七 しょう劇
二人目のランは、腹を抱えながら現れた。
「ちょ、あんた! ヤチヨ! カリオ○トロって!」
「ちょっとやり過ぎたっすかね~?」
二人目のランが笑いながら声をかけ、手前にいるランがヘラヘラと答える。
手前のランの口調が変わったが、もっと凄いものまで変わっていた。
姿だ。
手前にいたランが一瞬で消え、小柄な少女に入れ替わった。
リボンを着けた麦色の髪。
獣の耳が生えている。
我が目を疑うとはこの事だったが、冷静に考えれば、この程度もう驚くに当たらない。
「いやー、ゴッメンねー! ちょっとした挨拶のつもりだったんだけどさ、まさかそんな豆鉄砲喰らった鳩みたいに驚くとは思わなくって。そこまで目ぇひん剥いて、口あんぐり開けさせちゃうとはねぇ。いやはや」
ランの姿のままの少女が、あっけらかんと感慨深げに謝ってきた。
「カートゥーンばりの表情だったっスね」
「いやぁ、ハイカラってヤツだねぇ。やっぱ外の人は違うなぁ。うんうん」
何かスゲー煽られている。
「そ、そんなビビったっけ? まぁ確かにね、うん。少しだけ、ほんの欠片ぐらいなら驚いた気がしないでもないかな? うん。まあそれは否めないよね。でもまあもう大体分かったから。あれでしょ? 化けギツネ? みたいなヤツでしょ? それで化かされた、みたいな感じで。いや~、一本とられちゃったな~! まあこれが最後だと思うけどね。もうすっかり慣れちゃったし。次からはもう大概のことじゃ驚けないね」
口を動かせば動かすほど、少女たちのニヤけ面が悪化していく。
「ほうほう、それはそれは」
「とても男らしいッスな~。ヤチヨ、惚れちゃいそうッス……」
「ブフッ!」
カチンときた。
「いやホントに。ホントに慣れちゃったから。もう今朝からずっと色々あったし。来るとき湖の前を通った時なんてもう! その後も色々と……あれ? そういえばそれ以外は特に……いやでも! ホントに慣れたんで! 慣れきったんで! もう何が起きても動じない! そう断言する自信わふぁっ」
目の前に突然、何か黒い影が舞い降り、砂利を吹き飛ばす突風が吹いた。
慌てて顔を手で庇うが、直撃は避けられない。
特に喋っている最中だったので、砂利が口の中に入った。
目を開け、黒い影の正体を確かめる。
サラサラとした黒い長髪。
黒く輝く鋭い目。
高飛車そうな憮然とした顔付き。
新たに少女がまた一人、そこに立っていた。
ランとヤチヨが一斉に笑う。
「わふぁって! わふぁって! 『(キリッ)もう何が起きても動じない! そう断言する自信わふぁっ』って! あっはっはっは!」
「あっひゃっひゃっ! サイコーッス! そのフリからのリアクション最高ッス! あっひゃっひゃっ!」
顔が熱い。
反論したかったが、下手に言い訳すれば傷が広がるだけだと思い止まり、落ちてきた少女に意識を向ける。
「えっと、なに? つまり君も、彼女らの仲間ってこと?」
すると彼女は、憂鬱そうな横目をこちらに向けながら、頭を後方に傾け、見下すような感じで睨んできた(アニメで見たことある!)。
「仲間? 我とラン様がか? 随分と低く見積もってくれるな」
可愛らしい声と対照的に、逆に似つかわしいほどキザったらしく彼女は言った。
「まあいい。真実の光が見えぬ哀れな盲者の手を取って正しき道へと導くのもまた大いなる知恵者の義務だからな。苦言の闇の中で救いを求めて伸ばされる手を我は深き慈悲と哀れみにより救ってしんぜよう」
「……は?」
目を閉じ、陶酔したように話す少女の大仰な台詞に、思考が少し停止する。
