その理由
豪華な造りの室内が、サァッと風が吹き抜けるような早さで色や形を変えていく。
柔らかな絨毯は、風に揺れる緑の芝生に。
汚れ一つ無い四方の壁は、木漏れ日が注ぐ木々に。
シャンデリアが煌いている天井は、白い雲が流れる青い空に。
テーブルや椅子は、切り株や小さな岩に。
そして、目を瞬かせるシエルの背後に、一人の女性が降り立った。
「あっ。」
「あぁ!」
「げっ」
「はぁ…」
様々な言葉をシエル以外の口から吐き出させた、その人物は背後からシエルの身体にキラキラと輝く黒いショールが覆う両手を回し、驚くシエルが逃げる暇も与えずに、シエルの身体を強く抱きしめた。
「初めまして、シエルちゃん。」
抱きしめられたシエルが唯一顔を向けることが出来る上を見上げると、そこには自分を見下ろしている手の持ち主の顔があった。
真っ白な長い髪が無造作に二人の顔に流れてくる。
その中でシエルを嬉しそうに見下ろしている目は、黒にも見える藍色。
年にしたら、17、8歳程くらいに見える。白を通り越して少し青白い肌は大丈夫かと心配にさせる程。
その声は、シエルのよく知るものだった。
「ディアナちゃん?」
「えぇ。こんな形で会うことになるのは不本意だったけど、会えて嬉しいわ。」
それにしても。
ほぅと息をつく音が頭の上で聞こえた。そして、シエルの胸の前に回されたディアナの腕の力が強まる。
「やっぱり可愛いわ。こんな事なら、頑張って女の子も産んでおくべきだった。」
男の子供なんて少し大きくなったら構ってくれなくなるんだもの。
ぎゅむぎゅむとシエルを抱きしめ、頬ずりさえ始めそうなディアナ。
それが始まる前にディアナの行動を止めたのは、聖騎士達の声だった。
「ディアナ様!」
「なんで来たんですか?」
「ナナリー、ニル、お疲れ様。やっぱり、ちゃんと終わらせないと、でしょ?」
詰め寄る二人の聖騎士達の頭を、シエルから離れていったディアナの両手が撫でる。
シエルに抱きついている時とは一変した表情は落ち着いた大人の女性を思わせるもので、弟であるレイやムウロ、カフカよりもずっと年下に見える容姿とは不釣合いな感じを与える。
「レイ。」
そこで初めて、ディアナの顔が正面に上がり、レイとその隣にいるムウロへと向けられた。
「姉上。あぁ、姉上。『魔女』の力を使われたのですね。ご気分は?体調は大丈夫ですか?格下とはいえ『魔女の箱庭』をご自身の『箱庭』で塗り替えるなど無茶を…。言って下されば、魔女に命じて正式に明け渡させましたのに。」
恍惚とディアナを見つめているレイの背後で、メイド服姿の、レイに仕える魔女が小さく悲鳴を上げ、息を呑んでいた。その目は、レイの背中を信じられないと恐怖を孕んで凝視している。
「自分の魔女でしょう?どうして、そんな酷い事を言うの?」
魔女だけが造り出す閉ざされた空間を『魔女の箱庭』という。その『箱庭』は、魔女を無敵にさせることが出来える。自由に造り替え、自由に振舞う、魔女自身を護る空間。『箱庭』をどうにかするには、魔女の『箱庭』に対する支配権を奪えばいい。魔女を巧みに騙して支配権を奪い取るか、圧倒的な魔力を持って書き換えてしまうか。それをされるという事は魔女にとって身を切り取られる程の苦痛であり屈辱だった。そして、それ以上に苦痛で屈辱なのは、レイの言った己から己の意思で自分の『箱庭』を明け渡す事。レイは平然とそれをしろを魔女に命じるつもりだったと笑顔で言ったのだ。
「望まれたから契約を交わしたに過ぎません。姉上とお会い出来る事に比べれば、どうなろうと知ったことではない。」
恍惚とした笑顔を浮かべたまま、淡々と言ってのけたレイの姿に、ディアナが眉をしかめた。その顔は、傍で見上げていたシエルには泣きそうだと心配になるものだった。
「やっぱり、まだ駄目なのね。100年でも時間が足りなかったのかしら?」
それはシエルにだけ聞こえた声。
何の事情も知らないシエルにも、ディアナが抱えている事情は深刻なものだと理解出来た。それくらい、ディアナの声は悲痛なものだった。
