3.鎌VS鋏
ワシャワシャと音を立てながら、木々の間を何かがこちらに向かってくる。
俺が視認できた時、その生物は大層怒っていた。
枯れていたとはいえ、いきなり頭の上にでっかい木を落とされたのだ。
それは怒るだろう。
そんな感想を持ちながら、相手の姿を確認する。
一言で言うなら蟹だった。
しかし、ただの蟹ではない。ニ本の鋏の他に足が六本。
高さはニメートル近くある。あと、前に向かって移動していた。
つまり、ヤシガニに良く似ていた。
ヤシガニはヤドカリの一種で、横移動する一般的な蟹とは違う。
そんな豆知識を思い出しながら、俺は呆然とその大きな蟹を見ていた。
ゲームに出てきた、モンスターの大蟹が思い出される。
でかい。
ニメートル近い身長を持つ人を見たことがある。
だが、それとはまったく違う印象だった。
何せ横幅もあるので、より大きく見える。
その大きさの蟹がこちらに向かってくる迫力と来たら……。
恐怖より何より、驚きによって俺は身動きが出来なかった。
大蟹は右腕の鋏を振り上げると、一気に振り下ろしてきた。
さすがに俺も身の危険を感じ、横っ飛びに避ける。
丸く太い鋏は鈍い音を立てながら、地面をえぐった。
とっさの動きにもかかわらず、俺は五メートルほどの距離を跳躍していた。
俺を見失った大蟹は、飛び出た目玉だけを動かして俺を見つける。
俺はといえば、その大蟹をどうするかを考えていた。
全力で逃げれば逃げ切れるだろう。しかし、ここが異世界でファンタジーの様な世界なら、俺は他の生命を奪って吸収する骸骨姿のアンデットである。そうであるならば、俺は積極的に他の生命を奪い続けなければ、生きていくことが出来ない。
ここで逃げ出しても、いつかはこんなモンスターと戦う必要が出てくる。
ならば、慣れておく必要がある。
今の自分の身体能力が凄いという自信もあった。
なにより異世界に魔物として転生したという事実を、俺は現実として受け入れていなかった。滝壷で猫耳獣人と出会っても、魔法を顔面にぶつけられても、大きな蟹が目の前に迫っていても、どこか夢心地だったのだ。
だから生命の危機といったものを全く感じなかった。
目の前の出来事を、ゲームをしている時の様に、他人事の様に思っていた。
どんなことがあっても死ぬことはないだろう。
そんな根拠のない自信があったのだ。
だから戦う気になっていた。
俺は鎌を両手で持ち構える。
大蟹は複数の脚を動かし、向きを変えると大きく息を吸った。
俺は素早く動き鎌を横薙ぎに振るった。
カイィン!
金属と甲殻がぶつかる音が響く。
俺の鎌は蟹の鋏に防がれていた。鋏が思いもよらない力で振り払われ、鎌に引きずられる様に俺も振り飛ばされる。
必死に両足で地面を捉え着地する。
そこを大蟹の口から吹き出た火炎が襲った。
顔と体に焼かれるような痛みが奔り、光球を受けた時の様な疲労感が広がる。
状態を仰けに反らせ後ろに倒れて避ける。
転がって土を体にまぶした。
骨が焦げる匂いがした。
くそっ! 炎を吐くなんて反則だろう!
生命力を吸収できる骸骨が言うのもなんだが、火を噴くヤシガニなんて変な魔物がいるとは驚きだ。
大蟹の能力に驚愕しながらも、戦う方法を考える。
どうやら、俺の持っている鎌で、奴の甲殻を傷付けるのは無理みたいだ。
あの硬い甲殻がある限り、俺が出来る戦法は限られる。
先ほど俺がやったこと。
“生命吸収”
あのデカイ蟹の背中に取り付ければ、それが出来る。
攻撃を受けたからか、炎を目にしたからなのか、俺は少し興奮していた。
その興奮が、いまだ残る小さな痛みを塗りつぶしていく。
地面を転がったことで、体に燃え移った炎は消えている。
素早く立ち上がり、回り込むように走る。
俺が先ほどまでいた場所を、再度、炎が襲った。
俺の移動速度は先程より随分と遅くなっていた。
それでも、人間だった頃よりは速かったが。
どうやら攻撃を受けてしまうと、身体能力も下がってしまうらしい。
大蟹は俺を追う様に炎のブレスを吐きながら、ゆっくり体を回転させる。
俺の後ろを追う様に炎が移動する。
気を抜けば炎が追いついてくるだろう。
必死に走って、回り込むことに成功する。
俺は大蟹の後ろから飛び上がり、背中に乗った。
「ギュガァアアアア!」
大蟹は炎を吐くのを止めると、出鱈目に鋏を振り回しながら体を揺すり始めた。
俺は暴れる大蟹の動きによって、上下左右に振り回される。
ロデオするカウボーイの気持ちを味わいながら、必死に背中を掴み、樹に対してやった時の様にドレインを発動させる。
ドクリドクリと俺の中に大蟹の生命力が吸収されていくのを感じる。
だが、まだ大蟹は元気に暴れまわっている。
俺は鎌を大蟹の体に引っ掛け、バランスを取りながら必死に喰らいつく。
俺にとっては長い長い時間が過ぎ、その時がやって来た。
「グキュウゥゥゥゥッ……」
段々と大蟹の動きが鈍くなり、ゆっくりとその体が前のめりに倒れる。
だが、俺の腕からはまだ生命力が流れ込んでくる。
まだだ、最後まで吸ってやる。
この蟹は敵だ。鋏で俺を殴ろうとし、炎で俺を焼こうとした。
ここで倒さなければいけないのだ。
やがて大蟹の全ての色が褪せ、枯れた姿へと変わっていった。
最後の生命力が、体に吸収されたことを感じた俺は、やっとその背から降りる。
干乾びミイラのようになった大蟹の体がボロボロと崩れていく。
残されたのは厚手の甲殻だけだった。
鎌で甲殻を突く。カサリと音を立てて触れた部分が崩れた。
勝てた……。
勝ったのだ。
異世界での初勝利。
自分より大きい化物を倒す事に成功したのだ。
「ギチギチギチ」
勝利の余韻に浸る俺の前に、別の大蟹が現れた。
森の奥から草木を掻き分け、一匹、二匹と出てくる。
どうやら絶命した大蟹の最後の鳴き声を聞いて、同族が集まってきたらしい。
俺は右腕を握り締め、そして開く。
大蟹の生命力を吸収した俺は、身体の中に湧き上がる新たな力を感じていた。
どうやら、俺の力は相手の生命力を吸収すると、増えるらしい。
俺は続々と森の奥から出てくる大蟹の数を見て、心の中で笑った。
俺を目指して、ダース単為の蟹がやって来ている。
すでに、見えている範囲には逃げ場がなかった。
逃げることが出来ないのなら、選択肢は一つしかない。
……いいだろう、相手をしてやるさ。