表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろうをぶっ潰せ!  作者: ゆりたろう
4/4

一つに収まらぬ冴えないやり方

貝照が目を覚ますと、まるで蒸し風呂だった。5月上旬とは思えぬ気温。

傍らの時計を確認すると8時を示している。

貝照は上から吊り上げられたかのように布団から伸び上がると、さっさと登校の準備を終えた。彼の砦がその堅牢さをもって熱を閉じ込め、彼を蒸し殺そうとしてたからだ。

昨夜覚えた暗い気分は消え去り、今の彼は快活そのものだった。

貝照の頭は都合の悪いものはさっさと忘れるよう出来ている。彼はそんな自身の脳を信頼していた。


家を出ると駅に向かって自転車を走らせる。走行中に考えるのは昨日自身が会員に課した『ウケるアイデア』だ。

駅に着くと自転車を預けコンビニで牛乳を買う。

朝に牛乳を飲むのは貝照の日課である。

彼は物事を楽しむ機会を常に伺っており、牛乳を一番うまく感じるタイミングが朝一番か風呂上がりだと理解しているからである。


大学へたどり着くと、彼はクーラーを求め教室へ急ぐ。

この日は二限目から一般教養の講義だ。

昨年度単位を落としてしまった講義は後期なので、前期は単位数稼ぎのための講義を取るだけでいい。貝照には就活に向けての意気込みはまったくなかった。ひねくれものなので周囲で就職の話が増えるほど、彼は益々就職から距離を取った。

二限、同じく一般教養を入れた三限もアイデアをまとめるのに消費した。ノートに思いつきを書きなぐり、不要と感じた部分をバツで消す。ページが埋まればまたページをめくる。彼がノート上の世界に没頭する姿は教諭陣には熱心な学生に見えたに違いない。

講義後、彼はサークル棟へ向かった。貝照には殆ど友人がいない。その希少な同期の友人たちも既に4年となり殆どの時間を研究室に篭もるか就活に充てていた。よって会えない。

そんな彼にとってサークルは大学という砂漠にあるオアシスなのである。そして今それは枯れかけていた。


部室では成増が本を読んでいた。互いに手を上げ挨拶すると、貝照も椅子に座り声をかけた。

「ポップな表紙だな」

成増の本は原稿用紙を模した表紙だ。『小説家の作り方』と書いてある。

「野崎まどですよ。会長読んだことあります?」

「いいや、読ませたいなら貸してくれてもかまわないぞ」

「僕が読んだら貸してあげますよ」

可愛げのない後輩だ。

「野崎まどってSF作家だろ?そういうのは寺井の専門じゃないの」

「寺井が一番SF読んでますからね。それだけに刺激すると面倒」

貝照は同意した。先月寺井の誕生祝いで酒を飲ませたらSFについて絡んできて厄介この上なかった。顔を真赤にして絡んでくるその姿は茹で蛸みたいだった、と彼女に言ったら怒るだろう。

