見守るだけの恋 後編
彼女の話で記憶が戻っていたことによかったと思ったけど、俺と一緒に走っていたことは思い出せていないと知って、とても残念に思った。
でも、彼女に『俺も同じ状態だった』と告げたら不思議そうな顔をされた。だから、俺も中学で『違う中学にいる陸上をやっている彼女がいる』と噂が立っていたのを、放置していた話を告げた。『周りが色恋で騒ぐのが煩わしかった』と言ったら、彼女はおかしそうに笑ってくれた。
そして、ひとしきり笑った後に彼女は俺に手を出してきた。
『それじゃあ、改めてクラスメートとしてよろしくね』
「ああ」
俺も彼女の手を握り返した。
翌日から普通にクラスメートとして過ごすことになった。ただ、もともと知り合いだったことと、俺がジョギングコースをあの公園に戻したことで、また彼女とジョギング仲間となったことで、クラスの男子の中ではよく話すほうになった。
それに何故か部活が同じになってしまった。俺は部活をどうしようかと迷っていた。陸上以外の運動部に入る気はなかった。かといって文化系の部活で満足できるとも思っていなかった。
そんな時に2年の男子の先輩に誘われたのが天文部だった。あまり興味は湧かなかったが、部活見学にいって活動の説明を聞いて驚いた。かなりガチに基礎トレーニングをやっているのだ。その理由が夏合宿で登山して天体観測するためだという。
面白いと思った。活動も週に2日だというのもいい。それ以外の日には、先輩たちはバイトをしていると言っていた。天体観測に使うものは自分のお金で購入したいというのが理由だった。部活動がない日も、各自で基礎トレーニングをやることになっているのも、いいと思った。
そして彼女と共に天文部に入部をし、彼女との接点が増えていった。
いつしか周りからは俺と彼女がつき合っていると思われるようになっていた。クラスでよく話し、部活も一緒。タイミングが合えば一緒に下校をする。俺はその誤解を中学の時と同じように放置した。誤解したいやつにはさせておいた。それに少しの優越感を感じていたんだ。
そして初めての夏合宿で俺は気がついてしまった。彼女が2年の先輩を見つめていることに。
決定的になったのは10月の体育祭。部活対抗リレーで、俺と彼女は選ばれた。もちろん先輩も。そして走る順番は、俺から彼女へ、彼女から先輩へ。
俺の順番になった時6人目だった。3人抜いて彼女に渡す。
「頼む」
俺の言葉に二ッと笑って走り出す彼女。彼女の本気の走りを久しぶりにみた。相変わらずの綺麗なフォーム。並みの男子に引けを取らない走りで、先輩へと引き継いだ。走り出すとき先輩はよくやったとでも言うように、笑っているのが見えた。
先輩の走りは圧巻だった。ゴール直前で並走していた陸上部と野球部の先輩をかわして、トップでゴールしたのだ。
俺と彼女は先輩たちに「よくやった」と褒められた。3年の先輩に構われている俺の横で、彼女が先輩に「先輩、かっこよかったです」と言っているのが聞こえてきた。先輩が「そうだろう」と誇らしげに答えている。
俺の目には彼女が先輩のことを本気で好きになったのがわかったのだった。
このあとの俺たちの関係は変わらなかった。相変わらず周りからは俺と彼女がつき合っていると思われていた。
でも、俺は知っている。彼女は時々2年生のクラスを見ていることを。移動教室の時にさり気なく先輩の姿を探していることを。
季節は過ぎて2月。バレンタインに先輩に渡して告白するのかと思ったら、彼女は部活のみんなにと、手作りクッキーを用意してくれた。先輩方には『お世話になっているから』と、言って渡したから、女子の先輩に可愛いと抱きしめられていた。もちろん俺たち1年全員にもくれたのだけど。
3月。ホワイトデーのお返しをどうするかと、彼女がいない時に部活内で話しあった。結局女子の先輩が買ってきてくれることに話は落ち着いた。受け取った彼女は、はにかんでお礼を言った。
進級した俺たちはまた同じクラスになった。相変わらず周りは誤解したままだ。そういえばなんで彼女はそのことを否定しないのだろう。気にはなったけど、聞けるような話でもないとそのままにしていた。
夏合宿。彼女が何かを決意した顔をしていた。これは、いよいよ告白することを決めたのかと思った。
