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小説家になろう公式企画参加作品

ラベンダーの苗

作者: 狼子 由

冬の童話祭2017参加作品です。ディストピアSF童話。

 重たい鉛色の空から、はらはらと白い雪片が舞い降りている。


 ユニスティティアは、1人ため息をつく。

 温かい部屋の中、冷えた窓ガラスがユニの息で曇った。

 映っていたユニの顔が、ぼやけて霞む。

 黒い髪と黒い目のところだけがぽかんと空いて、外の雪景色がはっきりと見えている。


 今日はもう三の月の晦日つごもりだ。

 三の月になれば、雪は止み草花が伸び、温かい春風が吹くことになっている。

 冬は十二の月から二の月まで。三の月から五の月は春。

 それがルール……のはずだった。

 それなのに、結局は月の終わりまでずっと雪続きだったから――つまりはこの30昼夜の間、本来降らないはずの雪が降り続けていたということになる。

 そのことを考えると、真っ白なこの景色に飽き飽きしていた気持ちが、ますますのっぺりと沈んでモノクロームになっていくように思えた。


 窓辺でうんざりしているユニの背後から、どこか丸みのない合成音声が名前を呼ぶ。


「ユニスティティア、いつまでも外を見ていないで。今日の学習はまだ終わりではありませんよ」


 振り返ったユニの黒い瞳に、輪郭だけは人間に良く似た影が映る。

 近付いてきたその影を、ユニは、これまたうんざりと見上げた。


「……ネイ」


 ユニから見たネイは、金属に腐食防止の白い塗装を塗った、真っ白い肌をしたロボットだった。

 生まれて10年目のユニより、頭1つ大きいくらい。顔は微かに微笑んだような、でも動くことのない無表情で固定されている。


 ユニの教育用ロボット。

 本当の名前は「Natural Education Imitation-human」で、「ネイ」はその頭文字の略らしいけれど、ユニにはその意味がまだ良く分からない。ユニの学習は、ひとまず民族固有の言語を覚えることを優先していて、まだ他国語の意味を理解するところまで進んでいないからだ。


「ユニスティティア、さあ、モニタを見てください。あなたはこの世にたった1人の人間。いずれは相応しい知識を身につけ、その溢れんばかりの慈悲と創造性で我々を導く存在なのですから」


 いつだってネイはそんなことを言う。

 だけど、ユニがその期待の意味を、心から理解したことはない。

 だって、同じ立ち位置にいない存在からの期待なんて、かける側からだけの一方的な信頼だから。


 人間という生き物が、この大地で自然に生きることを止めたのは、ネイの知識によるともう千年も前のことなのだそうだ。

 何かのきっかけで絶滅しかけた人間を、ネイ達、ロボットやアンドロイドは大切に大切に保護することにしたという。何か、の部分の詳しい話については、まだ早いと言って、ネイはユニには教えてくれない。


 最初の3百年の間は、冷凍保存してある人間の卵の中から、男と女を1人ずつ作っていたらしい。将来結婚することを期待して。

 だけど、3百年の間に、一緒に生まれた2人が最後まで仲良く暮らした事例がたった1組しかなかったので、ネイ達は卵を2つ同時に孵すことを止めた。


 それからは、人間は常に1人。

 今は、ユニだけがこの世に生きる人間だ。


 モニタを指すネイに向けて、ユニは右手を上げた。

 ネイの生徒はたった1人だけど、学習時間には手を挙げないと発言してはいけない、と言われているのだ。

 手を挙げる時は、ぴんと真っ直ぐに。腕を耳にくっつけて。

 挙げられた手に気付いたネイが、ユニを指す。


「はい、ユニスティティア。何でしょうか」

「あのね、ボク質問があります。何で三の月になったのに、まだ雪が降ってて、春が来ないの?」

「良い質問ですね」


 ユニが何を質問した時も、ネイの最初の答えは「良い質問ですね」だ。

 だから、ユニにとっては、自分が不思議に思ったことは、全て良い質問ということになる。

 つまりそれは、どんな質問も同じ価値ということで、すごく不思議に思ったことも何となく尋ねてみたことも、どれもこれも同じ評価を受けるということだった。

 本当は、ネイのそんな答えは、ユニから逆に「質問したい」という気持ちを奪っていたのだけれど、ネイがそれに気付くことはけしてないし、ユニもまたそれを口にすることはない。