「それでどうしてそれを。SFでも書くのか」

「小説を書くためのハウツーが欲しくてタイトル買い」

「小説を読んでるだけで何でも学べるなら俺は博士か大臣になれるな」

「会長は読んでるだけじゃないんですか。ページをたどるだけなら誰でも出来ますよ」

留年したことを馬鹿にされているのを言外から読み取った貝照は、この話題は不利だと話題をそらす。

「メディアワークス文庫ということはライトノベルか?」

貝照はライトノベルを自分から手に取るタイプではない。だがこの男の持論はジャンルに貴賎なし、である。人から勧められたらきっちりと読む。

「どうなんですかね。いかにもラノベ然とした絵はついてなさそう」

「でもそのレーベルはライトノベルっぽいのを出してないか?本屋で見たことあるぞ」

「じゃあラノベかも。何を持ってラノベとするかですね。難しいなぁ」

二人が何を持ってライトノベルとするかという、先人が交わしたであろうライトノベル論をなぞっていると、室外から女同士の話し声が聞こえてきた。

「ああほら、会員が揃いましたよ会長。活動始めましょ」

成増は女には敏感である。女性が絡むなら名探偵並の判断力を発揮する。高校時代に女遊びが激しかったという経験によるものだろうと貝照は踏んでいた。

ドアの方を見ると、残り二人の会員が姿を見せた。

「こんにちは」

「やっほ。さっきの講義鳴尾ちゃんと一緒でさ。二人でそのままサークル来ちゃった」

二人の挨拶に、室内にいた二人が同じく返す。

全員が着席し、部室の中心にある大机を囲む。この机は前会長がサークル共通のごみ置き場から拝借したものだ。寺井には汚物呼ばわりされている。

鳴尾が手首だけを上に向け口を開いた。

「早速ですけど、私が書いた作品が載った部誌持ってきましたよ」

おお、と各員が感嘆する。成増などは拍手付きだ。彼女は気恥ずかしそうにバッグから三冊の冊子を取り出した。すべてB5用紙をホチキスで纏めたもので、アナログな手法で製本されたのは明らかだ。

鳴尾がそれらを横一列に並べると説明が始まった。

「それぞれ高校一年のとき、二年のとき、三年のときの本です。文化祭で頒布用に作りました。ただ皆さんを満足させられるような出来とは思ってません」

「鳴尾さんはどんなジャンルが好きなんだっけ」

寺井の質問に鳴尾はすぐ答える。彼女もこのサークル員に馴染んできたようだった。

「だいたい好きですけど、特にこれっていうとホラーですかね。でも自分で書こうとすると怖い想像をしなきゃいけないので書けません」

微笑ましいエピソードに、軽い笑いの我が広がる。

「それじゃ、ちょっと失礼して」

貝照はそう言って鳴尾の前に並ぶ本を一冊手に取る。


三人はそれぞれ一冊ずつ選び、作者名に鳴尾鶴代と書かれたページを探して読み始める。

貝照の選んだ冊子分の彼女の小説は10ページほどの短編だ。タイトルは『竜と平原と街』。

読み終えるのに時間はさほどかからなかった。


まとめると、近世舞台のファンタジーものだ。竜乗りは騎兵として軍属になるのが一般的な世界。子供の時に拾った竜と一緒に育ってきた少女が主人公だ。戦嫌いだった少女は18のときに相棒の竜と共に運送屋を始める。好奇の視線に晒されるものの少しずつ軌道に乗り始めた頃、大口の注文が入る。依頼主は国軍だ。依頼の内容は「前線の兵士達に輜重を届けて欲しい」というもの。少女は引き受けるもののこれが戦争への助力に当たるのかと悩む。という筋書きだった。


貝照は悩んだ。彼女の作品をあまり楽しめなかったからだ。淡々と進む展開、わかりにくい文章表現、描写の不足といった要素が積み重なって地層になっている。いざ出発!というところで終わってしまうのも消化不良で座りが悪い。

貝照の片眉が持ち上がる。これは彼が言葉を選んでいる時に見せる癖だった。

彼は正直に思ったことを言うべきか悩んだ。これが成増や寺井相手ならそのまま伝えて後々の笑い話の種にでもするが、残念ながら相手は昨日入った後輩なのだ。迂闊な発言で傷つけたくはない。しかし曖昧な表現や社交辞令で躱すという選択肢はなかった。無用な衝突を避けたがる人々が見せるそれらの手法を貝照は好まない。

どうしたものかと悩んでいると、続けて読み終えた成増と寺井も顔を上げたが、ぐうぐうと唸りを上げている。

貝照と同じようにコメントを考えているに違いない。

「どうでしたか?」

鳴尾の微笑みながらの質問で、貝照は決断した。思ったままに美点を褒める。これが最良と彼は判断した。

「展開が速いのが良いな」

これも貝照の正直な感想のいち面である。。

「あ、それは僕も思ったなあ」と成増が合いの手を入れてくる。

「面白くなかったでしょう?」

鳴尾の発言に貝照は見透かされたような気がした。しかし、面白かったかと問われて良かった部分を褒めたら、それは面白くはなかったと言っているのと同義である。貝照もそれに全く気づいていなかったわけではないのだが。

