言わせないために告白を
卒業式の後、後輩たちが俺たちを送るために集まっていた。卒業生である俺たちを囲む中に彼女がいた。1年の時から変わらない愛らしい姿。不自然でない程度に笑っているけど、微妙に強張った顔をしている。この後彼女が何をしようと考えているのかを知っている俺は、彼女と視線を合わせないようにして辺りを見回した。
少し離れたところに目的の女生徒を見つけて、俺は囲んでいる後輩たちに「悪い」と声をかけた。そして後輩たちを掻き分けるようにして輪の中から抜け出し、女生徒のほうに歩いていった。
◇
今から2年前。入学式の手伝いで俺は受付で新入生名簿を並べていた。同じように受付担当の男子が「あれ」と声をあげた。「どうした」と声を掛けたら、「この名前が」と返ってきた。覗き込むとどこかで聞いたことがある気がする名前だった。
俺は思い出そうと少し考えこんだ。そんな俺に気がつかない男子は「こいつは同じ中学の後輩なんだ」と言ってきた。それから「陸上部だったんだぜ。地方大会を勝ち上がって全国大会に行けたん・・・だけど・・・」と、言葉が消えていった。
それで、俺も思い出した。去年事故に遭い、全国大会に行けなかった彼らのことを。俺と同じ思いをしたであろう彼らのことが、事故のことを知った日から俺は気になっていた。
だから、彼の名前と共に彼女の名前を名簿に見つけて、二人とも順調に回復したのだろうと思っていた。
入学式から3日目。昼休みに彼の先輩である男子が、落胆の表情を隠さずに教室に戻ってきた。なんでも、彼らを陸上部に勧誘しに行ってきたそうだ。だけど、どちらかからも『入らない』と断られたと言った。どうも事故の後遺症みたいなものがあるらしい。と男子は言った。詳しくは聞かなかったみたいだった。
この日は部活の説明会が行われる日だった。そこに移動する時に彼を見つけて話しかける同級生の男子。まだ未練たらたらな様子で話しかけていた。そこに俺は近づいて、彼に『よかったら天文部も選択肢に入れといてくれよな』と声を掛けた。
うちの学校は全員がどこかの部活に所属することを義務付けられていた。説明会が終わった後、各自で部活の見学に行く。
俺が入っている天文部に彼らが見学に来た。二人が部室に顔を見せた時に、部室内にいた人間の間で言葉にならないざわめきが起こった。それほど目立つ二人だった。高1の癖に俺より高い身長の彼。その隣に立つすらりとした容姿の彼女。どちらも意識せずにスッと背筋を伸ばしている。
顔だちもどちらも整っていると言えるだろう。だけど彼のほうは無表情に近くて、愛想のかけらもない顔で部室内の人間を見ていた。彼女のほうはどちらかというと可愛らしい顔立ちで、緊張をしているのか唇を引き結んでいた。でも、まあるい瞳が興味深げに俺たちのことを見つめていた。
部長の説明を他の新入生と共に二人は聞き入っていた。
このあと彼と彼女は無事に天文部に入ってくれた。新入生の何人かは仮入部期間にやめてしまったけど。
本入部になって二人の仲の良さが目立ってきた。同じクラスということと、もともと顔見知りだったことも大きかったようだ。
それから、二人は元陸上部なだけはある。二人とも、基礎トレーニングを嫌がらずに行っていた。他の部員にアドバイスをしたりした。部活が終わると一緒に下校していく姿をよく見ることになった。
そのうちに二人はつき合っていると噂が流れるようになった。
だから俺は、てっきりつき合っているのだと思っていた。
俺は彼女とは部活以外で委員会が一緒になった。委員会終わりの帰り道。途中まで一緒だと分かり、一緒に帰ることが増えた。そのついでに少しずつ彼女のことがわかってきた。
彼と彼女はつき合っていなかった。もともとは家が近くて、ジョギングコースが同じジョギング仲間。事故に一緒にあったらしいけど、その時のことは覚えていない。一時記憶喪失になっていたらしいけど、今はほとんどのことを思い出しているらしい。
一緒に帰る時に、彼とのことや事故のことを訊ねた俺に、彼女が教えてくれたのだ。立ち入ったことを聞いてしまったかと思ったけど、何でもないことだというように笑顔を見せて答えてくれた。
そして、つき合っているという噂。あれは『周りが勘違いしたのをそのままにしているだけ』だと、たははっと苦笑いを浮かべて彼女は言った。
夏合宿が近づいてきたある日。彼女が俺のことを時々見ていることに気がついた。俺だって、そこまで鈍くない。彼女の視線の意味がわからないわけじゃない。
だけど、彼女の後ろにいつも彼が見えた。彼女を見つめる彼の瞳。彼の思いはその目に現れていた。俺は彼の邪魔はしたくないと思った。
それなのに・・・。
真直ぐに見つめてくる瞳に心が揺らぐ。だからいい先輩のままで、少しずつ少しずつ彼女との距離を縮めていった。
3年に進級して、時折違和感に襲われる。彼女が好きなのは本当に俺なのだろうか。
この1年、彼女は変わらない。いや、変わったのだろうか。
