そして夜は明けて
シエルが朝目を覚ますと、頭の上にある窓からはサンサンと明るい日差しが差し込んでいた。一度、目を開けてしまえば眩しさで、もう一度眠ろうという気にもさせてはくれない。
目を擦りながら起き上がったシエル。
擦った目で見たのは、部屋に備え付けられていた机を囲む、ムウロと昨日知り合った聖騎士ナナリーとニルの姿。机の上には、美味しそうな焼きたての匂いを立てる丸パンが詰まれた籠と色々な果物が詰め込まれた籠、湯気を立てるコップが置かれている。
「おはよう。」
「おはようございます、シエル様。」
いち早くシエルの起床に気づいたムウロがニコヤカに挨拶し、それに続いて朝からきっちりと全身を整えたナナリーとニルが挨拶の言葉を口にした。
「おはようございます。」
どうして居るのかな。と一瞬思ったが、昨日「詳しい話は明日にしよう」ということになり部屋へと入ったことを思い出せば、あぁそうだったと納得した。
色々と濃厚な出来事に遭遇した昨日を思えば、しばらくの間は並大抵の事には驚かないだろう。そう考えるシエルは、ベットから起き上がり机を囲む三人の中に入っていった。
ニルが赤い色の宝石を光らせると椅子が現れた。その椅子を引いてシエルに座るよう促す。
ムウロがポットのお茶をコップへ注ぎ、シエルに差し出す。
ナナリーはナイフを持って果物の皮を剥く。
自然と役割が分担されて、シエルの朝食の準備が整えられていった。
「これ、姉さんの息子からお詫びの印だって。」
ムウロが机の上を差して言う。
あと少しでお腹が鳴りそうな状態のシエルは、ムウロの言葉に声も出さずに反応を示す。その口には、すでにパンが齧られていた。
「"母が御迷惑をおかけしました。これからも仲良くしてやって下さい。"という伝言も預かっています。ディアナ様はすでに怪我一つ無く回復されていますが、心配したと怒る陛下の御心情を鑑みて、しばらくの間自主謹慎を為さるそうです。」
ナナリーが綺麗に皮が剥かれ切り分けられた、果汁の滴る果物を皿に乗せてシエルの前に差し置いた。
そして、ニルに目配せを送る。
「こちらは叔父君に渡すよう、預かってまいりました。」
ニルからムウロに、手に乗る大きさの箱が渡された。
「"ご挨拶が遅れましたこと申し訳ありません。つまらないものですが、どうぞお受け取り下さい。これからは色々とお世話になるかと思いますので。"」
ニルが自分の言葉は一切挟まず、カルロからの言葉を伝える。
「世話って…」
神聖皇帝が魔族に何の世話になるというのか。
ムウロが目で問えば、ニルに変わってナナリーが答えた。
「上の叔父君が色々とやらかさないように頼みたい、という事だと思いますが?」
それには、ただ息を飲むしか出来なかったムウロ。
まさか皇宮に直接突撃したりしませんよね。と不安に溢れる声で問い掛けてくるニル。そんなことあるわけ無いとムウロが答えたくても、何故か口からその言葉は出ていってはくれなかった。
「それと、もう一つ。聖女様が遺されている鍵穴に関して、見つけたら知らせてくれるか、渡して貰えたら嬉しいとも言付かってます。」
「あぁ、それなら構わないよ。魔界に持って帰っても煩わしいだけだからね。」
当たりだろうが、ハズレだろうが、そんな存在があると言うだけで五月蝿い存在が多い。
鍵穴と、シエルの持つ鍵や他にあるという鍵を巡って、熾烈な戦いが起こる。ムウロは、そう確信している。
そうなれば、確実に巻き込まれて危険な目にあうのはシエルだ。
シエルの主にあたるアルスが護るだろうが、『魔王』『魔女大公』を求めている上に、最近ではなりを潜めているが血の気の多さで、率先して戦いの方に首を突っ込んでいくに決まっている。
だったら、神聖皇国に渡してしまった方が、世の為、自分の為だ。
ムウロの返答に満足したナナリーの浮かべる微笑を横目に、ムウロは渡された箱の蓋を開ける。
箱の半分は、触れるとジャラジャラと音が鳴る皮袋。カードが添えられていた。
お二人で何か口に合うものでもどうぞ。
「しっかりした息子だね。」
「陛下も色々と苦労なさっておりますから。」
