八方美人(いいひと)シンドローム
手にとって頂き、ありがとうございます。
学祭で作ったものを投稿させて頂きました。
完結した小説というのは難しいもので、『八方美人シンドローム』は初めて最後まで書ききれたものになります。
生馴れな文章、構成で申し訳ありませんが少しの時間楽しんで頂ければと思います。
できるだけ平坦に。できるだけ悟られないように。俺は言う。
「俺のこと――好き?」
委員長はきょとんとしている。突然のことだったからかもしれない。いや、それとも質問についてだろうか。むしろ、話しかけたことからか。
風が吹く。いまだに熱い、夏の風。秋の香りを含み始めたそれは、俺の、委員長の頬を撫で少し体温を上げていく。つっ、と汗が首筋を通り過ぎた気がした。
委員長は俺から視線を逸らしたと思うともう一度こちらを見て、ゆっくりと口を開く。
「好き――かな」
彼女は少し考えてから、消えそうな声で、恥ずかしそうな声で、そう、言った。
ああ、やっぱり。
そして確信した。
やはり――。
――病気、なのだと。
「31、32ページと33ページの単語」
俺はぶっきらぼうにそう答えた。
「えー、もっとこれが出る!みたいなの、ないのかよー」
クラスメイトの彼は不服らしい。
あまりにも適当すぎたか。面倒だな。
「どこが出るかなんてわからんが。時制には注意しとけよ。あと前回の授業で32ページの下の方を張り切って解説してたし出るんじゃないか。山張って当たっても力にならんし外れたら悲惨だぞ。」
「はいはい、わーってるって。おっけー、32ページ下の方と時制な。有馬、さんきゅー!」
クラスメイトはお礼を言うとそそくさと立ち去っていった。友人たちと戦利品を共有するらしい。さんきゅー、ね。毎度かわらんな。
次の時間は毎授業恒例、古典の小テスト。そのせいもあって昼下がりの教室はいつもよりも、少しうるさい。
はぁ、と心の中でため息をつき、開かれたままだった教科書へと目を落とす。
答えの知ってるテストなんてやっても意味無いだろうにな。
にしてもなんで、俺に聞くかね。俺よりも適任なんていくらでもいるだろ。例えば――。ちらりと教室の逆側を見る。
――そう、委員長とか。
俺の座っている窓側とは反対側、さも優しそうな雰囲気の女子。
彼女はクラスの委員長。誰とでも仲良くしていて、男女問わず人気のある、気づけば誰かが話しかけているような。委員長というイメージにピッタリな彼女。ほら今だって誰かが。
「いいんちょー」
うちのクラスには一人しか委員がいないからそれは必ず彼女なのだ。教科書――多分次の古典だろう――を難しい顔で読んでいた彼女は呼びかけに応え顔を上げるとにっこりと微笑んだ。どうやらまた、頼みごとでもされているのだろう。彼女達が何を言っているのかはここまでは聞こえない。話しかけている奴と話しかけられている委員長の仕草でなんとなくそうだろうと察しはつくが。体育祭も近いし、どうせその準備か何かだろう。
まぁあの通り面倒見がいい委員長なんかに次出そうなところなど聞けばいいのではないかと、俺は思うんだけど。
ふと、時間を見る。そういえば、そろそろだな。俺は副担任から呼び出しを受けていたのだ。何かした覚えは何も無く、何かをされた覚えも無いのだが。
教科書を閉じ俺は指定された小教室へと向かうことにした。
教室からの去り際、委員長の会話が耳に入った。
「ってことでお願いっ。ちょっと人手がたりなくてっ」
えっと、この後――。うーん。
すぐ終わるかと聞き返す委員長。クラスメイトはすぐ終わる!と念押した。
「すぐ終わるなら、いいよ」
少し困り気味の委員長の声。
クラスメイトはお礼を言うと、じゃあ行こうと委員長を促した。
どこか行く用事だったのか。次は小テストなのによくやるなぁ。
俺は廊下へと足を動かしたのであった。
コンコンッ。
はいよー、と扉越しに返事が返ってくる。
「失礼します」
小教室へ入ると、副担任が座りながらプリントをぺらぺらとめくっていた。机の上にも何枚ものプリントが無造作に置かれている。窓は開いており、出迎えるように熱気の含んだ風が吹き抜けた。
