2 ロマンヌのパパって……
騒がしい教室は、やはり今でもあまり得意ではありません。それでも先月のサン・ジョルディのお祭りのときに憧れの人からもらったバラの名残をそっと握りしめると、いくらか気分も和らいできました。
バラの名残とは、花弁を一枚とって押し花にしたもののこと。そして憧れの人とは、エルネスト先生のことです。エルネスト先生は、ロマンヌの家の近所に住むお医者さんで、パパとは古いお友達なのでした。
物言いや物腰に気品があって、スラッとしていて、それでもものすごく意志が強くて、情熱的なところもあって……もうなにもかもが素敵なのです。
『ドラゴンの血で咲いたこの美しい花を姫君に』
想い人はそう言って、ロマンヌにこの赤い宝物をプレゼントしてくれたのです。あのときの格好良さと言ったらもう、どの世界の王子や貴公子が敵うでしょう。
――それに、姫君、なんて……。
もちろんロマンヌは平民の女の子。でも、そう呼ばれるのは、どの女の子にも等しい夢ではないでしょうか。それも想い人から。
――はぅぅっ。想い人だなんて……。
文学好きのロマンヌがごく自然に編み出してしまった言葉に赤面したところで教室の扉が開き、学校の先生が入って来ました。
――あれれ?
よく見ると、男の子も一緒です。金髪の巻き髪を肩の辺りで切りそろえた、端正な男の子でした。
教室のなかからやっぱり、とか、噂のとかいう声が聞こえてきます。噂の苦手なロマンヌは、内容まではわかりかねましたが、彼は一体誰なのでしょう。
しかしその疑問はすぐに解決されることとなります。先生が開口一番、こう言ったのです。
「紹介します。エルキュール・ド・メディチ皇太子です。一ヶ月の期限付きで、生徒という形でこの学校を視察されるご予定になっておいでなの」
「ねぇ、みんな、あのね。わたしのパパってどう思う?」
ランチの時間、学校の中庭の小さな丘の上でお弁当を広げながら勇気を出して聞いてみたところ、答えは、
「あぁ、私が勝ち得る的よ」
当然のごとくあっさりと、しかもクールに切り返すお友達のジェインに、ロマンヌはなにやら難しくて意味がわからず、聞き返してしまいました。
「ま、まと……?」
「わからないなら、いいわ」
そしてそのすぐ隣で、ロマンヌの出した”わたしのパパ”という単語を聞くや否やキャーッと黄色い悲鳴を上げた同じくお友達のイヴォンヌが、ジェインの肩をつっつきつつ、
「ちょっとー。どーしてジェインちゃんがしとめるって決まってるの?」
ジェインの言った意味がちゃんとわかっているらいし彼女は、ジェインに向ける視線に火花を散らします。
「あの……えっと、だからパパってどういう……?」
「おふたりが言いたいのはちゅまり、パパは格好良くて、かなりイカしてるってコトでしゅわ。もっとも、レアにはよくわかりましぇんけどねぇ」
通訳に入ったのは、同学年のお友達に断って、お庭にロマンヌとランチを食べに来ているレアです。
「レアに言わせれば、今一歩ってトコでしゅわね。難しいコトをレアにもわかるようにやさしく言って納得させてくれるときなんかは、ちょっとアリかなんて思ったりもいたしましゅけど、ただヒーローに必要な勢いとかキレってものが足りましぇんわ。こう、ちょっとへらへらしているとゆーか」
我が親を冷静に分析する妹に、ちょっとびっくりしてしまうロマンヌ。
「そこがいいんじゃーん」
すかさず割って入ったのはイヴォンヌ。
「本当は強くて格好いい人ほど、普段はくだけて見えるもんよー」
「あら。あなた、あの人の強いところ、知ってるの?」
ジェインのつんとした問いにイヴォンヌは少々悔しそう。
「ん。まぁ、ただの想像だけど」
フフン、とジェインは嫣然と微笑んで見せました。
「そう。想像なのね」
「えっ?あれ?ちょっとジェインちゃん、ロジェのそういうとこ、見たことあるの?」
「さぁ、どうかしら」
「教えてよっ!いじわるー」
じゃれあうふたりを見て、わたしもそれ、ちょっと知りたいな、と思うロマンヌでした。パパは優しいから、声をあげて怒ったことなんて見たことないし、それに親しみ易いので、格好良いというイメージはあまりなかったからです。
「でもロマンヌ? どーして急にパパのことなんか」
鋭く質問してくるレアに、ロマンヌは小声で、
「実はね、次に癒してあげなきゃならない人と、関係があるかもしれないの」
レアも同じく声を潜めて、
「え?もしかして、次に癒やすべきは、パパってことでしゅか?!」
「……わからない。でも、夢に出てきたのは、女の人だった」
ご説明しましょう。ロマンヌとレアは、妖精イデアの指示のもと、7つの痛みをいやすという使命を授かっているのです。この間サン・ジョルディの日の、パパがオーナーをしているレストランのパティシエのひとり、セシルの痛みをいやしたばかりなのです。
「キャーッ!痛いっ」
ロマンヌとレアが物思いに耽っていると、丘を下ったところから甲高い叫び声が響き渡りました。声がしたほうを見てみると、なんと、ブランコの近くでお弁当を食べていたグループの女の子のひとり――ミカエラが髪を引っ張られて泣いているのでした。
「ミカエラちゃん……」
「あのぐりゅーぷのリーダー格のジョアンナはなにをしていりゅんでしょーか。弱い者いじめはする癖に、こーゆーときは度胸がないんんでしゅから困ったものでしゅわ」
呑気にもジョアンナの批判などしているレアの傍らで、
「でも、ミカエラだってジョアンナにへいこらしていっつもみんなの陰口で笑っているって聞いたよ。誰も助けてくれなくても自業自得ってやつじゃない?」
厳しい意見を述べているのは、イヴォンヌです。
さぁ、どうするべきか。他人のいざこざに口出しすることはモラルに反する気もしますが、かといってこのまま放っておくのは、イギリス貴族で次期女領主であるプライドが云々と、ジェインが考えているときでした。
ぺシッ。
乾いた音がその場にいた全員を凍りつかせました。
ロマンヌです。ロマンヌが、ミカエラを引っ張っている男の子の手を叩き落としたのです。しかも、たった今叩かれて赤くなった手を撫でている男の子は、先ほど先生から紹介があった、エルキュール・ド・メディチ皇太子ではありませんか。
「ダメだよ」
静かに、ロマンヌは言いました。
「人を殴ったりしたら、ダメ」
皇太子はこちらを見もせずに、冷たく言い放ちました。
「無礼な。僕を誰だと思ってる」
「誰でもだよ」
ロマンヌは皇太子をまっすぐに見つめると、ふいに微笑みました。
「悪いことをしたら、謝らないと。ね?」
その言いようは優しく、どこか宥めているようでした。
初めて、二人の視線がかち合いました。
「?」
あれ、とロマンヌは不思議に思いました。かぁぁっと、皇太子の顔が、真っ赤に染まっていったのです。それもどうやら、まだ怒っている、というわけでもなさそうなのです。
「どうしたの?エルキュール君」
皇太子は目をぱちくりさせると、ダッと走り出し、どこへともなく消えていきました。
「……どうしたんだろう」
後 に残されたロマンヌは、頭にハテナマークを浮かべるばかりでしたが、大分後ろにいたレアが、ふいに呟きました。
「うーん、ロマンヌって。案外罪作りでしゅわねー」