二 里への到着
着いた駅も、また奇妙だった。
奥深い森林に囲まれた、片面しかないプラットフォーム。
人気はなく、聞こえるのは葉擦れの音のみ。
そのくせ葉っぱ一枚落ちていない。
電車の中と同じ。
不自然に綺麗すぎる。
あまりにもいき過ぎた人為は、逆に人らしさを喪失させるらしい。
駅の外に目を向けても、舗装もされずにむき出しの土道に、迎えはまだ来ていない。
道の向こうには湖があった。
亡霊のように白い霧が、湖面から立ち上って這うように漂う。
遠くに見える山々は、頭頂以外が霧で霞み、まるで死に装束を着ているよう。
と、右手にある改札口付近に、人と思わしき男が一人立っているのに気付いた。
人と思わしきもの。
駅長姿をした、二メートルを超す巨体の男。
深く窪んだ穴のような目が、見張るように睨んでくる。
屋根付きベンチがあったので、その目を避けるようにして腰を降ろす。
そこに座ると左の壁が、男との視線を遮ってくれた。
嘆息して顔を上げる。
左目。
壁の横からこちらを覗く、半ばが隠れた顔の左目。
その目と不意にかち合って、パッと逸らして正面を向く。
忍び足の速度で時は流れ、身体の震えを全身で感じる。
自分の意思では動けないのに、勝手に身体がブルッと来る。
ついに唸りを上げるエンジン音が聞こえてきた時は、弾かれたようにベンチを飛び出し、改札口の前まで駆けた。
バスだ。
駅の前で止まった。
窓ガラスはひび割れ、車体は凹み、塗装は所々剥げ落ち、タイヤは泥でまっ茶色。
元は学校の送迎バスだったのか、校名らしきものが書かれているが、掠れて読めない。
深く抉られた引っ掻き傷が、全体のあちこちに付いている。
熊の大群にでも襲われない限り、こうはなるまい。
「やあ! 待たせたかい?」
五十過ぎくらいのガタイの良い男が、バスから降りて野太い声をかけてきた。
白髪━━いや銀髪といった方が良いほどの、輝く頭髪をしている。
「いやあおっきくなったねぇ! 昔とは見違えたよ!」
テンプルな挨拶。
どうやら彼が白山鉄雄おじさんらしい。
「はあ、そうなん……ですか?」
「ああ、お母さんからは何も聞かされずにいたんだったね。無理もない……でも大丈夫! 安心して良い。みんな君のことを歓迎してるよ。まあ最初のうちは少し戸惑うかも知れんが、すぐ慣れるさ」
おじさんは力強く肩を叩いて、バスの方へ案内してくれる。
「お待ちください。切符がまだです」
改札口を出た直後、後ろから声をかけられた。
振り向くと駅長だ。
「切符くらい捨て置け、我門」
苦虫を噛み潰したような低音で、おじさんが駅長を睨み付ける。
厳しく鋭い眼差しで、急に空気が変わった。
「あ、あ、切符ですか!? ここですっ、はい」
慌てて切符を取り出し、駅長に渡す。
駅長はやけに恭しくそれを受け取り、丁重に穴を開け、慇懃にお辞儀をすると、やっと引っ込んで行った。
「渡したね。さ、行こうか」
おじさんも愛想の良い顔に戻る。
「ところで、娘はちゃんとやってたかな?」
さっきまでの雰囲気が嘘のように、おじさんが話しを振ってきた。
「え、あのカツラの?」
「ハッハッハッ! カツラなんて被ってるのか! まあ外じゃこの髪は目立つからなぁ」
「娘さんだったんですね」
「ああ、娘は外で修行しててね。こういう時にすぐ動けるのは便利なんだけどなぁ……」
少し悲しそうにおじさんが言う。
母が死んでから、一人の少女が訪ねてきた。
まだ中学生くらいの歳なのに物怖じもせず、無表情にカツラを脱ぐ姿が、強く印象に残っている。
地の髪の色は、おじさんと同じ銀髪だった。
そして教えられたのだ。
この里のことを。
そこは遥か千年前に、人に仇なす魑魅魍魎を、隔離するために作られた里。
━━あなたはそこで生まれました。
何でもないことのように、冷たく事務的に少女は告げた……
……と、バスに着いた。
おじさんが飛び乗り、操縦席に座り込む。
その後について乗り込むと、奥の席にもう一人、同い年くらいの少年がいた。
顔は隠れて見えないが、彼もまた銀髪だ。
「あの、あれ……」
「ん? ああ! 忘れとったわ。おい銀司! お前も挨拶せい!」
おじさんが振り返ってそう命じても、銀司と呼ばれた少年はピクリともしない。
「クソッ! 全く! 忌々しい倅だ!」
運転席から飛び出したおじさんは、早足で彼につめ寄ると、その頭部を思いきり殴り付けた。
「この不良息子がっ! 挨拶しろと言ったんだぞ! 立て!」
更にその銀髪を鷲掴みにすると、無理やり立ち上がらせる。
「ほら、挨拶しろ!」
そしてこちらへ乱暴に投げて寄越した。
頭から前のめりに投げ出され、捕まれた銀髪を片手で押さえながら、ついに少年は顔を上げる。
「……どうも」
愛想の欠片もないポーカーフェイスで、銀司は一言だけ挨拶した。
まず飛び込んできたのは、眼だ。
どんな時でも揺らぎそうに見えない、大理石のような眼球。
何か底知れない意思を宿した、力強い両眼。
「あ、うん、どうも……」
しどろもどろで挨拶を返すが、彼の視線は窓にさまよい、聞こえたのかも分からない。
「な!? このバカ息子が! そんな挨拶があるか!」
おじさんが叱っても返事もせず、近くの座席に座り込む始末。
「ハッ! 本当にどこまでも癪に触るガキだなお前は! ああ、ごめんね。礼儀を知らん奴で。こいつは俺の息子で銀司って言うんだけど、どうしようもないバカに育っちまって」
諦めたようにそう言いながら、銀司の頭をくしゃくしゃとおじさんは掻き回した。
「いや、別に……構いませんが……」
恐縮して答えると、申し訳なさそうにおじさんは笑い、運転席に戻っていく。
相変わらず興味の無さそうな銀司は、側頭部を窓に押し付けて、湖の方を眺めていた。
彼とは反対側の席に座り、ふと駅の方を見る。
バスを睨み、凝と佇む駅長の姿。
それからバスが発車して、もと来た道にUターンしたが、その姿が見えなくなるまで、ずっと駅長はバスを向いたまま立ち尽くしていた。