言えなかった告白
学校からの帰り道。
いつもと同じ道なのに、見える景色は違っていた。
薄い膜に覆われているみたいに、ぼんやりと霞んでいた。
真直ぐ家に帰る気になれなくて、途中の公園に寄った。そのままフラフラと遊歩道を歩いて、東屋に向かった。少し小高くなったところにある東屋には誰もいなかった。その中に入りベンチに座ると、見るとはなしに池のほうを見つめていた。
「先輩・・・」
言葉に出すと堪えていた涙がせり上がってきた。
今日は卒業式だった。先ほどまで学校で先輩方と別れを惜しんでいたのが夢みたい。
ううん。明日から学校に行っても、もう先輩に会えないということが、本当に夢のよう。
でも、明日からはそれが現実となるのよね。
手に持ったバッグに視線を落として、私は唇をきゅっと噛みしめた。
最後だったのに、もうこれが最後のチャンスだったのに、告白すらできなかった。
◇
先輩は天文部の1年先輩で、1年の時からすごくお世話になった人。部活選びの時に星を見るのは好きだし、なんとなく楽そうに見えたからこの部活を選んだ。
でも、実際はなかなかハードな部活だった。
普段の部活で基礎トレーニングがあるって何?
夏合宿は登山をして天体観測って?
機材を自分で運ぶから、そのための体力作りって・・・。
登山部の間違いじゃないの、というトレーニングの日々で、一緒に入部した友達は辞めてしまった。私は毎朝ランニングをしているからか、トレーニングするのは嫌いじゃない。特に辞める理由もなかったので、そのまま部活を続けた。
夏合宿は本当に登山と言えるものだった。でも、山頂に登頂するのが目的ではなくて、標高の高い開けた場所で星を見ることが目的だった。
星空は・・・言葉で言い表せないくらい素晴らしいものだった。遮るものがない夜空に満天の星。こんなにも星がたくさんあるなんて思わなかった。
この登山で部活内の結束はすごく高まった。と思う。学年の垣根を越えてじゃれ合えるくらいには、仲良くなっていた。
10月の体育祭。うちの学校は種目に部活対抗リレーなるものがある。これは各部活から各学年2名ずつの6名が選ばれて走ることになっていた。全部で28部活あり、抽選で走る組が決められた。文化系の部活は諦めモードで、嫌々出場する部活もあると聞いている。
私はもちろん出場選手に選ばれた。一応運動部にはハンデとして10キロの重し入りのリュックを背負うことになっていた。文化部は重しなしのリュックを背負っている。つまり、このリュックがバトンだった。そして、何故か天文部も重し入りのリュックだった。
リレーの走る順番は、各部活で決めていいことになっていた。この走る順番は重要だと先輩達が言い、出場選手の走りを見て決められた。私はアンカーの前、第5走者になった。
体育祭はサクサクと進み、午前最後の部活対抗リレーになった。4組に分かれて行われて、天文部は最後の組だった。うちの部活はまず、3年男子が走る。その次を2年男子、3年女子、1年男子、1年女子の私、2年男子という順番。
このリレー、各組ともにいい勝負となっていた。理由はバトンであるリュックの受け渡しが原因だった。リュックの受け渡しは決められた場所で、そこでリュックをおろして次の走者に渡し、次の走者はちゃんと背負って留めてから走りださなければならない。つまり、どれだけ足が速くても、リュックの受け渡しが早くできなければ意味がない。
トップバッターの3年男子はあまり引き離されることもなく中継場所に辿り着き、次の2年男子がトップで走りだした。次の3年女子もトップで走り出すことが出来たけど、さすがに陸上部、野球部、サッカー部と足の早い男子が揃った部活と一緒では、順位が8人中6位となって次の1年男子に引き継がれた。彼はなんで天文部に入ったのか不思議なくらい足が速い男子だった。それでも3人抜いて3位で私にリュックを引き渡した。
「頼む」
負けん気の強い彼らしい言葉。私はリュックを背負うとすぐに走り出した。目の前を野球部の2年の先輩が走っている。追いつけそうで追いつけない。3位のままアンカーの2年の先輩へ。素早くリュックを外し、先輩に手渡す。