「でも高校生ならよく出来てると思うな。あと設定は好き」

寺井のフォローはフォローになっているかイマイチ不明瞭だ。

三人が三作品を読んで、面白がった人間がいない。というのが判明した事実である。

「私の小説が不出来なのは自分でわかりますよ。ごまかしも取り繕いも効きませんから。小説を書けるっていうのと、小説を読ませるっていうのは全然別のことなんですね」

「小説を書くのが好きなの?」

成増が質問する。

「好きではありません」

彼女は即答した。その回答に貝照は少々意表を突かれた。小説を書くことが好きだから三年間も執筆を続けられるのだろう、と思っていたからだ。

じゃあなぜ、と貝照は零した。

「私の想像を形として外に残しておくためです。小説を読むことは好きですから小説というプロセスで出力したにすぎません。もし絵を好きだったらイラストや漫画で表現していたかも」

彼女は執筆という活動とは完全に割り切った関係なのかもしれない。

「でも私の筆力じゃこのサークルを助けるのは無理そうですね。ぬか喜びさせたならすみません」

寺井が頭を下げようとするのを遮る。

「謝ることはない。君に落ち度はないからだ。だが小説を書くのが好きじゃないということは、今年の我々の活動目標とは噛み合わないけれど」

「いえ、私もちゃんと協力しますとも!小説について話し合える場は得難いです」

「ホント、人が入ってくれて良かったなあ」

成増の言うとおり、この時期に消えかけのサークルに入ってくれる一年生など道端で宝石を見つけるよりも希少だろう。

「一緒に上達していこ」

寺井が親指を立てる。彼女はこうした動作がいちいちサマになる。

「私、色んな人に読まれるために小説を作るのは初めてかもしれません」

「私たちなんて書くのも初めてよ」

全員が元気に笑った。笑い事ではないが。

「うむ。当面のサークル目標はweb上でビューを稼げる小説を書くことだ。それについては福々で行わんか?昼めしがまだなんだ」

貝照は昼食を摂っていなかったため胃が悲鳴を上げていた。彼は一刻も早くなにか腹に収めたがっていた。

各員が同意する。時間もちょうどいい。

「鳴尾くんには新歓の一環で奢ろう」

「いいんですか?」

「いいよ」

「僕にも奢ってくださいよ」

「お前は二年だろう」

そんな会話をしながら部屋を軽く片付け部室を出た。

施錠を確認すると、学校を出る。


今日の福々食堂は空いていた。予言終わり前に時間にやってきたのが功を奏したのだろう。

ここは定食メニューが三つしかない。魚の照焼定食と生姜焼き定食とチキン南蛮定食だ。一律七百円。

女性陣は照焼、成増は生姜焼きを、貝照はチキン南蛮をそれぞれ注文した。

十分もせず熊のような容貌のおかみさんがそれぞれの皿を持ってきた。

膳に乗せられた料理の量はちょっとした丘になっている。学生受けするのも納得だ。

他の店で同じ料理を注文したら二人分か三人分が要るだろう。

文研の各員は早速丘を崩し始めた。

「やっぱりすごい量ですね。しかもこれがすぐ出てくるって言うんだから信じられない」

成増が疑問に思うのも当然だった。貝照はこの謎を解くために厨房を見ようとしたこともあったが、いずれも失敗に終わっている。レンジで温めるだけ、ではないようだが、謎は謎のままだ。

量だけという訳ではなく味も悪くはない。貝照には少々塩辛かったが。


「それでウケの良さそうなのは考えてきたか」

食事も後半に差し掛かったところで、貝照が口を開いた。

「もちろんですよ」

「うん」

「はい」

それぞれから頼もしい返事が帰ってくる。

「では成増から提供してくれ」

「でも言い出したのは会長ですよ。会長からが筋じゃないですか」

成増はいつもの小ばかにした笑顔である。

「たしかにそうだ。ではまずよく言われるなろう小説の定義を考えよう。生まれ変わり、異世界転生、美少女は鉄板だろう」

「女の子は僕も好きだなあ」

貝照は成増の軽口を黙殺した。

鳴尾はピンときていないようで、首を横に曲げていた。

「あの先輩方すみません。なろう小説がよくわかりません」

どう説明したものかと貝照が脳内で段取りを取っていると寺井がさっさと答えてしまった。

「小説家になろうってサイト知ってる?ここには独特なテンプレートがあるの。誤解を恐れずに言えば、そのテンプレートを利用した作品がなろう小説」

「へええ。サイトの名前自体は聞いたことありますけど、そんな枠組みがあったんですね」

「そう、それでそのテンプレートでよく見られる要素が異世界転生って言って、この世界の人が事故死して違う世界に生まれ変わるって内容。大体の異世界では美少女がセットで主人公は超能力または優秀な頭脳持ち」

