消費されていくぐらいだ。
そのまま炎を受けながら、大蟹の正面に立ち横薙ぎに鎌を振り切る。
風圧で炎が上下に切り裂かれる。
ドレインにより生命力を残さず吸い上げ、屠った。
俺は吐き出される炎を避ける必要が無くなり、次々と大蟹の命を刈り取っていくことに成功する。
さらに五匹目を倒したところで、俺の側に燃炎岩が着弾する。
衝撃で吹き飛ばされ、余波の熱波を食らったがローブが防いでくれた。
上手く受身を取って、立ち上がった俺の目の前に燃炎岩が降り注ぐ。
だが俺に当たる事は無く、少し遠くへ着弾する。
燃炎岩飛んで来た方向を見ると、巨親蟹が触角を動かしながら連続で燃炎岩を吐き出している姿が見えた。
大蟹の叫び声を聞き取って、そこに燃炎岩を打ち込んでいるらしい。
まだだ、まだ足りない。あの巨親蟹を確実に倒すには力が足りない。
俺は燃炎岩が飛ぶ森の中を、再び駆け出した。