4.転がる奇跡
大蟹の太く丸い鋏が一本の木をなぎ倒した。
枝や葉で覆われていた上空が開かれ、月の光が差し込む。
月明かりの中、俺は姿勢を低くしながら駆け抜ける。
振り下ろされる幾多の大きな鋏を潜り抜け、木や蟹が少ない場所へ移動する。
走る速度はさっきの大蟹を倒す前より、格段に速くなっていた。
ちょうど背を向けていた大蟹の背に飛び上がり、張り付く。
すぐさまに生命吸収を発動した。
「ギギャガアアァァッ」
大蟹は震えるように身動ぎした後、ぐったりと倒れこんだ。
俺のドレインは吸収した生命力分強くなって、強力になり、一瞬で相手を動けなくするほどになっていた。
倒れこんだ大蟹はまだ絶命してはいない。だが、相手の命を吸い尽くすほど長い時間一定の場所に居続ければ、すぐに囲まれてしまう。
その証拠に左横に回りこんで来た別の大蟹が、その鋏を振り降ろしてきた。
背中を掴んでいた俺はとっさに動けなかったので、ドレインを発動したまま鎌を振りその鋏にぶつける。
予想していなかったことが起きた。
鎌が大蟹の固い甲殻に弾かれずに、そのまま突き抜けたのだ。
大蟹の鋏を切り裂いたのではない。
手ごたえはあったが、鋏に傷をつけることなく通り抜けたのだ。
「ギイガァァ!」
俺の目の前にあった大蟹の鋏が、一瞬で干乾び千切れる。
これは……。
俺はすぐさまに、片腕が無くなった大蟹の後ろに回り込んだ。
鎌の刃が下になるように振り上げ、垂直に飛び上がる。そして、ドレインを発動しながら唐竹割りのように真っ直ぐ、大蟹の背に向けて鎌を振り下ろした。
「ギュアッ――」
先程と同じように、鎌の刃は大蟹の体をすり抜け、地面に軽く突き刺さった。
同時に蟹の体から一気に色が抜け、一瞬で干乾び崩れ落ちる。
なるほど、魂を狩る死神の大鎌って事か……。
相手の生命力を吸収する感覚が広がる。
体の中に力が漲っていく。
「……ク…ック……」
――何かが鳴ったような気がした。
ワラワラと大蟹達が俺に押し寄せてくる。
仲間の敵をとろうとしているのか、それとも俺を美味そうな餌だと思っているのか、どちらにせよ逃がしてはくれなそうだ。
俺は鎌を地面から引き抜き走り出した。
夜さらに暗い木々の陰に隠れるように疾走する。
側を通った何匹かが俺に気付き、その丸く大きな鋏を振り俺を潰そうとするが、その何匹かの中に俺の骨に触れられた奴はいなかった。
俺の方を向いておらず、かつ俺に気付いていない大蟹を狙って、鎌を振るう。
相手は何が起こったのかも分からず、一瞬で干乾び朽ち果てる。
「……ク、クク……」
――どこかで誰かが笑っている。
そうやって何匹かを屠った後、一匹が炎を吐いた。さっきまで密集していた為、仲間を巻き添えにしないよう、炎を出すのを躊躇っていたらしい。
しかし、仲間が次々に殺されるのを見て焦ったのだろう。それは連鎖し、大蟹達は各々の前に開けた空間があるのを確認してから、炎を吐き始めた。
どうやら、この世界の魔物は、それなりの知性があるらしい。
炎によって周囲が照らされ、俺の姿が闇に浮かび上がる。
何せ白い骸骨だ。すぐに気付かれ、あっという間に囲まれてしまった。
俺を取り囲んだ四匹の大蟹が両腕の鋏を振り上げ、一気に振り下ろした。
ほんの少しの差で、八本の鋏を飛び上がって避けることに成功した俺は、両手で持った鎌を円を描くように振り回す。
遠心力によって体が横にぶれる。
「「「「ギュクァアアァッ!」」」」
鎌の刃が四匹の大蟹を通過し、その命を刈り取る。
俺は少しふらつきながら何とか着地に成功し、目の前にいた別の大蟹の火炎ブレスを横に飛んで避け、また走り出した。
「クハハハハ……」
――また、笑い声が聞こえる……。
一匹、また一匹と大蟹を鎌で刈っていく。
大蟹が倒れる度に俺に力が流れ込んでいく。
力が溢れる。その力を使って新たに命を刈る。
その命が俺の力になる。
負ける気がしなかった。
どれだけ多くの数の敵が現れようとも、どれだけ窮地に立たされようとも、俺が相手を倒し、その命を俺の力とする。
「ハァーッハッハッハッハッハ!」
――笑い声は俺から出ていた。
いつの間にか、俺は声を出して笑っていた。
先程までは頑張っても出なかった声が、自然と漏れていた。
大蟹の命を吸収して俺に何かが起こったのか、それとも俺がこの体に慣れてきたお陰なのか、原因は分からないが俺は声を出して笑うことが出来ていた。
転生? 馬鹿げている。
異世界? 馬鹿げている。
命を吸い取る能力? 馬鹿げている。
死神の大鎌? 馬鹿げている。
とっくの昔に夢を見ることは止めていた。
子供の頃描いた最強のヒーロー、少年の頃憧れた不屈の戦士、青年の頃目指した幸せな生活、大人になって目標にしたまともな大人、中年の頃切望したありふれた日常、どれも実現しなかった。
こんな筈は無いと、きっかけがあれば変われると何度も思った。だが、どれだけ願っても、どれだけ望んでも、どれだけ祈っても、前世ではそれは起きなかった。
やがて現実に慣れ、自分の無能さに呆れ、努力もしなくなっていた。
あるのは自己嫌悪をすることで、バランスを保つ日々。
それが人生が終わった後に、当たり前のように目の前に転がり込んできた。
夢見たような出来事が目の前にあった。
人生をやり直せるのだ。新しい世界で、新しい自分として。
これを笑わずにいられるだろうか。
やっと俺に奇跡が起きたのだ。
やっと俺は尊厳を取り戻せるチャンスを得たのだ。
こんな馬鹿げた最高の奇跡を、体験している俺が笑わなくてどうするのだ。
「クハハハハハッハ、アッハハハッハハッハハ!」
俺は笑いながら鎌を振るう。
ひと薙ぎで大きな蟹の命を奪い、その命を己が糧とする。
この世界では、自分を偽らずに生きよう。
この世界では、尊厳を失わないように生きよう。
この世界では、自分を嫌いにならないように生きよう。
どんな事にも負けないように、強くあろう。
俺の笑い声に被さる様に、遠くの木々が薙ぎ倒される音が響く。
その音は段々と近付き、大蟹達の蠢くその奥から、より大きな影が現れた。
主人公は敵の生命力を得ることで強くなり、新しい能力を得る設定です。
鎌で生命力を吸収出来るようになったのは、最初の大蟹を倒したからです。