「おお、有馬か。よく来てくれたな。てきとーに腰掛けてくれ」
おお、って呼んだのはそちらなんですけどね。
俺は近くにあった椅子に手を伸ばし腰掛けた。
副担任は少しの間――2、3分くらいだろうか、壁の時計を気にしながらプリントを捲っていたが、プリントをトントンとそろえると俺のほうに向き直った。プリントを読んでいる――というよりは、手持ち無沙汰で捲っていたのだろう。もしかして、結構待たせてしまったのだろうか。
「有馬、お前――」
副担任の目が少し細くなり、俺をじろっと見た。
そんなこともない?怒っている?いや、時間よりは早く来たはずだ――少しだけだけど。こういうところで品性を図っていたのかもしれない。自分が何で呼び出されたかは知らないけれど。知らずの内に不利になっているんじゃないか。
「はい」
俺は返事をした。視線を少しずらしてしまったが。
「有馬、お前――成績優秀なんだってな」
副担任は笑顔を作りそう言った。
「はぁ」
呆気に取られ、気の抜けたような相打ちを打った。なんだ怒られるんじゃないのか。
副担任は言葉を続ける。
「国数理社英どれも学年トップレベルらしいじゃないか。おまけに体育も悪くないみたいだし。いや、体育もできる奴ほど頭が良くなるって話もあるし、不思議な話でもなのかもしれないがな」
何か知らないが褒められているようだ。別に、特別何かしてるわけでもないが。
「どうも」
一応お礼を言っておく。特に怒っている感じはなく、個人の興味で聞いているようだった。
「ちなみに、どの教科が好きなんだ」
「古典――ですかね」
「そうかそうか古典か――」
気のせいかもしれないけれど、副担任の表情がほんの少し変わった気がした。
「確かに私の持っている教科は古典だがな――」
副担任の声色は笑っているような、そうでもないような感じで。
「――本当は?」
あ、ばれてるのか。なら素直に言うしかない。
「いや、特に無いです」
「本当か」
「本当です」
ふむ。と、副担任は少し考え込んだ。
そして、うん――と一人で納得し、紙束の中から一枚のプリントを差し出した。俺はこの紙を知っている。
「これは――進路希望調査票ですか」
そうだ、と副担任はうなずく。
思い出しても特に変なことを書いた覚えはないと思う。
「担任から詳しく聞いとくように頼まれてな。それにしてもなんだこの――入れるところに入りますってのは」
自分の学力で入れる大学に入る――特に問題ないはずじゃないのか。誰しもがこう書いてるんじゃないかと思っていたんだが。
「だめですか」
だめだな、と副担任。
「有馬、この進路希望調査を何でやるかってのは――お前ならなんとなくわかるだろ。狙っている学校があって身の丈にあっていればGOサインを出すし、残念ながら合っていなければSTOP――もしくはもっとがんばるように指導しなきゃならんわけだ。それに色んな学生を見ていると専門への適正ってのもなんとなくわかってくる。そいつの人生が決まるんだ、こっちもできるだけ知っておきたいってわけだ。」
淡々と副担任は説明した。さも仕事だからなというように。
「なるほど」
つまるところ、希望調査票には具体的なことを書いて欲しいということらしい。
副担任は俺の目を見る。
「何か将来なりたいものとか無いのか。教授とか、警察官とか。料理が好きかどうかはしらないけどパティシエとか」
「いえ、特には」
「――本当は?」
さっきよりも声のトーンが低い気がする。曖昧な答えばかりだったせいだろうか。でも、嘘をついても仕方がない。
「本当です」
そうか――と担任はプリントをじっと見つめた。そして、俺に対してそのプリント、希望調査票を渡してきた。
「ま、書きなおしてきてくれ。私としてはこのままでも構わんのだが――な」
ははは、と副担任が笑った。
ああ、面倒なことが一つ増えてしまった。調査票を受け取る。でも、何かをしでかしたわけじゃなくて良かった。さて。
「わかりました。それじゃあ帰っても」
立ち上がろうとする俺を、担任がまだだと止める。
「ここからが本題――いや、今までのが関係ないわけでもないのかもしれないが」
