ディアナとカルロ
見事なまでに全てを吹き飛ばして下さいましたわね、姫姉様。
四方全てが真っ暗な空間の中で、ディアナは腰に手を当てて頬を膨らませていた。
ディアナが永い時間をかけて築き上げていた心地よい風が駆け巡る日当たりの良い森も、森に住む動物達も、シエルや弟達にまだ紹介し終わっていない湖も、その辺に建つ小さく素朴な家も、何もかもが箱から生まれた爆風で吹き飛んでしまった。
ディアナが姉と慕う『王蜜の魔女』の血を取り込んだばかりの頃には、ただの草原だった。
魔女の箱庭は、魔女の内面を映し出す心象世界。魔女の考えや意思によって好きに造り返ることも出来るが、最初に足を踏み入れた時は、魔女が持っている心象世界のありのままの姿で魔女を迎え入れる。
それが、ディアナは草原だった。
「あら、やっぱり私の血を取り込んだからかしらね。」
そう言って、一緒だわと嬉しそうに笑う『魔女大公』アリアの姿を思い出す。
ディアナが何度も招待された彼女の箱庭は、小さな一つの町だった。周囲を森に囲まれた町には、大きな古城へと向かって伸びる通りがあり、その両端には色々なものを扱う商店が立ち並んでいた。穏やかな雰囲気に包まれた町には実際に生活する人の姿があり、鳥が空を飛び、町のあちらこちらに犬や猫、森に入れば様々な動物が息づいていた。
そんな町も、始めはただの草原だったのだと知らされて、ディアナは自分の箱庭がどうなるかと色々と計画を立てた事もあった。
姫姉様のような町を造るなんて壮大な計画を立ててはいたが、弟達の、特にレイとカフカの「姉上の町に住み着きます」宣言に、ディアナは計画を無に返した事で終わりを告げた。
そして、改めて自分が最も落ち着く空間を造ろうとして造ったのが、森と湖畔と小さな家。
多忙な母や弟達、夫と共に過ごした思い出もたっぷりと染み付いていた大切な場所だった。
その空間が消えてしまい、ディアナの胸は痛んだ。
造り直そうとすれば、すぐに出来る。何処に何を置いていたとか、大切な思い出と共に頭に刻み込まれている。だけど、そこには彼等の匂いは無いように感じるだろう。少なくとも、ディアナはそう思うのだ。
シエル達を元居た場所へと逃がしたものの、自分は爆発の直撃を受けたディアナ。
箱庭の中で、箱庭の主を殺すことは出来ない。でも、主の力を上回る攻撃でなら怪我を負わせることが出来る。あの爆発もそうだった。箱を開けて聞こえたのは、懐かしい『魔女大公』アリアの声。そして、箱から巻き起こった爆発から感じたのは…。
「あれは陛下の力だったわね。それを考えたら、この程度で済んだのだから御の字ね。」
暗闇の中に浮かび上がっている自分の身体を眺める。
箱庭が吹き飛んでしまった当初は、あちらこちらから血が流れ出る怪我を負っていたし、全身から感じられる痛みで息を吸うのも困難だった。それでも、大丈夫だとシエル達へと伝えることは出来たが、その後は意識を手放してしまっていた。
眠っている間に大概の怪我は癒え、大分楽にはなったものの、まだ小さな傷があちらこちらに残っている。箱庭を元に戻しても、傷が全部癒えないと部屋に帰らない方がいいだろう。
ディアナはそう考え、まだ小さな怪我が残り、時々痛みを発する腕を大きく振って箱庭の再構築を始めた。
「まずは、草花が風にそよぐ草原。」
腕を一振り。
ディアナの足下に緑の草が生い茂る地面が出来た。所々に、目を楽しませる色とりどりの花が見える。
「次は、透き通った水を湛える湖。」
草原の一部から水が湧き上がり、水溜りから庭池、池、湖と段々と水を湛えていった。
「そうだわ。前と一緒は少しつまらないわね。」
湖の中へ向けて腕を振る。
すると、湖の中から丸い足場が浮き上がり、段々と大きく盛り上がっていく。
出来たのは、家一つは余裕で建つほどの大きさの島。
島の中に、木の温もりを感じられるような素朴で小さな家が建ち、島に出入りする為の橋がかけられる。
一面の草原には木が生え、木々の木漏れ日が心地よい具合の森が生まれていく。
何処かから空に向かって鳥が飛び立ち、森の奥から動物達の鳴き声が聞こえてくる。
全てが終わったのは、数時間程経った頃だった。
「ふぅ。」
達成感に包まれ、額に腕を持ち上げた、出てもいない汗を拭うディアナ。
前よりも少しだけ手を加えて変更させた自分の箱庭に満足して、心機一転した気分になる。新しい家でお茶でも飲もうかしらと、橋の上を進んでいく。
「母上。」
橋も渡り終えて、湖に新しく造った島へと足を踏み入れようとしたディアナに声が聞こえてきた。
それは、可愛い息子の声だったが、その声に苛立ちが含まれているように感じ取れ、ディアナは返事したくないなぁなどと考えた。