貝照は思った。やはり説明や解説は寺井に任せたほうが良さそうだ。自分は教導向きではない。

「あーそれ知ってますよ!ハーラン・エリスンの『竜討つものにまぼろしを』ですね!」

そう言いながら鳴尾は胸の前で手を打ち合わせる。

「異世界転生はSFだったのか……?」

寺井は呻いた。

その作品なら貝照も以前寺井から貸してもらった短編集で読んだことがある。確かに異世界転生ものの走りとでも言うべき展開だが、当時はなろう系との関連性など思いつかなかった。寺井が呻くのも仕方がないかもしれない。

「とにかくなろう要素についての共通化は出来たと思う。転生、美少女、無双。三種の神器だ。だから俺はこれを逆手に取る。異世界から美少女がこの世界に転生する。これはどうだ!」

貝照以外の顔には明らかに、何言ってんだ、と書いてあった。寺井はおかみに日本酒を注文し始める。

各員の反応に満足し解説を始める。

「つまりな、ファンタジー世界で死んだ美人がこっちに生まれ変わる。するとどうだ。この世界の技術も魔法も使える女が出来る。筋書きを説明すると―」

説明はこうだ。


魔法の発達した街。そこで魔術師見習いとして生きていた主人公(美少女)は実験中の事故で死亡してしまう。魂が天に召されるかという時、再び人間としての身体に戻る。しかしその身体は新生児のものだった。全く異なる世界に転生した主人公。新世界に魔法はないが、主人公(美少女)は前世で習得した分の魔法は引き継いでいることに気づく。西暦の世で科学力の結晶である文明の利器と魔法を同時に使いこなす主人公(美少女)による世直しバトルノベル!


少々熱が入った語り口だった。貝照が説明を終える。

「世直しって何やるんですか。政治活動?」

途端成増が突っ込んだ。

「無双要素はどこいったんですか?」

寺井からも疑問が。

鳴尾の方を見ると曖昧な何とも受け取れる笑みを浮かべている。

勢いで押し切ろうと貝照は再び熱弁を振るう。

「世直しと言ったら悪と戦うに決まっとろうが。それに悪人と戦う時にピンチな状況に置いて魔法でバッタバッタとなぎ倒せばいいんだ」

「それじゃ魔法少女ものじゃん。主人公が戦う理由もよくわからないし」

寺井の発言に貝照は言葉に詰まる。たしかにそうなのだ。主人公の目的が不明瞭だし、カテゴライズするなら魔法少女ものだ。内心ではその点に気づいていた。

「会長めったにラノベ読まないんだからそんなラノベに近づけないでいいんですよ。会長の好きな小説に近づけたほうがいい」

成増の発言はもっともらしく聞こえる事が多い。オバサンの人生相談でもやったらいいと貝照は思っている。

「会長の好きな本ってレビュー見ると星五つ中の三つ、みたいなパターン多いですよね」

「俺が好きというだけでその本には刷られた価値がある。他の誰がなんと言おうと俺の中では星五つだよ。他人の評価なんて関係ない」

はいはいと成増になだめられる貝照。成増ももう慣れたものだ。

「会長の筋書きですけど、書き方次第で面白くなるんじゃないですか?主人公の使える魔法のバリエーションで変化を付けることもできますし」

鳴尾のアイデア。ある意味これは核心をついている。異世界に何を持っていくかが転生もので個性が光るポイントだからだ。

「ありきたりな魔法じゃ駄目だよね」寺井の言うことはもっともだ。仮に炎を出せる魔法をこの世界に持ってきても、それではライターやマッチと変わりはない。飛行機のように発火装置を持ち込めない場所でなら別だが。