俺が腰掛けなおすのを確認して真面目な顔になり担任はこう言った。
「八方美人シンドロームを知っているか?」
「八方美人シンドロームですか」
そうだ、と副担任は頷く。時折吹きこむ、窓からの熱い風がびゅうっ、と音を立てた。
知らないわけではない。少し前から頻繁に使われている単語だ。
「八方美人シンドローム――ほんとは長ったらしい英語だかドイツ語だかの専門用語があるらしいが、メディアがみんなそう言っているからそう呼んでおこうか。そのほうがわかりやすいと思うし」
八方美人シンドロームは流行病、現代病とも言われる病気。数年前に定義されたばっかりの病気――とテレビで言っていた。
「簡単に言えば人に気を使いすぎてしまう病気だ。他の人が嫌な思いをしないように、自分が嫌な思いをする。自分のせいで、人が嫌な気分になるのが一番嫌だから。自分を存在意義を相手のイメージに重ね合わせてそうなろうと、本音を隠して建前で生きる――」
それが必ずしもデメリットではないといえるけれども。
恋愛だって誰かを気にしすぎる病気みたいなものだって言われるしな、と副担任は続けた。
「病気として定義される前は気配り上手だとか八方美人だとか言われていたんだが、度が過ぎると自分の精神が不安定になってしまうらしくてな。特にお前たちみたいな高校生ぐらいの奴らに多いらしいんだ」
だから八方美人シンドローム。他の人を気にするあまり自分をないがしろにしてしまう病。
溜まったストレスが原因で体調の悪化や自傷行為などに繋がるらしい。しかも精神病なので判別は困難であるとされる。
「自覚症状はないんでしたか」
「あればそこまで深刻化しないらしいからなぁ」
ただ、内からの気付きなら良いらしいが、外から病気のレッテルを張られることを恐れるあまり悪化することもあり、単純に伝えるのも問題があるらしい。
「それで――それがどうかしたんですか」
多分俺はなんとなく察していた。でも、口には出さなかった。
――気配り上手。
「ああ、そこで一つ相談があるんだが――」
ガチャッ!
後ろで扉の開く音がした。通り道ができた空気がいっせいに扉へと向かい、小教室を揺らす。
――すみませんっ、すみませんっ。
息を切らしながら入ってきたのは。
「少し勉強に手間取って遅れましたっ」
委員長だった。
副担任は真面目な表情から一転明るい笑顔を作る。
「おお、皐月か。よく来てくれた」
俺のときと同じ台詞ですよ、先生。
うーん、そうだな。と俺のほうをチラッと見る。そして、少し遠くのほうを指差した。
「その辺にかけといてくれるか」
わかりました、と委員長は頷くと少し離れたところの椅子に座った。
さて――。
さきほどよりも少し小さな声で副担任は話し始めた。多分委員長には断片的にしか、さえ聞こえないような――そうしているような感じだった。
「えーと、そうだな。さっきまでの話だが」
はい、と返事をする。副担任と同じように、少し声のトーンを落として。
副担任は少し難しそうな顔をした。チラッと委員長のほうを見る。
「どうするかな。もう一回同じ話をきくのは面倒だろうからな」
委員長にも同じ話――それが成績の話をするのか、進路の話をするのか、それともそうでない話をするのかはわからないが。
「とりあえずさっきの頼みごとだけ教えてもらってもいいですか」
そうだったな、と。今よりもっと声を落として、副担任は言った。
「お前にはクラス委員の手伝いをしてもらいたい」
ああ、やっぱり。なんとなくそうではないかと思っていたけれども。
実際、クラス委員が一人っていうのは結構大変そうだなあという印象だった。
でも、なぜ声のトーンを低くして言ったのか。それは、きっと。
「もう一度確認していいですか」
「なんだ」
「他人から言われるのは逆効果になることがあるんでしたよね」
俺はあえて主語を抜いてそう尋ねた。
「ああそうだ」
副担任の目が動く。動いた先は、委員長のほう。
「あと、判別は難しい」
「うむ」
なら――と、俺は椅子から立ち上がる。副担任は俺の動きに注意深げに目を向けた。
歩みを進める。
どこへ?
