不安の種
パンパッカ パ~ン
奇妙な音が響く。
それは、とても軽快なリズムだった。
その為、ついに話に聞いてきた『魔女大公』本人に会えるのだ、とシエルが期待を抱いても仕方が無い、そんな音だった。
《大はっずっれ~》
けれど、その音の後に頭上から舞い降りたのは女性の声だけ。
本人の姿は無かった。
「姫の声だ。」
「あら、懐かしいわ。」
明るく、子供のように無邪気にはしゃいでいるように聞こえるその声を、ムウロやディアナは『魔女大公』のものだと判じた。
懐かしそうに頬を緩めるムウロに、同じような表情で頬に手を当てて懐かしむディアナ。
「声を留めておく術が仕掛けてあったのか。」
レイは憮然とした表情で、静かにディアナの横に佇む。
何かがあれば、すぐにディアナを連れて逃げられるように、と考えていた。
ディアナやムウロにとっては懐かしんでも仕方無い声ではあったが、レイにとっては姉を奪う憎き相手、そして何を仕出かすかまったく判別出来ない警戒対象だったのだ。今も、声だけとはいえ警戒を露にすることを止めることは出来ない。
《ふふふ。悪い子は誰なのかな。》
それは明るく独特のテンポのある声だったが、何処か重たく暗い雰囲気が含まれているような気がした。
《ロキ様?それとも、ガルスト様?もしかして、アルス?ネージュ…は無いよね。あとは…》
声を出さないように、シエルは口に手を当てて続きを待つ。
ムウロ達も、覚えのある彼女とは違う雰囲気と、その言葉に出てきた父や母、そして大公達の名に息を飲んで耳を澄ませた。
《まぁ、誰でも同じね。だって、この箱は偽物だもん。大ハズレ!残念でした。》
クスクスという笑い声。
《だけど良かったわね、偽物で。これが、兄様が隠したものが入ってる本物だったら、大変なことになっていたんだもの。》
はぁという息を吐き出す音。
《どうして、世界が大変なことになってしまうって分かっていて手に入れようだなんて思うのかしら。兄様がわざわざ隠したっていうのに。酷い人ね。自分だけじゃなくて、皆に迷惑がかかるのよ?》
《本当、いけない人。》
それまでの声はと違う、酷く心が揺さぶられ、自分でも訳の分からない内に涙が滲み出てきて謝りたくなってしまう、そんな声だった。
《これは偽物。でもね、これは私の子に残したものなの。ということは、これを開けた貴方は私と旦那様の血を引く可愛い子供達に酷いことをしたのでしょうね。だったら、お仕置きくらいは受けて頂戴ね。》
「いけない!!」
ディアナの叫びにも似た声が耳を打った。
途端に、周囲を木々に囲まれていた空間が真っ暗に転じていった。
シエルは、森の中で眩しい光を放って爆発する箱を最後に見た。
そして、食堂を真っ白に覆っている雪の上に足を下ろしていた。
「冷た!」
何これ。と目を見開いてキョロキョロと周囲を見回すシエル。
「…カフカ、元に戻してなかったの?」
「えっ、戻さなきゃ駄目なの?」
冷たく冷えた食堂の中で、白い雪の下で眠り続けている客の冒険者達。
半分は流れている吸血鬼の本能として、糧となる血の流れを感じられることから彼等が死んではいないことはムウロにも分かった。
それでも、何時までも眠らされていては色々と支障が現れるだろう。
「戻してもらわないと困ります。」
ヒースがカフカを睨みつける。
その鋭い眼差しから目を逸らし、カフカは不満そうな顔をしていた。
ムウロはその頭を捕らえ、強い力でググッとヒースの眼差しへと無理矢理向けていく。カフカが恐れる視線で直視させようと考えたのだ。
「カフカ。」
もう一度、ムウロが名前を呼ぶ。
「分かりました、兄上。」
すると、今度は素直にカフカは食堂内に巡らせた自分の力を解いていく。
だから早く手を放して下さい、と涙目になりながら。
「…姉上」
そんな弟達のやり取りにも目をくれず、レイは隣に居た筈の大切な姉の姿が無いことに愕然としていた。その姿はあまりにも物悲しく、シエルはすぐにディアナへと話しかけた。