「バトルっていうのが難しいよね。農業なら草木を成長させる魔法で頂点を取るっていう展開に出来るし、漁業がテーマだったら電撃魔法で魚を取り放題じゃない」

「それじゃビリ漁でしょ。魚じゃなくて主人公が捕まるって」

「魔法と言っても、ある条件を満たさないと使えない代わりに超強力っていうのはどうでしょう。これならいかに条件を満たすか、相手の思惑を外すか、で知能戦に持っていけると思います」、

鳴尾が自ずから提案する。今年の新人は優秀だと貝照は思う。

「それは面白くなりそうだな。でも別に戦いに拘ることもないってのは確かにそうだ。占星術でオンライン占いさせるってのは……駄目か。異世界だったら星だって全然違うよな」

貝照は自身の脳を取り出して手で揉み回したかった。なるほど確かに戦いに固執していた。ただの日常生活でも魔法というアクセントがあればいくらでも発展させられるじゃないか。

そう思った。


「んー、そろそろ私の考えた設定出していいかな」

「かまわないぞ」

寺井の前に空になったお猪口が置かれている。寺井の声が普段より大きいのはこれが原因だろう。貝照は酒が飲めないので彼女には付き合えない。成増はまだ未成年だ。寺井は先月に酒を覚えてからすっかり上戸だ。

「私の考えてきたやつは宇宙です。スケールとかじゃなくて舞台が。スペースオペラってやつですよ。星間戦争は皆好きでしょ?」

それはどうだろうかと貝照は突っ込んだ。今度は貝照が黙殺される番だった。

「タキオン粒子を使った対艦兵器や通信技法!こんな設定が嫌いな人いませんよ。オーバーテクノロジーは人を興奮させるもんね。大量の軍艦を一度に送るためのワームホール・ゲートに対抗して戦力で劣る艦隊が小回りで勝るハイパースペース航行でゲリラ的に戦う、なんて燃えるシチュエーションでしょ」

彼女は話しているうちに興奮しているようだ。

熱弁だったが、鳴尾がすみませんと声をかけるとそれは一時中断された。。

「タキオン?とかハイパースペースって何ですか?」

鳴尾はSFをあまり読まないのかもしれない。それならばわからなくても仕方がない。

「ああごめん、タキオン粒子もハイパースペースもSFに出てくる設定でね、タキオンの方は光より早く動く粒子、ハイパースペース航行は別の時空に一時的に入って光速よりも速く移動する方法だと思ってくれればいいよ。それにSFはよくわからなくても読めちゃうジャンルだから」

寺井のSF好きな面が顔を見せた。こうなった彼女は扱いが面倒くさい。酒も入っているので大層たちが悪い。

依然鳴尾はよくわからなそうな顔をしている。

鳴尾が知らずに寺井を刺激すると危険と判断した貝照は、本題に戻すべく爆弾処理班のように慎重かつ勇猛に発言した。

「ほらSFの用語解説はもうわかったからさ、話をもとに戻してくれよ。スペースオペラなんだろ」

「わかってません!会長SF何冊読んでるんですか?SFをわかりたいなら最低一千作は読んでもらわないと。まあでもその中の90%はダメなんですけど」

しくじった。寺井も例に漏れずSF好きの悪い面を持っている。普段は隠れているがアルコールを与えた状態でSFの話をするとこうして顔を出す。ここで失敗すると彼女のSF論が始まってしまう。

