6 サン・ジョルディのお祭り
「ラロシェルの平和を乱すドラゴン。大人しく姫を返し、静まれ。さもなくば私がこの手で裁きを下そう」
そう言いながら剣を抜くプレヌ王子の姿はクールで、女性たちの悲鳴が上がりました。 そして、対するドラゴンのほうはと言えば、
「がぉ~っ、でしゅわ」
泣き顔で奮闘する、なんとその正体はレアでした。緑色に塗ったダンボールで全身を固めた小さな姿がなんともコミカルで、人々の笑いを誘います。
「フン、ぬるいわ」
王子は余裕の笑みを浮かべて舞うようによけていきます。その身のこなしと言い、ちょっぴり気障に言う言い回しと言い、さすが女性の理想像を心得ています。
「そんな甘い攻撃は私には通用しない。次はこちらから行くぞ」
王子は気合の声を発しながらドラゴンのほうへ、剣を構えて向かって行きます。王子の剣が、ドラゴンを一突き―。そして、
「がぉ~、でしゅわ~」
登場のときとまったく同じ台詞を発して、ドラゴンは倒れ、退場して行きました。
王子に扮したプレヌはそこで、なぜかいたずらっぽい笑みを浮かべて、自分にしか聞こえない声で呟きました。
「そろそろね」
「なんなの?みんなでよってたかって…」
パエリエ、ティファニー、エレーヌ、そしてロマンヌに連れられて、セシルはお芝居のためにつくられた仮説小屋へとやってきてしまいました。そこには、どこか挑戦的な笑みを浮かべているロジェの姿がありました。その腕には真っ赤なドレスを抱えています。
「あぁ、確かオーナー、今日はお姫様の役をやるんでしたよね」
同情の笑みを浮かべて、セシルは言いました。
「頑張ってくださ―」
「頑張れよ」
「……え?」
逆に励まされてセシルはなにがなんだかわかりません。でも、とても優しい声でした。セシルが戸惑っていると、ロジェは今度は後ろの4人に向かって、
「さ、みんな。“スピルト”のパティシエと、オーナーの娘の本領発揮だ。今日のメニューは麗しき姫君。頼んだぞ」
「「「「はい!」」」」
ちょっと、どういうこと?驚いて振り返ると、パティシエ(プラスロマンヌ)たちはなんと、お化粧道具やらアクセサリーやらをそれぞれ手に持っていました。
去り際にロジェはポンとセシルの肩を叩きました。
「好きなように、演ったらいいから」
アドリブ多いほうが、王子も喜ぶぜ、とウインクして、彼は去っていきました。
観客のみなさんは、姫の登場を今か今かと待ちわびていました。
「ねぇ、メディス。お姫様はまだかしら。すっごく可愛いって噂よ」
とあるカップルはこんな噂をしていました。
「だけど、男だろう?酔狂な奴なんだろうよ。今頃女の衣装をとっかえひっかえしてるんだぜ」
「まぁ」
女性は声を立てて笑いました。
そこへ、凛とした静かな声が聞こえてきました。
「女性そのものをとっかえひっかえする男性よりは、いいと思いますが」
「な……なんだお前っ」
メディスはその声の主に手をあげようとしました。が、あっさり受け止められてしましました。
「一つ、ご忠告しましょう」
声の主はそう言ってメディスを突き飛ばしました。
「一度捨てたものをもう一度探し出すのは、並大抵の努力ではできませんよ」
「……ん?」
メディスが彼の言葉の意味をおぼろげながらにも理解したとき、もう彼の姿は消えていました。
「ちっ。……行くぞ、キャス。……キャス?」
メディスの恋人の女性はメディスを助け起こすことも忘れてぽーっとなって前方を見つめています。そして一言。
「あの人……格好いい」
その様子を見守っていた小さな影が二つ。
「やりましゅわね。エルネストしぇんしぇ~」
「ふふ、レアのドラゴンもよかったよ」
「キィ~、しゅのことは言わない約束でしゅ~っ。……ところでロマンヌ、お姫様の用意はもういいんでしゅの?」
ロマンヌは右手で親指と人差し指をくっつけました。
