散りゆくもの
散り切って葉桜になり、更にゴールデンウイークを過ぎた頃、どうも例年、妙に周りが散っていく気がするのだ。
初めて会社の代表を名乗ったのは、23歳だった。今と同じ杭打ち業界である。今から思うと噴飯物の、なんにも知らない社長だった。
身体を壊して一度職を失い、5年間のサラリーマン生活を挟んで再び起業した時には39歳になっていた。そうしてそれも8年で終わり、今度は2年間のブランクを経て三たび会社を興した。
まあしかし2回も失敗したのだから、そもそも向いていないのだろうと、今は無理をしていない。以前は「会社を大きくしよう」と考えていたが、もうそんな気持ちはない。身の丈でボチボチやるだけだ。それでも昨年は顧客の、自己破産が1件、夜逃げが1件、合計600万余りの未回収が発生。他に、被害は無いが4年付き合った仲間の会社も倒産。
今年は気を付けていたつもりだが、昨日顧客に弁護士が介入し、任意整理で900万以上の売掛金が宙に浮いた。今日は古い同業者の代表が破産を決めた、と打ち明けてきた。年内には、会社ごと自己破産する決心らしい。
世はアベノミクスとやらで、景気が回復していると言う。更にオリンピック景気が後を押し、わけても建設業・不動産業にはミニバブル到来との声もある。
いったい、どこの国の話なんだい?大手企業が恩恵を受けきるまで、我々中小零細企業にはなんにも回ってきやしない。アベノミクス?まるで絵空事にしか聞こえないぜ。
仲間が去る。その後ろ姿を、ただ眺めることしかできない。ウチもこの丸1年で、合計1500万の損害を受けた。今すぐ傾くほどの事じゃないが、黙ってはいられない。数年前に歩いた道を、今日仲間が渡ったその道を、再び自分が歩かない様にしなければならぬ。
宣伝も営業回りもしないのに、リピーター様だけで食べている今の私は幸せ者だ。だけどそのリピーターさんにだって、いつ何があるかわからない。人情だけでは生きていけない。金に詰まれば誰1人残らず消える。経験してきた事である。
新緑の季節。草木は鮮やかに風に揺れ、ツツジは我がシーズンを謳歌し、空はあくまでも蒼く、純白の雲が悠然と流れ行く。
しかし俺たちは今日も地面を踏みしめ、ぬかるみに足をとられ、天を仰ぐと言えば何か良からぬ事態が起こった時しか無いのだ。
そんな俺たちを見下ろすように、今日も杭打機の先端は自分1人、空に刺さって見えた
先に書いた、年内に破産になる会社の社長と初めて会ったのは、私がまだ歌舞伎町にいた頃である。歌舞伎町での自堕落な自由業の生活をやめて、再び建設・不動産の業界に戻ろうと思っていた矢先だった。
差し障りもあり、また長くなるので、会う事になったいきさつは割愛する。
社長は、初対面の私に様々な質問をしてきた。小一時間ほど質疑応答した挙げ句、社長は横にいた自分の社員に向き直り「やっぱり人は、会って話してみないとわからんなあ」と言った。会社を潰した私に対する様々な誹謗中傷が、ご注進としてその社長の耳に入っていたのだそうだ。
「で、新しく個人経営でやり直す気持ちはわかった。前の会社の時に作った借金や下払いは、やっぱりもうどうしようもないんだろうね。今聞けば、飯食うのもやっとみたいだからな」。
私は答えた。「できるできないは別にして、少しずつでも払うつもりです。当時の下請けさんが、また仕事を請けてくれるなら、その仕事の儲けの中から少しずつでも。また、個人的に借りたままのものもありますから、それをチャラにする訳にはいきません」。
「そうか。それが聞きたかった。わかった」。
それから更に1時間、社員に私を紹介し、私の仕事を請けるように指示し、更に私ができる業種は私に仕事を回すようにとも言った。そればかりか、私が材料が買えずに苦しんでいると聞き、その場から鋼材問屋の社長に電話を入れ、こういう奴が挨拶に行くから、与信はともかく少しずつでも売ってやってくれ、と言い始めた。
泣きこそしなかったが、涙目になって御礼を言ったのを覚えている。
おかげで私は、仕事を再開する事ができた。材料も買えるようになった。当時、月間40万ほどだった売上が、年商としては億を越えるようになった。
その会社が、なくなる。あの社長が、産を破り業界を去る。
決めたことだそうだ。何も言うまい。
ただただ、あの時を思い返し、涙が止まらないだけである。