『遠話』をしている時は、優しく明るい、物語などで想像していた理想の姉のような人だった。そんな彼女が浮かべる表情と声に、シエルはどうにか出来ないかと考えた。
そして、話題を逸らしてはどうかと、頭を振り絞って口を開いた。
「ディアナちゃんは、ダンピールで魔女なの?なんで、聖騎士さん達と仲良しなの?」
質問をして気を逸らせようとする。
その質問の内容は、レイの言葉から疑問に思ったこと。
シエルが聞いた『魔女』というのは、多くの魔力を持った人間という存在。ディアナのような半分人間のダンピールでも『魔女』がいるのかと疑問に思った。それに、魔族を排除する筆頭である神聖皇国の聖騎士がディアナと親しげにいる意味も分からなかった。
「力の強い吸血鬼はね、それぞれ特出した能力を持っているの。」
シエルの目論見は当たり、レイからシエルへと顔を動かしたディアナは笑顔になって、シエルの質問に答え始めた。
けれど、口を開いて一番に出てきた言葉は、シエルの疑問とはあまり関係の無いもののように思え、シエルは首を傾げた。
「レイは支配の能力、カフカは氷雪、他にも炎だとか、植物を操る事だとか。」
それを聞いてシエルがムウロを見るが、ムウロは首を振った。
「僕は、ほとんど魔狼だから、ね。魔術とかは得意だけど、そういうのは無いね。」
「私もね、半分だけの吸血鬼だけど、お母様が吸血女王だったからか、それともお母様が何かをしたのかは分からないけれど、能力を持っているの。それが、吸収の能力。お母様と同じ能力だから、きっとお母様が何かしたのだと思うわ。」
ディアナはシエルをまっすぐと見て説明を続けた。
吸血鬼は、生者の血を糧として吸うことで、命と生きる力を己の物にする魔族。
ディアナと『夜麗大公』が持っている"吸収の能力"は、血を吸う時に相手の能力や種族の特性を取り込んで、己の物にする力。それによって、『夜麗大公』は吸血鬼達が持つ特出した能力全てを取り込み、果てには他種族の能力や特性を取り込み、大公の一人として勢力を拡大していった。
ディアナも、半分が人である事で一度に多くの魔力を扱う事が出来ないという欠点が無ければ、魔界で一勢力を誇れるようになるだけの強い血を多く取り込んでいた。
「幼い頃から、最高位の魔女である姫姉様の血を頂いていたから、私は『魔女』の力を使えるの。それと、『勇者』さんの血を貰ったから、魔を寄せ付けない術が使われている場所にも行けちゃうのよ。」
凄いでしょ。そう笑うディアナにシエルは言葉も無かった。
『勇者の欠片』持ちで、魔界の最高位である大公の魔女をやっている自分を棚に上げて、シエルは「いいのかな?」なんて考えていた。
「けれど、力を使えば姉上の御身体を蝕みます。」
説明を終えたディアナに、レイの心配そうな声が掛けられた。
「これくらいなら大丈夫よ。昔と違うわ。」
あっけらかんにディアナは胸を張る。
「100年、自分なりに頑張ってきたし、"この世で最も醜悪で厳しい戦い(嫁姑の戦い)"も勝ち抜いたもの。昔の寝込んでばかりだった私では無いわ。だから、貴方ももう変わったと思っていたのに。全然変わって無い。」
また、ディアナの顔が引き締まる。
「姉上。」
「貴方がそうなのは全部、私のせい。私が姫姉様から貰った"魅了の力"が貴方に影響を与えているだけ。魔女の魅了から解く方法を試したのに…。どうしたらいいのかしら。」
頬に手を当てて悩むディアナに、レイの腕が伸びた。
「あの、二の兄上。」
「何、カフカ。」
ディアナの言葉に衝撃を受けた二人の弟達。
「兄上の、一の姉上に対する奇行の数々にはちゃんと原因が有ったんですね。」
「姉さんが言うには、そうみたいだね。」
「?」
納得したと目を輝かせているカフカに、ムウロは微妙な言葉を返す。
カフカはムウロを見上げて首を傾げた。
「思い出してみなよ。姫様の、『魔女大公』に魅了されていた方々がどんな感じだったか。」
兄の言葉に、カフカは必死に頭の奥底から幼い頃の記憶を掘り出した。