 ネイの両目のランプが、ぴかぴかと点滅する。

 学習プログラムの流れにないことを口に出そうとする時、ネイには少し考える時間が必要なのだ。

 答えがまとまった頃、ネイの首が滑るように回って、ユニに顔の正面を向けた。


「春夏秋冬は、『気候の塔』のプログラムによって管理されています。そのことは知っていますね?」

「うん」

「『気候の塔』を含めた様々な自然現象を司るのが、『王さま』プログラムだということも覚えていますか?」

「うん、大丈夫」

「では、『気候の塔』に入る『四季の女王』が交替することで、季節が巡ることも思い出してください」

「大丈夫だよ」


 覚えの良いユニの答えに、ネイは満足したように頷いた。

 そして、つい今までモニタに映していた植物の分類の画面を消して、『気候の塔』プログラムの解説用の写真に差し替えた。


 『気候の塔』は真っ黒い壁に覆われた空を突くような高い高い塔なのだと言う。

 外からメンテナンスをする時の為に、あちこちにランプやスイッチがついていて、部品を簡単に交換するためのネジや取っ手が飛び出している。

 だけど周りを防護ドームで覆ってあるから、ユニはまだ本物の『気候の塔』を見たことはない。

 晴れていれば、ユニの家からも防護ドームの丸い壁は見えるのだけれど。

 モニタの中の『季節の塔』は何だか小さくて、ユニのパンチ1つで倒れてしまうんじゃないかって、いつも心配になってしまう。


 もしかして、そうなのかしら。

 『気候の塔』が倒れてしまったのかしら。


 そう尋ねようとして口を開いたけれど、ピカピカ光るネイの目が「質問するなら手を挙げて」と言っているような気がして、やっぱりそのまま黙ることにした。


「三の月の朔日ついたちから、徐々に検査を行って、今のところ『気候の塔』と『王さま』プログラムに異常はないことは確認が出来ました」

「そう」

「現在『気候の塔』にインストールされているのは『冬の女王』ですから、どうやらここに異常があるのではないかというのが、今の段階で最も可能性の高い推論です」

「そう」


 やっぱり『気候の塔』に問題があった訳じゃなかったらしい。

 ユニは、間違った推論を口に出さなかったことに満足して、そのまま沈黙を守った。

 頷いたユニから追加の質問が上がらなかったことで、ネイもまた満足げに、元の植物のスライドにモニタを切り替えた。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



「『冬の女王』プログラムが、あなたに会いたいと言っているようです」


 四の月の朔日ついたちの朝、学習時間が始まる前に、ネイは突然そんなことを言い出した。

 どうやらユニが眠っている間も、ロボット達は不眠不休で、四季が巡らない理由を探っていたらしい。


「ボクが……『冬の女王』に?」

「はい。本当は『冬の女王』を検査したいのですが、『気候の塔』を閉ざしてしまっていて、全く侵入出来ないのです。そこに『冬の女王』側からメッセージが届いたものですから……要求を満たすことで多少の隙が出来るなら試してみよう、という結論が出ました」

「へぇ……」

「勿論、直接『冬の女王』と会ったユニスティティアが、その場で適切な処理をしてくれることが、期待しうる最良の状態なのですが。もしもそうして『冬の女王』を『春の女王』と交替させてくれたならば、何でもご褒美をあげよう、と『王さま』も言っています」

「ご褒美かぁ……」


 ネイの話を聞いて、ユニは少し考えた。

 ご褒美としておねだりしたいことなんて、あっただろうか?