「しょうでしゅか~。頑張ってもらわなくては。なにせ、この大女優、レアがわざわざ譲ってあげたんでしゅからね」
「レアったら。譲ったのはパパでしょー」
「細かいことは気にしっこなしでしゅ」
「姫は…『幸せ姫』はどこだ?」
姫を捜す演技を続けるのも、そろそろ苦しくなってきたプレヌ王子です。
「困ったわ。まだかしら……」
そろそろ観客もざわついてきて、王子もこっそりとそう呟いたときです。
神聖な雰囲気がその場にふわりと舞い降りました。観客の人達の視線がその雰囲気の中心である一人の女性にくぎ付けになりました。
挑戦的な真紅のドレスが、そのくっきりした目鼻立ちをよく際立たせています。
銀で統一したイヤリングにネックレス、そしてティアラ。
「誰、あの人……?」
「あんなきれいな人、ラロシェルにいたっけ?」
観客たちが姫にくぎ付けにされているのをいいことに、王子は上手くその場を切り抜けました。そして言ったのです。観客のなかでもとりわけ、目を輝かせている男性のもとへと。
「ルヴァ」
「!……プレヌ、さん」
プレヌ王子はウインクしながらマントをその首から取り去ると、
「最後のシーン、代わってあげる」
彼の首にそれを巻きつけたのでした。
「えっ、ちょっ、ちょっと待ってください。僕が王子なんて、みなさんの夢が壊れてしまいますっ」
「ううん、違うの。今日は現実にある夢をみなさんにお見せするのよ」
頑張って。そういって肩を叩かれると、ルヴァは真剣な表情になって頷きました。
姫が来たと思ったら、今度は王子がいなくなったぞ。一体どうしちゃったのかしら。数々の言葉が責任感の強いルヴァを急き立てました。とても軽々とは言えないジャンプ。舞台を駆け上がると、ルヴァは目を丸くしているセシルに向かって呼びかけました。
「姫! 幸せ姫!」
「……!」
幸せ姫のイアリングが揺れました。
ルヴァは姫の視線のさきを見ずともわかっていました。みるみるうちに、幸せ姫の目から涙が溢れてきます。
「あなたがお悲しみになるのは、僕がこんな姿だからですね。……お許しください。僕はドラゴンを倒し終わると、こんなみすぼらしい姿になってしまうのです」
「へぇ~、なかなか気の利いたアドリブだわ。でもみすぼらしいって。確かに普段着にマントをつけただけだけど、そこまで言うこと……」
「んな呑気なこと言ってる場合か。セシルが泣きそうじゃねーか」
「大丈夫よ、セシルなら」
「そうか……?」
「ルヴァがいるから」
人差し指を立てて言うプレヌに、ロジェはますます心配そうな顔になりました。
観客は相変わらずざわめいています。
「幸せ姫……。お答えください」
姫がとうとう口を開きました。
「いいえ」
涙を拭いながら。
「あなた様が、私を幸せ姫なんて、もったいない名前でお呼びになるから、私は本当の名を、悲しみ姫というのです」
きっぱりとした口調で姫は続けました。
「私はドラゴンに長い間囚われていた身。悲しむことしか知らない……。似合わない女です」
「そんなことはない」
ルヴァは一歩足を踏み出しました。
「確かにあなたはいつも笑っているわけではない。ラロシェルの“スピルト”で仲間が間違ったときには怒る。正直それは怖い」
「なに言ってんだあいつ」
ロジェは観客席から思わずつっこみを入れてしまいました。
しかしこのあとがあるのです。
「しかし、たやすく笑わない人の笑顔は尊い」
姫は――いいえ、セシルは、目を大きく見開いてルヴァを見ました。もうその目には、彼しか映っていませんでした。
「僕は知っています。仲間の考えた新メニューがあたったとき、誰よりも喜んでいるあなたを。子どもたちと話すときのあなたの優しいまなざしを。だからこう呼ばせてください。あなたは幸せ姫です」
その場に沈黙が訪れました。観客が再びざわつき始めました。
なんおセシルがしゃくりを上げて泣き始めてしまったのです。
それを悟ったルヴァは大急ぎで彼女のもとへと走りました!