ナナリーの言葉に、幼い頃の日々を思い出したムウロ。甥っ子に会う時には少し優しくしてあげようと思っていた。
「それって、わ…」
「違うよ~、お心遣いっていうものだよ。」
一人、パンや果物を食べて朝食を取っていたシエルは、そのやり取りを静観しながら思い至った言葉を一息ついた口から漏らしかけていた。
けれど、人聞きの悪い、と笑うムウロに打ち消されてしまった。
「それと、ヒース殿からも伝言です。預かった薬は、要望通りに広報が発行されてからオークションにかけることになったので、その結果は後日渡します。だそうです。色々と暫くは忙しいらしいので、『遠話』をしている時間も惜しいと言っていました。」
「そうなんだ。…じゃあ、ありがとうって伝えてくれますか?」
『遠話』でお礼を言おうと思ったシエルだったが、ナナリーから言われた事で繋ごうとしていた糸を霧散させた。
「それでは、私達はこれで失礼させて頂きます。次の任務地に向かわなければ行けませんし。」
「あれ?此処はもういいの?」
昨日来たばかりだというのに、次の場所に行くのだと言うナナリーとそれに従うニルに、シエルは首を傾げる。
だが返ってきたのは、何とも言えない苦々しい笑いだった。
「私達が此処に派遣されたのは、公爵位の干渉が起こる恐れがあるというものでしたから。それはもう、終わりましたので。」
そう言われても、まだ理解しきれなかったシエル。
「シエル。昨日シエルが会った兄上は公爵位だからね。」
「あっ、そっか。」
シエルの中では、レイはディアナの弟でムウロの兄という存在でしか無かった。何しろ、最初の出会いが出会いだし、その後の言動も色々と問題があった。シエルがそう考えて、忘れていても、誰も責めることなど出来ないだろう。
「まぁ、魔族とか公爵位などとは違う意味での危険人物でしたね。」
「あれを可愛いって言うんだよな、ディアナ様。」
ニルは改めて、凄いなぁと思っていた。
「そういえば、いいの?ディアナちゃんがいるって?」
シエルの問い掛けに、二人はあっさりと頷いていた。
「私達が生まれた時から、あぁですし。私達が幼い頃などは何かと面倒を見て下さいました。それに、親の世代も、祖父母の世代も、すでにディアナ様を受け入れて、普通に親交を築いていますから。」
「ディアナ様の傍にいると、何だか力が抜けるというか…。」
「あぁ、分かるよ。こっちの心配なんてものともしないんだよね。」
ナナリーとニルが口にする返答の中に、ムウロがウンウンと頷きながら混じっていた。
「それでは私達はこれで。」
ナナリーとニルは部屋を去っていった。
「それじゃあ、次は何処に行こうか。」
食べ切れず、籠の中に残っているパンを布で包んで自分の籠へしまうシエルに、ムウロが聞く。
何時始まるかも分からないオークションの結果を待っている必要も無く、この街に滞在するのは少しシエルへの影響が心配になる。
そう思って聞いたムウロに、シエルは依頼書を広げて見せた。
「あのね、これが気になってるんだ。」
シエルが指を差した依頼は、何時の間にかまた増えている依頼の中で、下から数えた方が早いもの。
「この届けものって、何時までにとか無いんだよね。」
依頼の中には期日などの項目は無く、だからこそ今までシエルは上から順に依頼の届け物をこなしていた。おずおずと聞いたのは、順番を守らなくても大丈夫かなという質問だとムウロは感じ取った。
「何時までに届けて欲しいって書いて無いし、大公の魔女が届けてくれるものに文句を付けられる存在なんて、そうそう居ないよ。だから、大丈夫だと思うよ。」
「本当。」
あからさまにホッとしたシエル。
どうして、と聞いてくるムウロに、自分が思っている事を素直に答えた。
「これ。届け物の所なんだけどね?」
そう言われて、ムウロはシエルの指の先に注目した。
花嫁
たった一言。その単語だけ。
「これって、意味が分からないんだけど…早い方がいいのかなって思って。」
確かに気になる。
けれど、騒動がありそうな予感もして、ムウロはどうしようか頭を悩ませた。
そんなムウロを、シエルはどうしようと言う目で見上げていた。