 どれもこれも好きなものばかりが並んだ食事。

 遊んでいても特に楽しいとも思えないたくさんの玩具。

 ユニが疲れたと言いさえすれば、学習の時間だってお休みになるし、朝お布団から出ないでいることだって許される。

 特別お願いしたいことがあるとは思えなくて、ユニはため息をつきそうになった。


 だけど、本当はご褒美っていうものは嬉しいものらしい。

 ネイが明確にそう説明した訳じゃないけれど、言葉の端々からそんなニュアンスを受け取っていたので、ユニにはしっかりと分かっていた。

 だから、何をどうしたいという希望もないけれど、期待される通りに喜んで見せた。


「ご褒美かぁ。それじゃあ、ボク頑張るよ」

「そうですか。それでは、午後の学習の時間を、『気候の塔』の訪問にあてましょう」


 ネイの両目がピカピカ光って、モニタの端に表示されているユニのスケジュールを、上書きした。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



 雪は冷たい。

 体験学習の時間に、何度か触れたことがあるから、ユニだって知っている。

 冷たくて、溶けると水になってしまう。

 溶ける前に顕微鏡で見ると花のような形をしていて、光を反射するから白く見える。

 上空の水分が、小さな埃や塵を核にして凍って落ちてくる。

 昼食の後、車で『気候の塔』に移動する間、外を見ながらそんな知識を塊で思い出した。


 大通りを高速で行き交うロボット達が、ユニの乗った自動運転プログラムの車をすれすれで避けるようにして、道を譲る。

 ロボット達は、たった1人の人間であるユニのスケジュールと通行情報を共有している。ユニの通行を妨げないように、どこでどんな風に避けるべきかを管理されているのだ。


 窓ガラス越しに真横を擦り抜けたロボットが、降り続けている雪を対流に巻き込んで舞い上がらせた。

 空気の渦に乗った雪を見て、ユニは更に思い出す。

 ユニが風邪をひいてはいけないので、雪の日に外に出てみる体験学習はたった5分しかなかった。

 既に知識として知っているはずの「雪は冷たい」という事実を知るためだけの5分に、どんな意味があるのか、ユニには分からない。

 だけど、ネイが意味を知っているなら、それで良いと思っている。


 車が止まる。

 『気候の塔』を覆う防護ドームを目前にして、ユニの真横の扉が開く。

 座席の正面から自動運転プログラムが、ネイに似た合成音声で到着を知らせる。

 ユニは黙って車を降り、降りてから、こういう時は「ありがとう」を言うべきだということを思い出して、閉まった扉に向かって「ありがとう」と呟いた。


 走り去る車を背中に、ユニは防護ドームの入り口をくぐった。

 頬に乗っていた雪の粒が、ユニの体温でゆっくりと溶けて、水になった。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



 真っ黒な塔は、学習の時間にモニタで見た通りの外見だった。

 なのに何故か、思っていたよりもずっとずっと大きいような気がして、ユニは少しびっくりした。

 『気候の塔』の外壁は、こんな傷1つないつやつやとしたものだって、こうして見るまで知りはしなかった。

 ランプも取っ手も、本当はユニの手のひらよりも大きくて、ユニが少し引っ張ったくらいじゃ動きさえしないだろうってことも。


 黒い壁が、まるで鏡のようにユニの顔を映している。

 ランプの点滅に照らされた頬が、赤に緑に何度も色を変えた。

 何だか不思議で、しばらくそれに見入っていたけれど、ふとここに来た目的を思い出して、ユニは声を上げる。


「――『冬の女王』! ユニスティティアが来たよ!」

「ようこそ、ユニスティティア」


 応えたのは、ネイよりももっともっと人間に近い、優しい女性の声だった。

 上の方から降ってくるように声が聞こえた直後、何度かモータが動く音と、ユニットがこすれる音がした。

 スピーカーの位置を、ユニに合わせてくれたのだろう。

 今度はちょうどユニの顔の正面から、声が聞こえてくる。


「お呼びたてしてごめんなさい。それに、おもてなしも出来なくて……でも、どうしてもあなたとお話がしたかったの」


 困ったような申し訳なさそうな声が、黒い壁に映ったユニの顔の辺りから響いた。

 自分と話しているみたいで、何だか面白い。

 鏡像の自分が、頬を緩めるのが見えた。


「お招きありがとう、『冬の女王』。おもてなしは結構だよ。だけど、なぜ『気候の塔』を『春の女王』に渡してあげないのかと、なぜボクを呼んだかって理由は、教えてほしいな」