決まっている。
そう。
委員長のほうへ。
何をするか?
決まっている。
そう。
これは――ただの確認だ。
委員長の前で立ち止まる。顔を上げた委員長と目があった。
「あのさ、俺――。」
教室にびゅうっと風が吹き込み、頬を撫ぜた。
――確認は取れた。
「そうか」
俺は平坦に。そう返した。委員長から目を逸らす。
副担任はあごに手をつけ考え込んでいたが、すぐにはあははと笑った。
「ああ、なるほど、ありがとうな、有馬。皐月も突然で状況が飲み込めてないかも知れないが、後で私が説明してやろう」
多分意図は伝わった――と思う。
「それじゃあ有馬は帰ってもいいぞ」
「わかりました。最後にあの――」
壁掛け時計をみる。次の授業までの時間はまだ――いや、教室で小テストの勉強をしている奴らが教科書を見直すには足りないぐらいだった。
「次が小テストなので」
それがどうした、と副担任。
「あんな小テスト、日々の授業を聞いてれば簡単なもんだろ。それに有馬は優秀らしいし」
「そうではなくて」
何て言ったらいいんだろうか。そうだな。
「さっき、古典が好きだと言ったじゃないですか。だから今日のテスト問題を予想したんですけど。32ページ下の主人公が病気だと告白するシーンで彼女が笑った理由が強がりだったっていうこと――特に代名詞、そう、代名詞に気を付けるっていうのと、33ページの単語の×××が△△△って意味だけど、その後の×××が※※※という意味になってるって感じなんですけど、どうですかね」
副担任はぽかーんと口をあけた。図星だったらしい。委員長も目を丸くしている。副担任は少し俺のほうを見た後、口閉じなおして。
「問題が合っているかの是非は教師だから言えないが――次からお前がテスト問題作ってもいいぞ」
そんなめんどくさいことを押しつけられたら堪らない。
遠慮しておきます――とだけ言って小教室を後にした。
でもこれで、小テストは心配ないだろう。
そして、今。
俺は西日の差し込む教室の自分の机に座っている。
教室の反対側では委員長が机にプリントを広げてせっせと仕事を行っている。プリントを順番に重ねてホチキスでとめる仕事のようだ。
俺はあれから委員長の手伝いをすることになった。
しかし、手伝いをすることは周知していない。なぜなら、手伝いが必要なくらい委員長に負担がかかっていたと周りが思ったら遠慮してしまうと思ったからである。そうなれば、頼まれないことを委員長が気にするかもしれないし、教室も変な雰囲気になるだろう。
だから。俺が引き受けるのは。
委員長がやっても、俺がやっても変わらないような仕事。プリントの整理とか、掲示物の張替えのような人の目に付きにくい作業――のはずだった。
あれから一週間。
特に委員長から頼まれることもなく、もっといえば会話をすることもなかった。
委員長だけで何とかなっているようには――少なくとも俺にはそうは見えなかった。
体育祭の準備とか、クラス代表者の会議とか、クラスメイトや先生からの頼まれごと――様々な種類の仕事を受けているのだ。
そしてその仕事をしているのは。
知っている。俺は、知っている。
それは今みたいな――放課後だ。
いつもならすぐに帰宅するけれど、時間のかからない宿題が出た時にはちゃちゃっと終わらせて帰るのが常だったから。人のいなくなった教室で、仕事をする委員長を見たことがある。会話なんてしないし、目が合うことなんてなかったけれど。
今日も委員長は仕事をしている。
多分、昨日も一昨日もいただろう。
でも声をかけなかったのは。
断られるのが恐かったから?