相変わらず彼女は彼と仲がいい。それに相変わらず周りは二人がつき合っていると思っている。それを否定しない彼女。
だけど、相変わらず彼女はもの問いたげに俺のことも見つめてくる。
夏合宿が近づいたある日、彼と話す機会があった。
知りたくなかった。いや、気づきたくなかっただ。
やはり彼女が見ていたのは俺じゃない。
彼女が本当に思っているのは彼だ。
あの事故のあと、彼女は彼といた3年間のことを忘れてしまった。それは忘れたいほどのことがあったのだろう。そう思おうとした。
だけど、彼女から思い出せない理由を聞いてしまった。彼女自身気がついていない理由。彼女はそんな理由で、自分が思い出せなくなっているとは、思っていないだろう。
知らない振りをして、彼女に告白してつき合ってしまおうかと、何度も思った。だけど、つき合いだしてから、彼女が自分の本当の気持ちに気がついて別れを告げられたら・・・。
そんなことになったら、俺は立ち直れないだろう。
夏合宿の集合場所で会った彼女は、何かを決意したように見えた。俺は彼女と二人だけにならないように気をつけた。
まだ、決定的なことになりたくない。彼女の勘違いからだとしても、告白されて断れるほど、俺は人間が出来ていない。だからといってつき合いだして、いつ彼女が本当の気持ちに気がついて別れを告げられるのかと、ビクビクと過ごすのも嫌だ。
問題を先延ばしにしている自覚はある。
かといって教えてやるほど、俺はお人よしじゃない。
部活を引退して11月末になった。久しぶりに少しだけ部室に顔を出そうと思った。部室の前まできて、そういえばテスト前で部活はなかったことを思い出した。扉に手を掛ける前に気がついてよかったと思った。
その時中から話し声が聞こえてきた。声の主が誰かわかって俺はそこから動けなくなった。彼女と彼だった。別に二人がいてもおかしくない。二人は今は天文部の部長と副部長なんだから。
二人は何かの用を片付けるついでに二人でテスト勉強を少しすることにしたみたいだ。彼女の質問に丁寧に答える彼。そっと覗くと笑っている彼女の顔が見えた。その彼女に同じように表情を和らげて微笑む彼。
その姿を見た俺は足音を立てないようにその場を離れた。
最初から彼の影を重ねられただけの俺じゃ、勝負にもならないじゃないか。
なんだよ。あの事故の時と俺と彼の身長が同じっていうのは。
走るフォームが似ているっていうのもなんなんだ。
彼女は彼のことを忘れているわけじゃない。事故の後に会った時の、自分の態度が許せなかっただけなんだ。どんな時を過ごしたのかは知らない。だけど、想う相手のことを少しの間でも忘れたということが、彼女は許せなかったんだ。
なんで、気づかないんだよ。お前ら両想いなのに。
噂を否定しないことがその気持ちを語っているだろ。
周りだってお前らがお似合いだって認めてるんだよ。
俺は靴に履き替えると走りだしたのだった。
2月になり3年生は自由登校になった。自宅だと落ち着かないから、受験の日以外は学校に行こうと思っていた。だけど、学校で会った彼女に『14日は学校に来ますか』と聞かれたんだ。彼女が何を考えているのかを察した俺は『もちろんそのつもりだよ』と答えた。
そして14日は学校を休んだ。ちょうど弟がインフルエンザに罹ったので、俺も罹ったことにした。学校に届けを出さないといけないかと、少しドキドキしたが、もう3年は自由登校ということもあり、届は出さなくてもいいと言われた。それよりも来週の受験のためにしっかり治して、体調を万全にして行って来いと担任に言われた。
2月の最後の週。卒業式の練習のために学校に行った。あと、数日。卒業したらもう会うこともない。そうしたら彼女も気の迷いの気持ちも忘れるだろう。
そう思っていたのに、彼女が卒業式の日に俺へと告白するつもりだと、友人が知らせてきた。
そんなことを彼女にさせてはいけない。
だから俺は友人にあることを頼んだ。
◇
俺は他の人と話している女生徒のそばに行き、腕を掴んだ。少し強引に自分のほうに向ける。女生徒が俺のことを見つめてきた。微かに唇の端が上がるのが見えた。
「お前のことがずっと好きだった。卒業でもう会えなくなるのは嫌だ。俺と付き合ってくれ」
じっと女生徒の目を見つめる。
女生徒は驚いた顔からうれしい顔に変えた。
「はい。・・・私も好き」
と、少し恥ずかしそうに答えたあと、周りに見て注目されていることに気づいたというように、顔を赤くした。俺はその顔を隠すように抱きしめた。
しばらくそのままでいて顔をあげたら、周りのやつらがワッと囲んできた。口々にお祝いを言ってくれた。もちろん彼女と彼も。
しばらくして輪から外れ、1人離れて歩き出す彼女の姿が見えた。
そして、何でもないように後を追う彼の姿も。
傷心の彼女を慰めるのは任せたからな。
それで告白でもなんでもして、さっさとくっつきやがれ。
俺は2人に背を向けると女生徒の肩に手を置いて歩き出した。