「わかったわかった、いやわかってない。わかってないけど今はお前の考えたスペオペが知りたいんだって、ほら披露してくれないか」

貝照がそう言うと彼女は得意そうにわずかに背を反らせた。

「そうですね、じゃあ私が昨日考えてた設定を披露しましょう―」

成増も貝照もこれでひとまず安心できると息を吐き出した。


星間貿易が一般化したはるか遠くの未来。人類は母星から遠く離れ、異星人との交流や技術の発展を経て、国家は星々を束ねる支配体系を成立させていた。支配領域に属さない自由星域の一角に、幾つかの星を股にかけ運送を執り行う一隻の宙輸船が飛んでいた。彼らの名はザクピサトゼ商会。地球人類種を中心に異星人類種をいくらか迎え入れ構成された運送専門有限会社だ。しかしその船には裏の顔が存在した。それは宇宙海賊。彼らは星雲が非常に濃く外部からの観測が難しい星域に拠点を構え、義賊的活動をモットーとし、その近辺を通過する悪徳商船を襲撃する。しかしある時その星雲を挟んだ二国家、タク・エールブヘ帝国とビハイ・ノゥ共和国間で戦争が勃発する。そんな情勢下でもいつも通り稼業を行った彼らが襲撃した船は実は商船に偽装したタク・エールブヘ帝国の偵察艦であった。これにより帝国の艦隊に追われる身となった彼らはビハイ・ノゥ共和国下の星域へ逃れ、やがて共和国所属の海賊として帝国との戦争に身を投じていく。


「どう?中学生っていうとやっぱり宇宙海賊が好きだと思うんだけど」

そこまで言うと徳利から猪口に酒を移し一息に飲み込んだ。普段よりもハイペースだ。彼女も内心では女子会員が増えるのを喜んでいるのかもしれない。

貝照はどういうネーミングセンスだろうと思った。中学生が宇宙海賊を好きかどうかはわからなかったが、寺井の出したあらすじは嫌いではなかった。中学生時代に銀英伝に嵌った過去もある。

「いいと思う」

貝照は素直に褒めた。

「名前が発音しにくいね。どうやって決めたの?」

成増の質問は貝照も気になっていた部分だ。

「私の取った第二外国語は銀河公用語よ」

彼女のジョークは普通の女子会で放ったらドン引きされること間違いなしだろう。

「まあ冗談は置いといて、適当に文字列を出力するジェネレータを使って出したの。名前ってそんなに重要?」

「やっぱり覚えやすいほうがいいと思いますよ」と鳴尾がこたえる。

「地名は実在の場所をもじるのもいいと聞いたことがあるな。人名は実在の名前をそのまま使うと実際に使われていた時代と合わない、なんてのも聞いた」

「僕は時代と名前を合わせるなんてしなくてもいいと思いますけどね。現代日本に五右衛門て名前の人がいたっていい

成増のこの意見は貝照とは異なる。

「俺は名前につけられた意味を重視したいから時代背景には拘りたいがなあ」

「会長の作品ではそうしたらいいでしょう」

可愛げのない後輩である。

「でもこれ主人公は誰だ?なんとか商会の船長さん?」貝照はたずねた。

「あ、設定ばっか考えてて主人公とか全然決めてなかったわ。ごめん」

寺井はうしろ髪を手で梳いた。

「群像劇にするのか?乗組員の」それはかなり難しそうだなと貝照は思った。主人公を一人に定めないのは難しい。複数人の立場を踏まえて思想やドラマを成立させねばならないし、この場合は一人ひとりの小さなエピソードを束ねていき、最終的に戦争を左右するような大局を仕上げねばならないだろう。小説を書いたことのない人間にいきなり書けるとは思えない。

「主人公ははっきり決めた方が良いと思う」とは成増。「初心者に群像劇なんて無理だよ」

至極もっともである。

「ううん。私もそう思う。海賊にしたって成長や変化の方向が全く思いつかないし、多分私にはこれは書けないと思う。ガワだけ作品だね」

ガワだけ作品。これはこのサークル内で使われる言葉で、意味は「設定だけ拘っているがそれ以外がおろそかの作品」を指す。

「しかしお前が持ってくるならガチガチのハードSFものだと思っていたぞ」

「いやー、web上でハードSFやっても受けないでしょ。考証も大変だし。私がアンディ・ウィアーだったらともかくさ」

寺井は寺井なりに人気を取ろうとアイデアを考えたらしい。貝照はそのことが嬉しい。彼女なりのこのサークルを気にかけていることの証左だからだ。貝照は成増か寺井のどちらかに会長の席を譲り渡したかった。