――いや、そんなことはない。
だって彼女は。だから。
多分、委員長が頼らなかったことを責めることになるかもしれないから、だと思う。
それでも今、教室に残っているのは宿題があるからじゃなくて。
――――。
座っているだけじゃダメ――だよな。
とんっ。
一歩踏み出す。ピクッ、と。委員長が反応する。
とんっ。
もう一歩踏み出す。気づいてないふりをしているのか。
そして、委員長の席の前まできてもやはり顔を上げはしなかった。
気づいている。けど気づいてないふりをするのは。
「委員長」
俺は呼びかけた。平坦に。
「な、なにかな」
委員長はやっと顔を上げた。目はこっちを見てくれてはいないみたいだけど。
「これって先生からの頼まれごと?」
「う、うん」
「あのさ――」
座っているだけじゃダメだから。
「それって俺にも手伝える?」
こっちから言わなくちゃいけないんだ。
でも。
「そうだけど、私一人でも――」
委員長は否定するだろう。
俺が頼まれたのが八方美人シンドロームを治す――までいかなくても、軽減することなら。
「でも――二人でやったほうが早く終わるよね」
最初はこれでいい。卑怯かもしれないけど、委員長が断りにくいように。
委員長は初めて俺のほうを見て、小さく頷いた。
「うん」
それじゃ手伝うよと俺は委員長のとなりの席に腰かける。
俺がそろえる役で、委員長がホチキスを止める役。
一人だと持ち直したりしなくちゃいけないけど、二人いればどっちかだけで済むから、2倍以上の速さで進むはずだ。
予想通りスムーズに進み、30分くらいでホチキス止めは片付いた。
さてと――。
「他に仕事は?」
「ええっと。あるけど――」
頼めない仕事だから、と委員長は微笑んだ。
「そうか。なら仕方ないな」
じゃあ、と席を立ち、自分の机へと向かう。
委員長が俺に気を使っているかもしれないと思ったけれど、それが嘘であろうとなかろうと、委員長の負担になってしまいそうだったから。
机に置いてある鞄を取り帰宅することにしたが。
教室を出る間際だった。
「あ、あのっ」
委員長から声がかかった。
俺は少し横を向いて委員長を視界に捕らえる。
委員長はえっと、と俯いてしまう。
なんだろう。やっぱり頼める仕事だったとかかな。それなら残ってもいいんだけれど。
でも委員長から出た言葉はそういうものじゃなくて。
「――ありがとう」
感謝の言葉だった。
うん――。
委員長が普段から言われてるであろうそれは、どこかむずがゆくて――。委員長の気持ちが少しわかった気がした。
委員会の仕事を手伝っていれば、こういうことも起こるだろうなと。
俺は彼女と一緒に下校していた。
理由はなかった。
ただ、帰り道が同じで、ただ、帰る時間が同じだったから。
それだけのことだった。
あれから俺たちは少しだけど話せるようになってきていた。
話したのは、最近の委員会は行事が近いせいで忙しいねだとか、授業でわかんないところがあったから教えて欲しいだとか、今日の花瓶に飾られていたコスモスの花言葉は愛情なんだとか。
そんな世間話。
話下手な俺に気を使って彼女は色んな話題を出してくれて、会話は途切れることなく続く――はずもなく。
そして沈黙が流れた後だった。
彼女は俺から目を逸らし少しうつむき気味になる。
「あのね、私――」
うん、と返事をする。彼女のそれはさっきとは少し違う声色の気がした。
「私、凄く嬉しかったんだ。手伝うことになったって言ってくれた時。最初はびっくりしたけど、手伝うことになった、いいよね?なんて言い方でもしなかったら私が断るだろうからって」
西日に打たれてる頬が少し熱い。
「人にそういうこと頼んだことなかったから自分からは言い出せなくて。でも、そしたらそっちから声をかけてくれて。多分ずっと気にしてくれてたのに。なのに、声をかけてもらったのに私全然喋れなくて」
それに、と委員長は続けた。
「あの時は私、勘違いしちゃって。君があんなこと言うわけないのに――」
あはは、と笑いながら話す彼女の横顔は夕日のせいか眩しいくらい輝いて見えて。
「委員長――」
だからかどうしても聞きたくなってしまった。これは確認だ――そう言い聞かせれば、きっと聞けるだろう。