だが、ここで答えないのも後が怖いことを良く知っている。
腹を括ってディアナは、息子を修復したばかりの箱庭へと招待した。
少しだけ渋みが増してきた、実年齢の割りに若い息子が眉を顰めてディアナの目の前へと現れた。
あぁ、やっぱり怒ってる。
そう思うが、箱庭から追い出してしまうという方法に訴える事が出来ないのでは、ディアナに逃げ場は無い。
「ナナリー達から連絡があり、心配しました。お帰りを待っていましたが、一向に帰ってくる気配は無く。せめて一言、ご連絡があっても良かったのではありませんか?」
にっこりと笑って凄む姿に恐怖を感じながら、それでも感慨深い感情が込み上げてくるのは、きっと息子のその様子がもう数十年も前に亡くなった父親、ディアナの夫を思い浮かばせるものだからだろう。
「ごめんなさい。箱庭を直すのに夢中になっていたわ。」
「あの箱が爆発したそうで。」
全ての状況などは、すでに上司である神聖皇帝カルロへと報告が成されていた。
国に受け継がれてきた皇帝の所有物が母を傷つけることになった。
カルロの眉間に寄せられた皺が消えなくなっているかも知れない。それぐらい、報告に上がってきた情報はカルロの頭を痛ませていた。
「シエルちゃんが鍵を持っていたの。姫姉様に繋がるとは思っていなかったけど、手掛かりくらいはあるかもと思って開けたのよ。なのに、あんな仕掛けがされているなんて…失敗してしまったわ。」
「あまり無茶はするなよ。」
頬に手を当て首を傾げる母、ディアナ。
部下達の報告にあったような、大怪我を負った模様という情報とは違うその飄々とした姿を見て、カルロは張っていた肩を落とした。
何があったかは後から聞くとしても、無事で良かったと胸を撫で下ろす。
本当ならば「危ないことはするな」と息子としては言いたい。だが、それをして滅多に出歩けない母の楽しみを奪うのも気が引けた。
「大丈夫よ。無茶なんてしないわ。」
息子の心配と、頭の中で考えこんでいる葛藤に、ディアナは喜びを露にして笑顔でカルロへと抱きついた。
そして、カルロの腕に自分の腕を絡ませた。
「無茶なんてしないわ。だって、孫の顔を見なくちゃいけないもの。」
「…まだ諦めてなかったのか。」
カルロの年齢は、とうに80歳を越えているもの。
見た目が若いとはいえ、相手にされる女性の方が可哀想だ。
カルロ自身もそう考えている。
「だって、皆に言われているでしょう?跡継ぎが!!って。」
「その件なら、お爺様の弟の孫のいずれかに継がせればいいってんだろ?元々、親父には皇帝になる予定は無かった。母上が居たから、薄い血でも皇帝位に就けたんだ。なら、正式な血筋に戻すべきだろ。」
だから俺が結婚する意味も、子供を作る意味も無い。
それはカルロがずっと前から臣下の前で宣言している事だった。
話を振られた、当の先々代の弟に当たる皇子を祖をする公爵家に生まれた孫達は全員、呆気にとられ止めて欲しいと叫んでいたが、カルロの考えは変わることは無かった。
先々代の子として生まれ、生まれながらに皇太子としての地位にあったカルロの父にしてディアナの夫。
だが、一部の者しか知らぬことではあったが、彼は先々代の実子では無かった。先々代の従姉である王妃を母にし、王族の末端に位置する者を父にしていた為に、『勇者』の血は間違いなく流れていたが、それは皇帝として即位するには薄く、国中に張り巡らされた『勇者』の血を用いた秘術の多くの存亡に関わる程だった。
そんな先代が即位出来たのは、『勇者』と『聖女』の血を取り込んでいたディアナが先々代や重臣達の前で名乗りを上げ、紆余曲折の末に受け入れられたから。
先代の御世、そしてカルロの御世は、ディアナが秘術の半分近くを引き受けている。
「じゃあ、跡継ぎはいいから、貴方みたいにあの人に似た孫が見たいわ。お母様とかお父様に似てても嬉しいし。」
いいえ、誰かにそっくりとかじゃなくてもいいの。
ディアナは何処と無く父に似ている息子を見上げた。
ディアナにとって「運命の人」だった夫の血を受け継ぐ子供が見たいの。それだけが望みだった。
けれど、あまり女性が得意ではない息子が「分かった」と言ってくれる様子は無かった。それは、何十年と続く攻防だった。
どうしたら息子が結婚して孫の顔を見せてくれるかしら。
そんな相談がシエルとムウロに持ちかけられたのは、後日のこと。
それに対して真剣に答えようとしているシエルの隣で、ムウロはある嫌な予感を思い浮かべて冷や汗をかいていた。
"姉さんに似た女の子が生まれたら、兄上はどうするんだろう?"
必死に首を振って、思い浮かんでしまった考えを打ち消そうとするムウロの姿に、シエルは不思議そうな目を向けていた。