「ど、どうしました?!姫!あ、あの、もし迷惑とかだったら言ってください。……さっき、君を傷つけたドラゴンに苦言を呈したのが、僕じゃないのを気に病んでおられるのならそれはすみません。エルネストさんに先を越されてしまったので」
「余計なことをしたか」
少し反省気味のエルネストに、
「そーだぜ。だいたいお前、出たがり過ぎンだよ、いつもいつも」
ロジェが苦言を呈しました。
「と、とにかくすみません。でも、もしおいやでなければっ」
走り続けながら、いつしかルヴァは絶叫していました。
「僕とお付き合いしてくださいませんかっ。幸せ姫――いいえ、セシル。うわっ」
どっと観客がどよめきました。王子がこけたのです。セシルの足元に。
「わたしは」
セシルは屈み込んで返事をしました。
「タイミングが悪くて不器用で、不恰好なあなたが、どうも好き、みたいです。そして……わたしをそんなふうに見てくれること、嬉しかった。だから」
セシルはルヴァを助け起こしました。
「わたしでよければ。よろしくお願いします」
その年のサン・ジョルディの日は、一日中拍手が鳴りやまなかったと言います。
その後広間で催されたパーティーにて。こんなことが起こりました。
「もう、無理に喋ったりしなくていいからね。隣には僕がいる」
「えぇ。ありがとう」
黄色いタイルを踏みしめて、色とりどりの旗が春風に踊るそのさなか、ルヴァとセシルはぴったりと寄り添っていました。
「なんだかあのふたり、すっかりラブラブでしゅわねーってあれ、ロマンヌ?」
レアはロマンヌが隣にいないのを不思議に思い首をかしげました。
「最初としてはまずまずね。他の人の助けもあったみたいだけど」
その頃ロマンヌは、ほかの人には見えない一角、先程セシルをメイクアップさせた仮設小屋の裏手でイデアと合流していました。
「今回は合格」
イデアが持っていた本の第一章が復元しました。
「わぁ、やったぁ!」
「さ、あんたもこのサン・ジョルディの日を楽しんでいらっしゃい」
「うん。イデア、ありがとう」
ロマンヌははしゃいで去っていきました。
「楽しんでいられるのは今のうちなんだから」
後ろから肩を叩かれて、セシルは振り返りました。
「僕に意見してきた奴ならともかく、今君の隣にいる人には、勝てそうな気がして来たんだ」
セシルは微笑みました。勝気に。
「君がこんなにきれいだとは思わなかったよ。どうだい?僕ともう一度……」
気取って言うメディスの頭から、赤い液体がしたたり落ちました。なんと、セシルがワイングラスを、彼――メディスの頭の上でひっくり返したのです。
「水も滴るいい男よ、あなた」
名付けて。
「でも、もう遅いの。さようなら。……あと」
セシルは冷たくメディスを睨みつけました。ちょっと怖いです。
「私の恋人を侮辱しないで」
パエリエ直伝技。“竜の血”です。
ロマンヌはその後姿を見て唖然としていました。すると彼女も後ろから肩を叩かれました。
「ひっ」
びっくりして振り返ると、
「驚かせてしまってすみません」
そこには大好きなエルネスト先生がいました。真っ赤なバラの花で、口元を隠しています。
「ドラゴンの血で咲いた、この美しい花を小さな姫君に」
そう言って跪いて、ロマンヌにそのバラを差し出しました。
ちょっぴり怖い伝説だけど。でも。とロマンヌは笑顔を向けました。この王子様ならいいのです。なんでも。
「はい、ありがとうございます」
Fin