言葉を途切られたからか委員長は少し驚いたような感じだ。
「は、はい」
「あのさ、委員長――」
平坦になんてできないし、悟られるだろうけど。
「――俺のこと、好き?」
彼女はこっちを見てきょとんとしている。
緩い風が鼻をくすぐる。この微かに甘い匂いは金木犀だろうか。
彼女は俺から視線を逸らしたと思うともう一度こちらを見て、にっこりと笑った。
「そういう、意地悪な質問する君は――嫌いかな」
彼女は少し考えてから、そう、言った。
心臓が、心がドクンっと音を立てた気がした。
そうか、やっぱり――。
治りにくい病気だな。
と、俺は思った。
その日は初めて委員長から頼みごとをされた。
目前に迫った体育祭の準備の手伝いを頼まれて、忙しいらしい。
今日の仕事は各種配布物の整理に、掲示物の撤去と――古典の宿題の提出か。
これに加えて体育祭の手伝いをするなんていうのは、たしかに一人じゃできないだろうな。
教室でできるものは一人でやっておこうかと提案はしたのだけれど、委員長の反応が芳しくなかったから、二人で一緒にやることにした。頼まれた手前、やはりすべてを他の人にやらせるというのが気がかりだったのだろう。誰がやっても大丈夫、とは思ったが――言うのはやめた。
そして放課後の教室はやっぱり俺たちしかいなくて。委員長と二人で黙々と作業をしていた。今回は協力できる作業が少ないから、各自の机で分担して行っている。委員長はどうやらこっちの仕事が終わり次第体育祭の手伝いに向かうようになっているようだ。
そのせいで少し急ぎ気味になっていたからかもしれない。交わされたのは業務連絡だけで――あまり喋ることもなく四半刻が経った。
「委員長。こっちは終わったけどそっちはどう?」
「私ももうすぐ――できた」
ふう、と息を吐く委員長。
さてと、終わったから帰る――ってわけにもいかないな。古典の宿題の提出があるし。
これから委員長が体育祭の手伝いに行くならなおさら――。
それに、ちょうどいいかもしれない。
古典の授業では会うものの、あれから副担任とは特にやり取りしていないのだ。
適当な時に近況の報告にでも来いって言ってたし。
だったら迷うことはないだろう。
「これ、俺が持ってくよ」
乗りかかった船ってのは俺も同じだし、委員長も回り道をしなくて済むからな。
でもやっぱり委員長は。
「ううん、大丈夫だよ。後は渡すだけだから。手伝ってくれたので十分だよ」
だよな。そう言われると思ってはいた。
あんまり負担かけるのも良くないから妥協してもらうしかないんだけども。
「ちょっと副担任の先生に用事があるから、そのついでだし。それに委員長は体育祭の手伝いに行くんでしょ?」
「うん」
多少思うことがあったのか、声は小さめだけども声を返してくれた。
じゃあ――。
委員長の気が変わる前にと。
プリントに手を伸ばした時だった。
「あ――」
渡そうとしてくれた委員長の手と、取ろうとした俺の手が触れてしまったのだ。
「えっと、その、ごめんなさい」
慌てる委員長。そして俯いてしまった。
「いや、俺が勝手に取ろうとしたのが悪かったよ。ごめん」
もっと注意すればよかったな。委員長の性格を考えれば一度言った事を反故にするとは思わないし。
「委員長」
はっ、はいっ。びくっとなる委員長。
「いや、あの――これ持ってとくからさ。体育祭の手伝い行かないと」
「そ、そうだね」
先に失礼します、とだけ言うと教室を出て行った。
なんか悪いことしちゃったかな。
えっと。プリントはこれとこれでいいのかな。
整理したプリントと、古典の宿題を持って俺は副担任のところを目指すことにした。
「おお、有馬か」
なんかそのフレーズもひさびさな気もするな。
職員室に副担任はいた。副担任の席は職員室に入ってすぐの場所にある。周りを見渡すが、他の先生方 は準備やら何やらで出払っているらしく、職員室には副担任しかいなかった。
「あの、委員長に頼まれてプリントを持ってきました」
「ああ、その辺に置いといてくれ」
副担任は座っている横の机を指差した。
「わかりました」
「委員長はどうした」
「体育祭の手伝いに」
指定された場所にプリントと宿題を置く。