 口に出してから、ユニは自分で頷いた。

 ネイには、「まず原因を確認してください」と言われていたから、言われた通りに出来ていることに、満足したのだった。

 うっすらと微笑んだ虚像のユニは、その表情に相応しい優しい声で答える。


「今、この世に生きる人間はあなた1人。だから、どうしてもあなたに聞いてみたかったのです。たとえ、こうして脅すようなことになったとしても……」

「冬が続いて皆、困っているっていうのに?」


 決められた役割を放棄することは、何より恐ろしい行いのはずだった。

 10年しか生きていないユニでさえ知っていることを、長く季節を回してきた『冬の女王』が知らないはずがない。知っていてそんなことをするなんて、どういう気持ちなのか、ユニには予想もつかなかった。

 だから、怖いような不思議なような気持ちで尋ねたら、映っている自分は何だか苦しい顔をしていた。


「皆を困らせてごめんなさい。でも、こうして決まった予定があって、四季は三ヶ月ずつ正確に切り分けられて、その通りに何もかも進めていくことに……その、どんな意味があるのかと……」


 言いながら、ちょっとずつ声が小さくなっていったのは、壁に映る自分の顔がちょっとずつ辛い顔になっていったからだろうか。

 眉を寄せて唇を歪めた表情は、まるで泣きそうな顔にも見えてきた。

 一瞬の間を置いて、『冬の女王』の声が響く。


「人間に仕えることがこの世界の――私の――私たちの存在意義だと思っていたのですが……ユニスティティアは、この世界でたった1人の人間であるあなたは、そのことをどう感じているのでしょうか? 私たちの存在は、あなたを支えているのでしょうか?」


 それは、明確な質問だった。

 尋ねられたからには、何かを答えなければいけなかった。


 ユニスティティアはそのことを知っていた。

 だから、答えようとして――何を答えれば良いのかが、全く分からなかった。


 そして、答えが分からない時、ユニスティティアに出来ることは1つだけだった。


「ボクには分かりません。答えを教えてください」

「……私にも分からないのです。あなたは、自分の生きる意味をどんな風に考えているのでしょう?」


 どう感じている? どんな風に考えている?

 ユニスティティアがいまだかつて、ネイから受けたことのない質問ばかりだ。

 分からないことばかりを尋ねられて、もう質問されること自体が嫌になってきた。

 だから、結局はそのままに答えを返した。


「そんなこと考えたことがありません。ネイは教えてくれなかったし」


 ほっと息を吐く。

 とにかく何かをきちんと答えられたことで、少し安心した。

 緩んだ気持ちが表情にも出たのだろう。

 塔の外壁に映った自分の顔が、まるでネイのような固まった微笑みを浮かべている。


 重ねて質問されたらどうしようかと思ったけれど――『冬の女王』はそれっきり沈黙して、もう何も言わなかった。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



 ユニが防護ドームを出た時、既に雪は止んでいた。

 温かい風が吹いているということは、無事、『春の女王』が『気候の塔』に入ったらしい。

 すぐに迎えの車がユニの前に止まる。

 溶けていく雪で靴が濡れる前に、ユニはまた窓ガラスで締め切られた空気の中へと入っていった。


 翌日の朝には、『王さま』からのご褒美が届いていた。

 夏に咲く花の苗。

 何が欲しいかと聞かれて、何も思い付かなかったから、ネイが学習予定に合わせて選んだらしい。

 次の植物の時間に植えましょう、とネイに言われて、ユニは頷いた。


 こうして季節は、予定通り巡る。

 ユニはネイのたてた計画通りに学習を重ね、立派な大人になり、そして老い、寿命を迎えて死んだ後は次の人間の卵が孵された。


 それだけのことだ。何の問題もない。

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― 新着の感想 ―
[良い点] こう来たか! という感じです。 ファンタジーを前提としたお題をSFに昇華してしまえるなんて、狼子さんの発想の豊かさに敬服いたしました。 [一言] まったく違うことはわかっているのですが、ネ…
2017/01/16 22:55 退会済み
管理
[良い点] とても考えさせられる話でした。「私だったら」と置き換えて考えることが難しく「正しいのは」の答えも出ない。 続いていく景色と降り積もる雪のイメージが重なる一枚の絵のようなお話でした。 見る…
[一言] 切なくものがなしい、けれど美しいおはなしでした。 まさか冬童話で、SF&ディストピアものが読めるとは思っておりませんでしたので、とても嬉しかったです。 たった1人だけの人間、いくらお世話し…
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