「よくやった。任せろ」
その言葉と共に走り出す先輩。1位だった陸上部はリュックの受け渡しに手間取り、野球部を含めて3人同時に走り出した。ほぼ横並びに3人が走っている。すぐ後ろをサッカー部が追ってきていた。カーブを曲がり直線勝負。競り勝ったのは先輩だった。
「か~、また負けた。本当になんなんだよ。お前らは」
他の部活(特に運動部)の人たちに文句を言われながらも、私は達成感で笑顔になっていた。私と1年男子は先輩たちに「よくやった」と、もみくちゃにされた。
アンカーを走った先輩に「先輩、かっこよかったです」と言ったら、先輩はニカッと笑って「そうだろう」と言った。
その笑顔に入部した時から『いいな』と思っていたのが、『好き』という気持ちに変わった。
それから、3年の先輩方があまり顔を見せなくなって、先輩が部長になった。
卒業式が過ぎ進級して、私は2年になった。
あいかわらずの運動部張りの基礎トレーニングをこなしながら、季節は過ぎていった。私は夏合宿で告白しようと決めたけど、結局そんな雰囲気になることが出来ずに下山してしまった。
また、体育祭がやってきた。今年も私が第5走者で、先輩が第6走者。私の前には去年一緒に走った男子が同じようにいた。
今年は第3走者までがもたついて、8人中最下位で第4走者の2年男子に渡った。彼は自慢の足を生かして3位まで押し上げてきた。
「悪い、頼んだ」
彼から素早くリュックを受け取り走り出す。今年も何の因果か陸上部と野球部と一緒の組だ。前を走る陸上部の女子に狙いを定めて、走っていく。抜かすことはできなかったけど、同着で先輩にリュックを渡せた。
「お願いします」
「任せろ」
私の言葉に先輩は力強く走り出した。タッチの差で陸上部が追うように走り出したけど、先輩に追いつけない。先輩はぐんぐんと距離を詰めて野球部に追いつき、直線になったところで抜き去った。そしてそのままゴールしてしまった。
私はその様子を、先に走り終わって私のそばに来た1年女子の後輩と、手を握りあってキャーキャーと騒ぎながら応援していた。
「くっそ~。なんであいつは陸上部に入ってくれなかったんだよ。3年連続で逆転勝ちってねえだろ」
3年男子、たぶん陸上部の先輩だろう。その人が悔しそうに言った言葉で、先輩が3年連続アンカーを走っていて逆転勝ちをしていたことがわかった。
1年女子と顔を見合わせて「すごいね~」と、笑い合った。
そして、受験生である先輩たちは部室に姿を見せなくなった。部長は体育祭で活躍した2年男子に引き継がれ、彼の指名で私は副部長になった。
◇
私は持っていたバッグから可愛くラッピングした袋を取り出した。躊躇うこともなくリボンを解いて中身を取り出した。袋の中身は手作りクッキー。それを一つ手に取ると口に持っていった。
サクリ
軽い歯ごたえがして口の中にココアの味が広がった。
本当はバレンタインに渡したかった。3年生は自由登校になっていて、先輩はこの日学校に来なかった。後日、インフルエンザにかかり寝込んでいたと聞いた。
このクッキーはその時に渡せなかったものじゃない。さすがに寒い冬とはいえ、半月前の手作りクッキーを渡すのは気が引けた。だから昨日、もう一度焼いたもの。
これを渡して告白するつもりだった。
なのに・・・先輩は同じ卒業生の女子に、みんなの目の前で告白をしていた。驚きからうれしい顔に変わり、周りに気づいて羞恥に顔を赤くする女の先輩を、包み込むように抱きしめた先輩。
周りからの祝福ややっかみの言葉に笑顔で答えていた先輩。
もう一枚手に取りクッキーを口にいれた。
サク サク
口の中でほろりと崩れるクッキーは今までで最高の出来だった。
いつしか頬を涙が伝い落ちていた。
「先輩」
もう一度呟いて、私は声をあげて泣き出した。
大好きだった。
彼女になれなくてもちゃんと告白したかった。
行き場のなくなった想いに私はただ涙を流し続けたのだった。