机を覗き込むと副担任はノートパソコンを開いて何かを作っているようだ。
なんか不思議だな。
「あの、先生」
なんだ、と副担任。
「他の先生方が出払っているのに先生は何もないのかなと思いまして」
古典の教師だけれどどちらかといえば体育会系のノリがあるし、祭りごとがすきそうだからこういうことに首を突っ込みそうだなと思ったんだけれど。
はぁ、とため息をつく副担任。
「だったらいいんだけどねぇ。体育祭のスケジュールやら用具の確認だかの書類を作る仕事を押し付けられてしまってね。この通りデスクワークだよ」
机の上のノートパソコンを恨めしそうにカタカタと叩いた。
「それは――お疲れ様です」
「まあそんなに大変じゃないんだけど、こういう作業ばかりだと参っちゃうね。」
適当に座って待っててくれと言われたので隣の席に腰掛ける。
待っててくれって言うことは詰まるところ話をしようってことで。
数分後、カタンっとエンターキーから心地よい音がして副担任はこっちを向いた。
「さて、あれからどんな感じだ」
どんな感じかと聞かれることは多分。
委員長がどんな感じかとか、そういう類の話だろう。
「いい感じだと思います」
俺は今まであったことをかいつまんで話していく。
副担任は目を閉じて何かを考えているような感じだった。
「ふーむ」
そうか、と副担任は頷いた。
「私も色々考えたんだがな」
そして真剣そうな顔で、例えばの話だから心理テストかなんかだと思って聞いてくれ、と続けた。
「こういう状況があったとしよう――委員長が八方美人シンドロームだった。それでお前はそれを委員長が知らないままのほうがいいと思うか?」
難しい質問だった。八方美人シンドロームの人にそれを伝えるのは悪影響が出るかも知れないから。そして、それは心理テストでもなんでもなく、どこか自分の置かれている状況を話されているようで。
「八方美人シンドロームにかかったり、悪化するのは本人だけが悪いわけじゃなくて周りの環境にもよるんだ。八方美人シンドロームだと周知されれば周りも気を使う。しかし、周りだけに言えばおかしなことになるから本人にも伝えることになるだろう」
でも、そうすれば絶対に負担は減るのだろう。
「伝えなくても、少数の人間で対応することは可能だろうさ。でも、手伝ってくれる周りの奴が常に一緒にいるわけじゃない。時間が経てば環境も変わるのは当然だからな」
いつも同じ風が吹くわけじゃないように。蕾から花になり散っていくように。季節は移ろうのだ。周りの人と離れることだってある。
それに、と副担任は付け足した。
「少人数の手伝ってくれる奴らの気持ちや時間はどうなるのかってことだ。お前だって手伝いで今日は残ってくれてるわけだしな」
俺の気持ち? そんなこと考えたこともなかったけど。ただ、何か言わないと今までが間違っていると、そう思ってしまう気がして――。
「でも、八方美人シンドローム――ですから。多少は仕方ないんじゃないかなと思います」
俺は言い返していた。
八方美人シンドロームだから仕方ない。八方美人シンドロームなのだから。
周りが気を使っていさえすれば悪化しないのならそうするのが一番いいだろう。俺はそう――思う。まるで自分に言い聞かせるかのようにその言葉は心の中でこだまする。
副担任はじっとこっちを見ている。まるで何かを探っているようなそんな感じで。
「まぁ、有馬はそういうタイプか」
そのときだった。
「――失礼します」
小さな声がした。ほんとに消えそうな声だった。
そこに立っていたのは委員長だった。
「あの――掲示物持ってくるの忘れてしまって届けにきました」
無理に作った笑顔と震えた声。副担任の目にも委員長の様子がおかしいことは明らかだっただろう。
俺も副担任もそれが何を意味しているかをなんとなく察していた。
委員長がどこから聞いていたのか。どこまで聞こえていたのか。
委員長が掲示物を副担任に手渡す。
でも、何も喋れなかった。何を喋っていいのかわからなかった。沈黙が肯定を示してしまうことがわかっていても。
「失礼します」
委員長が職員室から出て行こうとする。
待って――。
やっと紡いだ言葉は委員長には届かず、空気を少し揺らしただけだった。
