8 王妃様とのティータイム
王妃カトリーヌは、何かに思い当たったようにはっとして、突然その優雅な歩みを止めました。おかげでレアはその威厳のある背中に頭をごっつんするところでした。
「そうだわ。早めに皆さんのご意見を聞いておかなくては。なにか王宮でしたいことはあるかしら。わたくし今日は特別に、公務をお休みにしてありますのよ」
いきなりの申し出にロジェ、プレヌ、ロマンヌは目を見合わせてしまいました。ところが、
「はいはい! はーいでしゅー!」
いち早く元気いっぱい手を掲げてみせたのは、もちろん、リトル・レディことレアです。
「レア、ここで、ミュージカル・ショーというものを――」
きゃっと、プレヌは内心で大喜びしました。よく言ったわ、レア! わたしも一度見てみたかったのよね。
「やってみたいでしゅっ!女王しゃまと、レア達で!」
「まぁ」
「カトリーヌしゃまは、げいじゅちゅに大変造詣が深い方でいらっしゃると聞いてましゅわー。で、ちなみに、レアもそうでしゅの!」
「そうだったの。それで、レア嬢は、どんな芸術がお好きなのかしら」
「もっちろん舞台に決まってましゅワ! レアは将来女優になりましゅの。うちで開かれるパーティーでは、レアが脚本を担当して、みんなで劇をしましゅのよ!」
「それは楽しそうね。わたくしも舞台は嗜みますが、演じるのは今回が初めてです」
すっかり乗り気なカトリーヌ王妃を見て、ロジェは不安を覚え、肩を落としました。
レアはカトリーヌ王妃から、これならあなたにも分かり易いでしょうからと、簡単な物語の絵本を貸してもらい、パパとママとともに脚本制作にとりかかっています。ロマンヌは女王陛下に、少しお話がしたいとお呼ばれし、ふたりでお庭でティータイムです。
一面を赤やピンクの薔薇に囲まれた優雅な庭園で、ロマンヌもいささか緊張気味です。
「エルキュールのことは、どう思って?」
ズキューンとむねがつかれたような心地を、ロマンヌは味わいました。妃殿下はやっぱり、そのことを気にしていらっしゃる……。ロマンヌは覚悟を決めました。
「ごめんなさい」
「あら。どうして謝るの?」
「実はわたし、他に、好きな人がいるんです」
「まぁ」
カトリーヌ王妃はその大きな目をさらに大きく見開くと――なんと、ロマンヌの予想に反して、くすくすと笑いだしました。
「それはそれは。どんな方?」
「え……えーっと……」
ロマンヌは、大好きなその人の笑顔を思い浮かべました。
すぐに、思い浮かびました。
「とっても優しくて、でも、とっても心が強い人です」
「そう」
カトリーヌ王妃は、まだ微笑みの残り香のする口元を、扇子で覆いながら、
「あなたはお父様に似て、とても一途そうね。では、エルキュールはふられてしまうというわけね。……わたくしも、そうなるのかしら」
最後にポツンと、寂しそうに残された呟きに、ロマンヌは敏感に反応しました。
「妃殿下も、好きな人がいらっしゃるんですね?」
「えぇ、そうよ」
「国王陛下ですね」
カトリーヌ王妃の顔が曇りました。
「いいえ。残念ながら、そうではないの」
「……そんな」
思わずそう口に出してしまいました。それでは、エルキュール君が、あまりにかわいそうです。お父さんとお母さんが、お互いに想い合っていないなんて……。
「あなたは優しいのね。ロマンヌ」
「えっ?」
「エルキュールのこと、想ってくれていたのでしょう?」
「……どうして、わたしの考えてることがお分かりになったんですか?」
「フフ。一国を動かす仕事をしているとね、だんだんとこうなってくるの。それにしても」
カトリーヌ王妃は微笑みました。
「本当に似ているわ。そういうところも、お父様に」
そこで初めて、ロマンヌははっとなって聞きました。
「パパ、いえ、父と、知り合いだったんですか?」
「えぇ、そう。もう大分前の話。あなたのパパには、忘れられてしまったらしいけれど」
「そうなんですか……」
ロマンヌはしかし、そんなことはないんじゃないかな、と思いました。パパは覚えている気がします。なんとなく。確かにさっき、カトリーヌ王妃に拝謁したときには、そんな素振りは見せなかったけれども。パパは人のことをあのぱっちりとした目でよく見ているし、滅多に人に関する記憶を混同することもないし、それに照れ屋さんなところもあるから、もしかしたらそれで、言い出せないだけなのかもしれません。
ん?ロマンヌはそこまで考えて、なにかひっかかるものを感じました。照れるって……。パパとカトリーヌ王妃は、照れるような仲だったのでしょうか。まさか――。
ロマンヌは身震いしました。いつでもどこでも、パパの愛する人はただひとり、ママであってほしいのです。素敵な2人の馴れ初めを、ロマンヌは知っていました。でも――。
『大人っていうのには色々あるのよ』
イデアの言葉が蘇ります。もしかしたら、ロマンヌはそろそろ大人になって、パパをひとりの人間として、受け入れなければならないときが来ているのかもしれません。パパだってひとりの男性です。ママと出会う前に恋のひとつやふたつ、あってもおかしくはありません。
「あの、妃殿下」
「カトリーヌでよくってよ」
「じゃ、じゃぁ、カトリーヌ王妃様」
「なに?」
「あの、父は、昔、どんな人でしたか」
「そうね」
カトリーヌ王妃は、ティーカップを少しの間すすってから、
「まず、頭も要領もとても良かったことは確かね。一緒にメディチ宮の中を探検したわ。と言っても、メディチ宮はわたくしの家だから、わたくしが彼を案内したと言った方が正しいのだけれど。そのときのわたくしにとっては探検と言えるくらい、すべてが新鮮に見えた。彼がいることによってね。特に素晴らしかったのは、厨房をこっそり見学していたときね。彼はすぐ、そこで調理されるイタリア料理の名前や、調理法を覚えた。それで、厨房が開いているときには、こっそり自分の国の料理をわたくしに作ってくれたりもしたわ。それがとっても上手で美味で。心躍るひと時だった」
まるで舞台の台詞のように、スラスラと長い言葉を喋るカトリーヌ王妃を見て、ロマンヌはなぜだか温かい気持ちになりました。薔薇の蕾のように色づいた頬。うっとりとうるんだ瞳。それはまるで、恋する乙女のそれで――。って、それじゃだめなんだって!
ロマンヌはまたしても、自分の思考を取り消そうとしましたが、できませんでした。
これは、ぶち当たらずにはいられない現実のような、そんな気がしたのです。
「カトリーヌ王妃は、パパのことが、好きだったんでしょうか?」
カトリーヌ王妃の長い睫が、ふいに伏せられ、長い影を作りました。
「えぇ。……とてもね。でも、気付くのが遅すぎたわ」




