2.あの世じゃなくて異世界でした
緩やかにカーブしている川に沿って移動する。
木々の先に大きな滝が見えた。
ゆっくりと滝壷に近付いていく。大量の水が落下し水面にぶつかる大きな音と
周囲から感じるしっとりとした冷たさが、段々と強くなっていった。
再度、聞こえてきた声から、女性はニ人だと気付く。
滝壷に大分近付いた時に、その姿をはっきりと認識できるようになった。
そこに天女がいた。
いや、あの世なので、天使なのかもしれない。
一人は肩までの長さで揃えられた、くすんだ赤色の髪をしていた。
女性の証であるふくよかな胸と、鍛えられたウェスト、引き締まった四肢。
格闘家や水泳選手の様な、筋肉質だが軟らかさを感じる、戦う女性の体である。
もう一人は女性というより、野生の動物を思わせるしなやかな体をしている。
髪は栗毛色でショートヘア。
何よりも注目すべきはその耳だ。
髪の毛から上に飛び出した耳には、毛が生えており、猫のそれを思わせた。
ニ人は生まれたままの姿で、滝壷の岸に座っている。
そして、時折楽しそうな笑い声を上げていた。
あれ? 俺はてっきりこの場所をあの世の入り口だと思っていたけれど、本当はもう天国に入っていたのかな?
確認の為に声をかけようとして、声が出ないことに気付いた。
そりゃそうか、息をしていないんだから声も出るわけが無い。
さて、どうしたものか?
赤毛の女性が立ち上がり、こちらを見る。
途端に怒り出し、俺に向かって何かを叫び始めた。
横に居た猫耳天使も、慌てて陸に上がると、どこかへ行ってしまった。
多分、服を取りに行ったんじゃないかと思う。
赤毛の女性は右手を振り上げ、何かを呟いている。
すると彼女の前に光が集まり、球状になった。
俺はただ呆然とその様子を眺めていた。
あれ? どっかで見たことがあるような?
そう、アニメやゲームなどでよく見る光景だ。
赤毛の女性が強く何か言葉を発すると同時に、上げていた右手を俺に向ける。
すると、その光球が凄い速さで俺に飛んで来て、顔面にぶつかった。
弾かれ、仰け反り、体が後ろ方向に一回転する。宙返りしたときのように視界がグルリと回り、俺は膝から着地。少し遅れて顔が地面にぶつかった。
手から離れた大鎌が地面に落ちる。
酷い痛みと衝撃により、頭の中が一瞬だけ真っ白になる。
何が? いったい? 光? 球体? 魔法? これは一体!?!?!
ひとしきり混乱した後、彼女が放ったのは魔法だと認識し、自分が大きな勘違いをしていた事に気付く。
あ、これ、あの世じゃなくて異世界だ……。
ネット小説やアニメなどから、異世界に転生する設定のものは知っていた。
ニートにとって暇な時間を消費する為の娯楽は、必要なものなのだ。
まさか、同じ状況に自分が置かれるとは、思いもしなかったが。
――つまり俺は異世界に骨の魔物として転生して、彼女は魔法が使えて、多分筋肉のつき方から戦士か騎士か、いや、魔法を使っていたので聖騎士か魔法剣士か、それはどうでも良くて、もう一人は獣人だろうな、じゃなくて聖騎士に魔物と認識されている俺は退治されるわけで――
素早く立ち上がり、鎌を拾うと、踵を返してそこから逃げ出した。
後ろから何かを叫ぶ声と、俺に届かず地面で爆ぜる光球の音が聞こえたが、無視して全力疾走でその場所から逃げる。
この世界での俺の身体能力は前世の時と比べると格段に高性能らしく、今まで感じたことのない速さで走ることが出来た。
周りの景色が凄い速さで後方へ流れていく。
俺は足を草や木の根に取られないように走る事で、精一杯だった。
出来るだけ滝壷から離れなければならない。
魔物としてこの世界の住人に退治されるなんて、真っ平御免だ。