「じゃあ次は成増よろしく!」

貝照にかわって寺井が場の舵を取る。

成増が軽く手を上げ話し出す。

「会長の言ってたなろうの三要素ってのは前に僕と会長で議論したことがあってさ、その一要素を取り出したらどうなるんだろうって考えたことがあるんだ。それで転生に焦点を当ててみた」

貝照が成増とその話を。

「そこで僕が今回考えたアイデアはこんな感じ。輪廻転生の存在を知った男が、人生うまく行かなくなったらさっさと次の人生に行っちゃうって内容。何度も何度も生まれ変わって楽しい人生を謳歌するけど最後には手痛いしっぺ返しがくるって締め方だとオチもついていいね」

「オチまでついてるのか。短編向きかな。面白そうな着想だと思うが」

貝照が顎をさする。朝剃り残した髭が彼の指をちくちくと刺した。

「それ藤子・F・不二雄の短編で見たわ」

寺井がそう言うと「エッ!」と成増が悲鳴にも似た声を出した。

「あちゃあ、もうやられてたか。そりゃそうだよな。大体の発想なんてもう先人がやってんだ。これをやったらパクリになっちまう」

成増は肩をすくめる。「ボツにしよう」そう言って水を飲んだ。ネタ被りでも書いておけば文章の練習になるのではないかと貝照は思うのだが、なにぶん本人が何も書いてないのでいかんせん説得力がない。

「しかしお前も漫画読むんだな。Fの短編とは」

貝照のイメージでは、そういうのは成増の担当分野であり寺井はコミックを読まないと思っていた。

「あれもSFですよ。少し不思議ってやつ」

意外ではあったが納得はいったので貝照は黙った。

トリは鳴尾だ。

「オンラインで小説を書くということは、インターネット上でしかできない小説を書けるってことですよね。私が考えたアイデアは、同時に読んでいる人数で展開が変わるっていう小説です。探偵ものを例にすると、読者が一人だと全然証拠が出てこないんです。一人で調べてるから。でも百人が同時に読んでたら沢山証拠が出て来る展開に変わる。つまり読者の力で犯人を見つけられる。こういうふうに読者の数の力で物語を動かせたら面白いなって思ったんです」

そうきたか。自分が言ったのは『ウケるアイデア』である。あらすじを持ってこいとは一言も言っていない。こういったギミックだって立派なアイデアではないか。貝照はそう考えた。

「ううん、それを実際にやるには自分でサーバー立てる必要がありそうだなあ」手間を考えて貝照は唸る。

「同時接続数も稼がなきゃいけないから宣伝が重要ですね」

成増の言うとおりだ。読んでも人手が足りないという理由で納得のいかない結末にたどり着いたら、それはやるせない気持ちになるだろう。

貝照は思考を巡らせる。読者参加型小説というのは面白いかもしれない。今までの形では読者がリレー形式で小説を書くというものが有ったが、これはそういった形式とは異なるものだ。

「累計アクセス数で展開を変えるようにしたら?」照井の提案だ。

「それも良さそうですね。でもそれだと人がいない時のバージョンを読めない人が出てきてしまいませんか」

鳴尾がそう言う。リアルタイム性を重視しているのだろうか。SNS等の登場でリアルタイム性というのは話題を集めやすい性質なのは確かだ。

しかし彼女もこれの実現のためにはいくつものクリアしなければならない課題があることは分かっているに違いない。

不意に、「場所を移さないか」と寺井が提案した。貝照が腕時計を見ると既に七時を指していた。食堂に入ってから三時間ほど議論していたことになる。

「そうだな、一度出よう。鳴尾くんの分は俺が持つよ。新歓期間だし」

貝照はそう言うと鞄を持って立ち上がり会計へ向かった。


外に出ると鳴尾が貝照に礼を言ってくる。

「礼はいいよ。このサークルを存続させるのに協力してくれればいい」

そう言うと会員を先導しアーケードへ出る。

成増が「これからどうします」と言った。

「俺はまだいくつかアイデアがあるぞ」

貝照の言葉に感化されたかのように、後輩たちからも同じ言葉が出た。

「よし今夜はもう少しやろう」


朝まで営業している飲み屋に入った彼らは始発までだらりと意見を交わしあった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