《ディアナちゃん》
最後に見た爆発のせいで何か怪我をしてのか、そんな心配をして呼びかけた声に、ディアナはすぐに答えてくれた。
《ごめんなさい、私は大丈夫よ。》
そう言葉では言っているが、何処か疲れを滲ませている声でシエルの表情に不安が浮かぶ。
それはレイも同じだった。
大丈夫よ。
繰り返しディアナの声が返って来る。
《ちょっと、箱庭を壊されちゃっただけ。ナナリーにしばらく留守にするって伝えておいてくれって言ってくれる?》
直すのに時間が掛かりそう、とディアナは溜息を吐いた。
シエルがナナリーと呼ばれる女聖騎士へと伝言を伝えれば、分かりました。と頷いていた。
食堂を覆っていたカフカの雪と氷の力が解かれていく。
力が解かれれば、そこにはシエルがトイレに向かう前に通り過ぎた賑わいのある食堂へと戻っていく。ただ、客達が全員眠っているということを除けば、だが。
その眠っているのも、しばらくしたら目覚めて、何事も無かったかのように行動を始めるとカフカが自信を持って言うので、シエルも、そしてヒースも信頼して、全員で移動した。
移動先は、ヒースが予約してムウロ達と使っていた個室。
これだけの人数が入れば少し手狭だが、夜となって活気に溢れる街中に魔族と聖騎士を並べて連れ出す訳にも行かず、個室で我慢してもらうことになった。
個室に入った後、最初に口を開いたのはシエルだった。
「でも、お姫様の言うことって、つまり、何処かに本物があって、本物にはお兄さんである魔王様の大切なものが入っていて、それを手に入れると世界が大変なことになるってことだよね。」
全員、シエルの率直な言葉に頷くしか出来ない。
《魔女大公》の言葉は、そう言うことだった。本物の箱に隠された魔王の宝。解き放たれれば世界に災いを成すなんて、魔王の宝というだけで信憑性は高い。
だが…。
「でも、鍵を使って開けた人が偶然とか、何も知らない人だったら、どうするつもりだったんだろう?」
ね?とシエルはムウロに聞くが、ムウロは答えられない。
知らぬままに鍵を手に入れ、箱を手に入れることになった存在があるかも知れないと《魔女大公》は考えなかったのか。確かに確率は少なかったかも知れないが、今まさにシエルという存在が鍵を使って箱を開けてしまったのだ。絶対に無いと確信出来る事ではなかったということだ。
彼女の言葉で、本物に隠された魔王の宝に興味を持ってしまうかも知れないと、《魔女大公》は考えなかったということだろう。あの残された言葉はそう物語っている。
《姫姉様は、少しうっかりした方だったから。》
ディアナがフォローを入れたが、世界が壊れてしまうという言葉の後では怖さしか浮かばない。
「姉上、あれは少しとは言えません。」
レイが姉の言葉を否定した。
全てを肯定しても構わない程愛おしい姉の言葉ではあるが、レイが知る《魔女大公》の所業の数々を考えれば「少し」という言葉は否定したくて堪らなかった。
《でも、大丈夫よ。鍵が無ければ鍵穴があっても意味は無いもの。ね?》
「鍵って、これだけなのかな?」
どうしよう、これ。
シエルは手の中にある鍵を不安げに眺めた。
そんな危険なものを持っているのは不安で仕方無い。
例え、それがシエルやヘクス、グレルと限られたものしか持てないものだとしても、これからも手にすることが出来るものが出てこないとも限らない。
《魔女大公》が言う、酷い人が鍵を持てる人だったら。そう考えるだけで、シエルは怖くて怖くて仕方がなかった。
《…あっ、あら?》
シエルの問い掛けに返ってきたディアナの声は、皆を不安に陥れるものだった。
「姉さん・・・?」
まさか、と言うムウロの顔は引き攣る。
《…一応、大戦の起こる前だったら…三本あった事だけは覚えているわ…?》
一つは従者に。一つは魔王に。一つは勇者に。
だけど、それはディアナが知る限りのこと。
《魔女大公》が振りまいた不安の種は、今も世界の何処かで眠りに着いている。