人の声のしない場所へ、生物の気配の無い場所へと走り続ける。
結果として、森の深い場所へ辿り着いた。
木々が生い茂り、太陽の光がほとんど遮られ、昼でも薄暗い場所だ。
呼吸がないのに、肉体があったときと同じ、息切れの時のような疲れを感じる。
フラフラと手近な大きな樹に近付き、根元に座り込む。
息を整えるような感覚で、体を休める。
筋肉の全くない体だというのに、疲労を感じるなんて不条理だ……。
少し眩暈がする。空腹感のような、体が足りない何かを求めている感覚もある。
恐らく、あの光球を顔面に喰らったからだろう。
魔物としての体力が減ったのだ。
どこからか、栄養になるものを吸収しなければ、と思う。
しかし、俺に胃袋や腸は無いのだから、何かを食って消化できるとは思えない。
ああ、駄目だ……。
意識が遠退く。
俺は樹の根元で眠りに就いた。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼
――不意に目が覚めた。
夜らしく周囲は真っ暗になっていたが、俺には何故か周りが見えていた。
アンデットモンスターなら、暗視能力ぐらいあるか……。
骨のモンスターといえばスケルトン。
スケルトンといえばアンデットモンスターだ。
恐らく、俺はファンタジーな異世界のスケルトンに転生したのだろう。
ゆっくりと立ち上がる。
左手に重みを感じて視線を向ける。
そこには、あの状況でもしっかりと拾った鎌があった。
よく、走っている間に落とさなかったものだと、自分でも感心する。
鎌を杖のように持ち直し、今度こそしっかりと立ち上がった。
寝る前まで感じていた疲労感や、眩暈は治まっている。
空腹感も幾分かマシになっていた。
ミシリと後ろから音がしたので振り返ると、枯れ果てた大きな樹があった。
真ん中から罅が入っており、いつ倒れ出すかもしれない樹だ。
それは、先ほどまで俺が寄掛かっていた樹でもある。
バキリと決定的な音を立てた後、周囲の木々にぶつかりミリミリ、ザワザワと音を立てながら枯れた樹が後ろへと倒れる。
一本の樹が倒れたとは思えない軽い音を出して、樹が地面へとぶつかる。
枯れた樹は地面にぶつかった衝撃で粉々に砕け散った。
少し考える。
今倒れた樹は、俺が座った時にはしっかりと立っていた。
少なくとも俺が寄り掛かれるほどに。
俺が眠っていた時間が年という単為でなければ、俺が寝ている間に樹が枯れる何かがあったということだ。
そして、それは多分、俺が関係している。
川から上がった時の事を思い出す。
あの時も、俺の周囲の草が枯れていた。
俺は他の樹の前に移動する。
いまだに少し感じる空腹感のこともある、試してみよう。
俺は目の前の樹が枯れたり、腐っていたり、脆くなっていたりしていないか確認してから、右手をその樹に押し当てた。
ドクリと脈打つように、何かが体に流れ込んだ。
ストローで飲み物を飲む時のような、体内に何かを吸引する感触、それと同時に自らの身を満たす力が腕から入ってくるのを感じた。
ドクリ
ゆっくりと、俺が触れている場所から、樹の色が失われていく。
ドクリ
それは放射線状に広がっていき、根や枝、葉っぱへと広がっていった。
ドクリ
やがて、色が完全に失われた部分から、シオシオと枯れていく。
頭上からは枯葉がハラハラと散り、落ちてくる。
ドクリ
最後に樹が枯れ果てる。
自重を支えきれなくなった樹は根元からボキリと折れた。
俺の空腹感は少し軽減し、身体の中に力が湧き出るのを感じる。
樹が先程と同じように音を立てながら後ろへと倒れ、同じように砕け散る。
「ギィガアァァァッ――」
違ったのは、倒れた樹が何かにぶつかり、それが叫び声を上げたことだった。