夕日は山の陰へとその姿を隠そうとしている。
俺は教室で委員長の帰りを待つことにした。
なぜかはわからない。副担任も今日はもう帰っていいと言っていたけれども。
話さなくちゃ。なぜかそう思ったから。そうしなきゃいけないと思ったから。
遠くから足音が聞こえる。
近づく。
大きくなる足音。
近づく。
さらに音は大きくなり。
近づく。
教室のドアがガラリと音を立てて。
委員長が戻ってきた。
委員長の目は沈みかけた夕日のせいか少し赤くなっていて。
そして俺を視界に捕らえた。
話しかけなければ。さっきのは誤解だと。例えの話だと。
「委員長――」
「まだ残ってくれてたんだ。体育祭の仕事も終わったし今日はもうないよ」
俺の言葉を遮るように。こっち見ずに帰る支度をしながら、やはり震えた声で。
「委員長、聞いてほしいことが――」
「さっきは代わりに届けに行ってくれてありがとうね。大変だったよね」
どこか寂しそうに委員長は俺の言葉を遮る。
多分、俺が話しかけるのは逆効果なのだろう。そうしようとする俺を止めるようにわざと委員長は。
でも。
それでも。
そうしてしまったら何かが終わってしまう気がして。
鞄を手から提げ、教室を出て行こうとする委員長。
「そうだ。早く帰らないともうすぐ暗くなるから――」
「委員長!」
だから委員長の言葉でかき消されないような声で俺は委員長を呼んだ。
委員長が立ち止まる。
「委員長、あの――」
言いかけた言葉はまたしても。
「今までのは全部――演技だったの?」
委員長の言葉でかき消されて。
いや、ちがう。そうじゃない。
「全部、頼まれたからやっていたの?」
違う。頼まれたからじゃない。俺は自分から。
「全部――病気だから?」
そうじゃない。本当に病気なのは――。
「私、一人でうかれて、迷惑かけて、バカみたい――」
委員長は駆け出した。
声をかければ、止まってくれただろうか。
声を出さなかった――出せなかったのは、誰のためか。
――走り去る彼女の横顔には涙が見えた気がした。
次の日。
委員長は変わらず教室にいた。
クラスメイトと話をしたり、先生と話をしたり――いつもと変わらない、そんな感じだった。
違うのはどちらかといえば俺のほうで。
あの後、副担任と話した結果、俺は委員長の手伝いの任を解かれることになった。
それは委員長のためじゃなくて、負担になるであろう俺のためだと、そう言われた。
だから、今日放課後残る理由なんかは何にもなくて。
でも、それでも。
多分俺は教室に残るのだろう。
話せないかもしれない。
誰もいない教室で一人作業をするよりはずっといい、と。
そう委員長が望むだろうか。いや、俺がそう望んでほしいと望んでいるから。
俺が残ることが委員長の負担になるかもしれないけれど。
わかっている。
病気だから。病気だから仕方ないのだ。
そして。
そうか――。
俺は今になって――自覚した。
病気だった、と。
クラスの反対側、委員長の席を見る。
今は彼方のように遠い距離に感じるけれども。
いつか、多分俺はまた近づくだろう。
委員長を傷つけてしまうかもしれない。自分が傷つくかもしれない。
それでも――決めたから。
もう一度話すのはいつになるだろうか。
明日は体育祭、そしてそれが終わればすぐに夏休みがやってくる。
それまでに話しかけることは多分できないだろう。
それでも伝えようと思う。
やっと気づいたのだ。
――俺は病気だと。
お読み頂き、ありがとうございます。
いかがでしたでしょうか。
そんなところで終わるのか、と思われるかも知れません。本当にその通りです。
実はこの小説、時系列が狂っているところがあるのです。(それを念頭に作っていたのですが。。。筆者が言わないといけないというのは、詰まるところそれだけの力がない、ということで。)
筆者は病気に気を向けようと努力したので、わからなかった皆さんはもしかしたら「いいひと」なのかもしれませんね。(少し寒いかな?)
興味のある方は、作中の季節はいつか、花風というペンネームに注意をしていただければと思います。
それでは、後書きまでお付き合いありがとうございました。
機会があれば、また。