だけど、合宿中にそんな機会は訪れなかった。小さなトラブルの連続で、部長である先輩はその対応に追われていたのだから。
また、体育祭がやってきた。今年も俺が先に走り、彼女に引継ぎ、最後が先輩だ。俺の前までずっとビリで走っていた。俺に渡すときに1年の女子がすまなそうな顔をしていた。だから、安心させるように俺は笑顔を向けた。
前を走るやつらを追い抜いて3位で彼女に渡した。
「悪い、頼んだ」
彼女は不敵な笑みを浮かべて走りだした。前を走る陸上部の同級生に近づいていった。抜かすことはできなかったけど、同着で次の走者にバトンが渡る。走り出した先輩はぐんぐんと距離を詰めて、前を走っていた野球部に追いつき、直線になったところで抜き去りそのままゴールした。
その様子を、彼女は1年女子と手を握りあって応援していた。
チックショー かっこよすぎるだろ。
そんな思いが湧きあがったけど、戻ってきた先輩をみんなと一緒に笑顔で迎えたのだった。
部活に3年が姿を見せなくなり、少し彼女は寂しそうだった。だけど、部長になった俺に副部長に指名された彼女は、寂しさをかみしめている余裕はなかった。二人で部活を引っ張っていかないと。
先輩たちがいないことが当たり前になった頃にはまた2月になっていた。3年生は自由登校になっていた。先輩は真面目に学校に顔を出していたようだった。
バレンタイン前日。彼女はまた決意を固めた顔を見せた。いよいよ告白するのかと思った。
なのに翌日、先輩は顔を見せなかった。それから数日学校に来ていないようだった。彼女は静かに落ち込んでいた。その姿が見ていられなくて、職員室に行った時に顧問の先生に訊いてみた。顧問は先輩のクラスの担任でもあったから。
先輩はインフルエンザにかかって休んでいるらしい。幸い先輩が受ける大学の試験日と重ならなかったと聞いた。そのことを彼女に伝えたら、彼女は先輩のことをとても心配していた。
卒業式の3日前。俺は偶然彼女の決意を聞いてしまった。彼女は友達と話をしていた。その子に『私、卒業式の日に告白する』と言った。
俺はその言葉を聞いて『ああ、やっとか』と、思った。そんな俺の耳に彼女の友人の言葉が聞こえてきた。
『振られたらどうするの』
『それでもいいの。私は告白して自分の気持ちにけじめをつけたいのよ」
卒業式のあと、部活のやつらで先輩たちを取り囲んだ。彼女が先輩に告白するためのきっかけを、作りやすくするためだった。
なのに・・・先輩は視界に入った同じ卒業生の女生徒を見つけたら、表情を引き締めて俺たちに『悪い』と断って離れた。その女生徒のそばに行き、腕を掴むと彼女を自分のほうに向けた。見つめあったと思ったら、『お前のことがずっと好きだった。卒業でもう会えなくなるのは嫌だ。俺と付き合ってくれ』と告白したのだ。
俺はとっさに彼女の顔を見た。信じられないと、その目が語っていた。
気がつかない周りの皆は固唾を飲んで二人を見つめていた。
驚いた顔からうれしい顔に変わり、『はい、私も好き』と答えた。周りに注目されていることに気づいて羞恥に顔を赤くする女の先輩を、包み込むように抱きしめた先輩。
その様子を茫然と見つめているしかない彼女。
どうにか笑顔を浮かべて先輩にお祝いを言う姿が痛々しい。
1人そっと離れて歩き出した彼女を、俺は追いかけて歩き出した。
◇
まだ、俺の頭の中は混乱中だ。
なんでだよ、先輩。あんただって彼女のことを憎からず思っていたんじゃないのか。俺はあんただから、彼女のことをあきらめようとしたのに・・・。
そこまで考えて、俺はやっと自分の気持ちに気がついた。
なんで今まで『つき合っている』という噂を否定しなかったのか。
俺は彼女のことがとっくに好きになっていたんだ。ただ、告白して振られるのが怖くて、居心地のいい友達で居続けていたんだ。
彼女への気持ちを自覚した俺の耳に彼女の声が聞こえてきた。
「先輩」
続けて嗚咽が聞こえてきた。
俺がもっと早く彼女への気持ちに気がついていれば・・・。
あの高校に入学したばかりの時の、彼女の問いに嘘でも『彼氏』だと言っていれば・・・。
いや、違う。
『ただのジョギング仲間だけど、ずっと好きだった』
と言えていたら、今は違うものになっていたのだろうか。
俺は東屋に背を向けて座り込むと、顔を覆って涙を見られないようにしたのだった。