偽りの告白を受けて 前編
友人と共に後輩と話している私の後ろから、近づいてくる足音がある。
本来なら聞こえないはずの足音。
これから行われる茶番に、私の気持ちが昂っているのか、それとも神経が過敏になっているのか。確かに私はその足音を拾っていた。
そばに来た人影に腕を掴まれた。同時に引っ張られて体の向きが変わる。
目の前に立つ緊張をした彼の顔を見つめた。目が合うと少し眇めるように目を細めたから、私は微かに口角を上げた。
さあ、茶番を始めよう。
「お前のことがずっと好きだった。卒業でもう会えなくなるのは嫌だ。俺と付き合ってくれ」
そう言って、私のことを見つめる彼。
(おいおい。そんな目じゃ、私に恋をしているようには見えないわよ。でも、告白のために緊張していると、思われるかしら)
私は驚いたというように目を見開いて、両手を重ねて口許に持っていった。それから手をおろし、とびっきりの笑顔を浮かべた。
「はい」
と答えて、それだけじゃ足りないかと思って、
「私も好き」
と、恥ずかしそうに見えるように、目を伏せた。そしてハッとしたように周りを見渡した。案の定、私の部活の後輩だけでなく、彼の部活の後輩たちも私たちのことを見ていた。羞恥に耐えられないというように、力を入れて顔を赤くした。
彼が私に一歩近づいて、顔を隠すように抱きしめてきた。
「ごめん、ありがとう」
私の耳に小さな声で彼が言うのが聞こえてきた。
「それはあとで」
私も小声で返した。
彼が少し私の体から離れたら、ワッとした声が聞こえた。完全に彼の手が離れて、周りが見えるようになった。周りに寄ってきた友人や後輩たちが口々にいろいろなことを言ってくる。
「先輩、おめでとうございます」
「お前ら、いつの間に」
「ちょっと、いつからなの」
「くあ~、うらやましいぜ」
「俺も行ってくるかな」
私の背中に手を当てている彼の手に力が入った。2年の女子が彼に、
「おめでとうございます。卒業式での告白だなんてやりますね」
と、言った。彼は、
「おう、ありがとう。受け入れて貰えてよかったよ」
と、笑顔で返していた。すぐに他の人に話かけられて、彼はその言葉だけで女子との話を終えた。
少しして彼の手が肩に回されてきた。
「そろそろ帰ろうか」
そういう彼に私は頷いた。その視界にかなり離れたところを背を向けて歩いて行く女子とその後を追うように歩いて行く男子の姿が目に入った。その姿を、瞬きをした私は視界から追い出して、彼と歩き出した。
◇
彼から頼み事をされたの。卒業式の数日前。その頼みごとを聞いて意味がわからないと思ったわ。
だってそうでしょう。
『自分に卒業式で告白しようとしている後輩がいる。だけど、その告白をさせたくない。だから、茶番につき合ってくれ』
なんて言うのよ。それも、その卒業式で彼が私に告白することで、後輩からの告白を阻止しようだなんて。頭がいかれてしまったのかと思ったわよ。
だけど彼の親友である、私のいとこにも頭を下げて頼まれた。そこまでされたら、頷くしかないじゃない。
◇
いとこの親友の彼と知り合ったのは中1の時。いとこの家に向かう途中で、彼が間違えて話しかけてきたことからだった。私といとこは母親が双子だったことで、とてもよく似ていた。まだ第二次性徴前だったことと、髪が長いことを嫌がっていた私はかなりのベリーショートにしていたことで、本当によくいとこと間違えられた。
いとこの家で私といとこを見て彼はいくつか失言をしてくれた。まあ、いいんだけどね。あの頃は男の子っぽかったもの。男の子に間違われるのはよくあることだったからね。
それからも、いとこの家で何度か彼と、顔を合わせることになった。彼は陸上部だと言っていた。一度競技場で彼の走りを見た。とても楽しそうに走る彼が印象に残った。
だけど、彼は中2の時に陸上を辞めざる得なくなった。詳しくは聞いていないけど、何かの病気で運動することを止められたそうだった。それでも、体力作り程度なら運動はしていいらしいかった。
でも、神様も酷いと思う。せめて全国大会まで彼を走らせてあげてもよかったのに、と私は思った。
彼はそれから無気力に中学校生活を送っていたと、いとこから聞いた。私は彼らとは違う中学校だったから。
高校の入試の日。見たような後ろ姿だと思ったら、彼だった。彼は私に気がつかなかった。私はもしかしたら一緒の高校に通えるかもと思い、いつも以上に頭が冴えたように思う。合格発表の日に番号を見つけて喜ぶ私に、気がついた彼が話しかけてきた。
「お互い合格したみたいだな。3年間よろしくな」
入学式の日。彼とはクラスが別れてしまい、私は密かに残念に思った。だけど、たまに会うと親しげに挨拶をしてくれた。友人に私とのことを聞かれて『親友のいとこで顔なじみ』と答えていた時には、少しへこんだけど。
彼が天文部に入ったと聞いた時には、意外に思った。
そうしてあまり彼と接点がないまま、体育祭を迎えた。この体育祭で彼は一躍時の人となった。部活対抗リレーで1年生ながらアンカーを務めて、同じ組の運動部を押さえてトップでゴールをしたから。それも、陸上部の先輩とゴール直前に競り勝って。
体育祭後、運動部の勧誘がひっきりなしに彼のもとを訪れていた。でも、彼はそれを笑顔で断っていた。
そう、彼は断るしかなかったのよ。
あの日、私だけが知っていることがある。部活対抗リレーは午前の部の一番最後に行われた。終わったら昼休み。みんな各々お弁当を広げていた。私はお弁当を食べようとして、彼が人目を避けるように人から離れていく姿を見つけてしまった。何故か気にかかったから、友達に断って後を追った。
人が来なさそうなところまできて、頽れるように倒れこんだ彼を見てしまった。人を呼びに行こうとした私を止めるために「しばらくすれば治まるから」と彼に手をつかまれた。眉を寄せて苦しさに耐える彼に、少しでも楽になればと、彼の頭を腿に乗せた。
落ち着いた彼に、このことは誰にも言わないでほしいと言われた。私は頷いた。本当は何の病気なのか知りたかったけど、彼は聞いてほしくなさそうだった。だから、私は聞かないことにした。
◇
2年生に進級した。彼と同じクラスになった。毎日顔を会わせる日々。最初は顔を見ることが出来るだけでうれしかった。挨拶だけでも、彼と話すことが出来るのが楽しかった。
だから、彼の変化に気がつきたくなかった。
彼はいつからかある後輩の女子のことを見ていることが多くなった。だけどその女子は同じ1年の男子とつき合っていると噂になっていた。よく二人で下校する姿も見られていた。
そんな女子のことを好きになってしまった彼のことが、可哀そうだと思った。
だけど、私はまた気づいてしまった。女子が彼のことを見ていることに。
なぜ? 1年男子とつき合っているのではないの。
やめて、そんな目で彼のことを見ないで。
私から彼を取らないで!
私はやっと気がついた。いつの間にか彼のことが好きになっていたということに。