とりあえず、その台詞一息で喋れるのは凄い。
呆気に取られる相手をよそに、少女は続ける。
「フッ。我のこの深愛には"残虐なる陰惨な凶刃を持つ冷酷で穏和な凶鬼"と呼ばれた伝説の魔獣、犠縷癌呪痾ですら改心の涙を長し、"深き闇の森の中に灯る一点の眩き"と称された妖精、美縷衣の姫のその金品にしか興味のない凍てついた心をも虜にしてしまったという……」
「自分のことなのに、聞いてきたような説明ですね」
ついツッコンでしまった。
しかし端からツッコミを折り込み済みらしく、少女は呆れたように鼻で笑う。
「はっ。これだから理解力の乏しい者と話すのは骨が折れる。いいか? 我がまるで語り継がれた伝説を語り継がすように我のことを語ったのにはな、ちゃんと明快にして深遠なる理由があるのだ」
「ほお」
「実を言うと、我はこの体の本来の持ち主ではない。今この体の本来の持ち主たる風原凛の魂は、他の場所で眠りについており、現在はこの我、"青碧に染まりし永遠の風塵"こと魔帝流・羅啼喩が間借りしているというわけだ。我は我でなく、だから我は我のことを他人の伝説を語るように貴様に語って聞かせたわけだ。なんせ我は風原凛で、魔帝流・羅啼喩は全くの赤の他人なのだからな。ハッハッハッ」
この娘は何を言ってるんだろう。
「あのさ……つまり君の話だと、君は風原凛の体を借りてるだけで、風原凛本人ではないんだよね? そのらていゆ・まていゆ? とかいう……」
「違う! マテイユ・ラテイルだ! 間違えたな! この侵犯者っ! 風の眷属にとって名とは、遠く儚き神の谷より、一人一人へ春風と共に与えられる神聖なる言霊だぞ! それを間違えるとは最大の侮辱であるばかりか、神々への侵犯行為だ!」
「はあ……じゃあそのマテイユ・ラテイルとかいう……」
「だから違う! マテイル・ラテイユだと何度言ったら……」
「さっきマテイユ・ラテイルって言ったじゃん」
「ん? 言ってた? あれ?」
劣化の如き激怒の顔が、ぽかんとした間抜け面になって、マテイル・ラテイユは気の抜けた声を漏らした。
それから僅か逡巡して、ハッと気付くと、顔を紅潮させ、俯く。
「……ん……んんっ! んんんんーん!……あぁーっ!」
ブルブル震えて呻くと思うと、顔を振り上げ少女は叫んだ。
「やってられるかーっ! 紛らわしすぎるわっ! 誰だこんな名前考えたの!? 神か? 神のヤローか? このファッキンゴーッド! どう考えてもおかしいだろこの名前! 変な当て字使いやがって! 暴走族かよ! 全く! ゲームならこんな名前のキャラ出た時点で、確実にそれはバカゲーかクソゲーだろ! バッファローの糞を鼻吸引した方が魔だマシだ! どんなヤクきめてたらそんな名前思い付くんだよ!? おい、マザーファッキンゴッドファーザアァー!」
「まあまあ、鮫の話でもするッス」
混迷を極める風原凛に、ヤチヨがぽんと肩を叩く。
「クッ!……すまぬ。少し取り乱し過ぎたようだ。ラン様の前でとんだ醜態を……おお、ラン様! どうかこの醜く愚かな下僕めをお許しください! この愚劣な面汚しを!」
「はいはい、オッケーオッケー。許す許す」
膝をついて懇願する風原凛に一瞥もせず、ランがこちらに歩いてきた。
「そいや、まともに自己紹介もしてなかったね。あの化け狐が揚森八千代。ちょっと変なのが風原凛。そんであたしが青川藍。ちょっとビックリさせたかも知れないけど、どうぞよろしく!」
満面の笑顔で手を差し出してきたので、同じく満面の笑顔で応えてやる。
「うん、ごめん。帰っていいかな?」